そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

円の力

2008-03-13 22:58:02 | Economics

東京円、12年5か月ぶりに1ドル=100円突破(読売新聞) - goo ニュース

ついに100円突破。
以前100円ラインを越える円高水準を記録した1995年といえば、自分が大学卒業して就職した年。
学生最後の時期には強い円を携えて卒業旅行に繰り出したものでした(といっても貧乏旅行だけど)。
いっしょに行った友人がイスタンブールのカジノで大儲けして大量のドルを獲得しながら、帰国して1ドル=85円ほどのドル最安のタイミングで円に両替するという過ちをおかした…などという昔話なんかがあったりするんですが。
かく言う自分も5年ほど前、1ドル=130円くらいの水準のときに作ったドル預金をどうすることもできず、みるみる目減りする円建て残高を見ながらため息をつく毎日だったりします。

でも、正確に言うと今の状況は「円高」ではなく「ドル安」なんですよね。
ドルに対しては高くなっていても、ユーロなど他の通貨も含めた全体の中では円のプレゼンスは低下していっているというのは事実のようです。

円のプレゼンス低下とも関連して、溜池通信にいいことが書いてあったので以下引用。

○オークランドは、どんどん中国の影響が強まっているようです。なにせアジア系の人口が、もうじきマオリ族の人口を超えるというくらいですから。来月には、ニュージーランドは先進国では初めての対中FTAを締結するとのこと。こんな状態で、「ウチは豪州とはFTA交渉をするけど、オタクは駄目」という言い方をしていると、マジで危ないと思うんですが。昔はこの国の農産物にとって、日本が最大のお得意様であったから、どんなに高い関税をかけていても"Buyer is King."で通ったけど、これから先は中国やインドが最良の買い手に育っていきますからね。

○日本の存在感の低下という現象は、政治の世界や文化面でのことにとどまらず、「買い手としての力量の低下」という現実的な形で現れます。「日本の食料自給率は4割」ということが強調されますが、その陰には「日本は食料の6割も輸入できる幸運な国」であったという事実が横たわっています。その6割をどうやって維持するか。強力なライバルの買い手が誕生する中で、頼みの円はあんまり強くないし、何より消費者がこの状況にまったく気づいていない。そして政治は国内農業をいかに守るかしか考えていない。うん、なんだかいつもと同じようなことを繰り返しているような気がするな。

「日本は食料の6割も輸入できる幸運な国」であった…いやまったくおっしゃる通りです。
国際的な食糧争奪戦がますます激しくなっていく中、国内農家保護など内向きな議論に終始していたら本当にヤバいことになる。
こんな狭い国土に、(今後減っていくとはいえ)これだけたくさんの人間が暮らしている国が、地産地消だのノスタルジックな国産食料神話にこだわっている場合ではないと思います。
今後この国が食っていけるかどうかは、いかにいい「お客さん」になって海外から良質で安価な食糧を調達できるかにかかっているのではないかと。

今後ますます円の力が弱体化していくとしたら、海外旅行なんか行けない時代になっちまうかもしれませんね。
外貨建て資産も持っておかないとな…

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醜態

2008-03-11 22:45:59 | Politcs
困った、理由がわからない=日銀人事への民主党不同意決定について福田首相(ロイター) - goo ニュース

このまま福井総裁の任期切れを迎え中央銀行の総裁が空位となる事態が生じたら、国際マーケットにおける日本への失望は確定的なものになる、と心配されていますが、はっきり言ってこのような低レベルの混乱が起きている時点でじゅうぶん醜態であり、日本に対する失望は既に取り返しのつかないレベルに達してしまってるんじゃないでしょうか。
このまま日銀総裁空位になったとしても既に市場は織り込み済み、なんて笑えない事態になったりして。

ところで、誰が日銀総裁に相応しいか、ということについて論じられる日本人ってどれだけいるんでしょうね。
一般国民はもちろん、ほとんどの政治家もまったくわからんのでしょう。
それがこの件のもどかしいところです。
かく言う自分も金融政策のことなぞ初歩的なことしか理解していないずぶの素人の一人です。

それにしても民主党のとっている戦法が得策だとはとても思えません。
このままこう着状態がつづくにせよ、武藤氏に決まるにせよ、混乱の元凶としてのイメージ悪化は避けられないのではないでしょうか。
山崎元ブログの2か月前の記事にもありますが、どうして民主党は対抗馬となる候補を担ぐという手に出なかったのか?
勝ち目はあったはずなのにねぇ。
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「私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか。」 島村英紀

2008-03-09 22:58:20 | Books
私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか。 (講談社文庫 し 82-1)
島村 英紀
講談社

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著者は1941年生まれの地震学者。
2006年2月1日に詐欺の疑いで逮捕され、札幌拘置所に拘留されます。
7月21日に保釈が認められるまで171日間の拘置所での生活を詳細に記録した本です。
島村氏の罪状は、北大在職中に、ノルウェーのベルゲン大学に海底地震計をあたかも個人の所有であるかのように騙って、代金約2000万円をだまし取った、というものです。
この本においては事件の内容はあまり詳しく触れられていませんが、氏のホームページに「裁判通信」という形でレポートされています。

拘置所での自身の生活を描いたものとしては佐藤優氏の「国家の罠」があります(この本の中でも一か所引用があります)が、この本に書かれている内容は「国家の罠」の内容と重なる部分も多く、「国家の罠」をすでに読んでいる人にはそれほど新たな知見が得られるというわけではないように思います。
ただ、こちらの島村氏の本の方は非常に克明です。
このあたりはやはり学者らしさが出ているのでしょうか。
特に、入所以来の食事メニューを20ページ近くにわたって書き連ねた部分はある意味壮観です。

結局島村氏は札幌地裁で執行猶予つきの有罪判決を受け、迷った末に控訴を断念、判決が確定します。
ただしそれは罪を認めたということを意味するのではなく、控訴して上級審へ進んでも無罪にはさせないだろうという検察と裁判所に対する深い不信から下した決断なのです。
佐藤氏にしても、島村氏にしても、国家の意思によって罪を着せられたと認識している(島村氏の場合は地震予知という「国策」に対して批判的な立場をとってきたことが原因ではないかと自身で分析しています)点が共通しています。
そして、不自由で窮屈な拘置所生活を強いられながらも、自分と周囲を客観的に見つめる知性と強い精神力を持っているところも。

本件が本当に「国策」的に作り上げられた事件だったのか判断することはできませんが、国家が国民個人の自由を奪い拘禁することの危うさを知るという点において、この種の本は読んでおくべきと思います。
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二重苦

2008-03-09 22:06:53 | Diary
昨日は会社のテニス大会でした。
穏やかで暖かな日差しに風もほとんど無く、まさに絶好のテニス日和。
が、飛んでましたねえ、花粉。
今シーズンはここまでほぼ大丈夫だったんだけど、昨日は爆発的に症状が出ました。
いったん出てしまうと、今日はほぼ一日家にいたのにちょっとしたタイミングでクシャミ、鼻水。
筋肉痛で体中痛いし…二重苦ですわ。
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仁義

2008-03-05 21:52:02 | Society

空港外資規制見送りに公明不快感 「なめているのか」(朝日新聞) - goo ニュース

公明党は4日の政調全体会議で、空港整備法改正案を了承した。ただ、成田、羽田両空港への外資規制導入が見送られたことに対する批判が噴出。いったん外資規制が盛り込まれた原案を1月末の部会で了承していたことから、出席者から「相談も報告もなく法律をひっくり返す進め方は、与党のパートナーとしていかがなものか」などと不快感が示された。

外資規制見送りは、一部閣僚や自民党内の反対が背景にあり、「冬柴国土交通相が恥をかかされた」と国交省の対応もやり玉に。斉藤鉄夫政調会長は「公明党をなめているのかという声は非常に強い」として、与党間の法案了承の手続きをきちんと進めるよう自民党側に求める考えを示した。

要するにこの人たちは、空港外資規制が見送られたことに怒っているのではなく、自分たちが一旦機関決定したことがあっさり反故にされたことに怒っているわけですな。

仕事上もこういうことってよくあります。
せっかくのいい提案なのに、「そんな話俺は聞いてない」とか「それはまずウチに話が来るのが筋ってもんだろう」とかって言われて妨害されたり。
そういうのを回避するために「根回し」だの「仁義を切る」だの余計な仕事が増えてしまうわけです。
めんどくさい。

日本人って、世界一そういうことを気にする民族でしょうね。
合理的な欧米人だったら、結論が正しければ筋だの仁義だのぐだぐだ言わずに賛成することでしょう。
ロジカルシンキングが苦手っていうか、これって日本人の弱点のうち最も深刻なものの一つだと思います。

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Shame on you, Obama!

2008-03-05 21:31:05 | Society
全米に「オバマ」の熱気 小浜の応援TV中継(産経新聞) - goo ニュース

さっきNHKニュースの映像で小浜市での応援風景を見ました。
テレビカメラに囲まれて大勢での「オバマ」コールにフラダンスショー。

各国のメディアが取材に訪れている、というニュースを最初に聞いたときは微笑ましく思ったんですが、ここまでくると完全にやり過ぎ。
メディアが持ち上げてるのも悪いんだろうけど、悪ノリも度が過ぎると嫌悪感をおぼえます。






恥を知りなさい、小浜!


(これが言いたかっただけだったりして…)
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洞爺のガラパゴス

2008-03-03 22:31:23 | Society
先ほど、NHKのニュースをみてたら、洞爺湖の中央にある離れ小島・中島(直径2kmくらいだそうです。下地図参照)に棲息するエゾシカが特異な生態をみせているという話題を採り上げてました。



なんでも中島のエゾシカは20年ほど前に食糧になる島の植物を食べ尽くしてしまい絶滅の危機に瀕し、当然個体数は減るものだとみられていたのが、なぜか増えているというのです。
何を食べて生き延びているかというと、栄養価の低い落ち葉。
少ない栄養でも生きられるように、他の場所で生きているエゾシカよりも体が小さく「適応」している、と解説されていました。

この「適応」という説明がいまいちよくわかりませんでした。
何となく進化論的なイメージがするんですが、たかだか20年くらいでそんな自然選択がされるものなのか。
むしろ、栄養が足りないから大きく育たない、と因果関係を逆に捉えたほうが理解しやすい気がするんですが。

仮にそれが「適応」だとして、落ち葉のように栄養価は低くても大量にあるものを食べるのであれば、種族が皆等しく体が小さくなる一方で、食糧の絶対量が少なければ相対的に力の強い個体が生き残る形で淘汰が起きる、ってな感じなのでしょうか?
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里帰り

2008-03-02 22:56:11 | Diary
ヨメが妊娠9か月を迎えたので、出産のため里帰りすることに。
土日で、新潟まで送り届けてきました。

コドモを連れて、という点が前回との違い。
コドモはけっこう勘がいいので、数日前から察しているようでした。
里帰り前日から、グズることが多くなり、ふだんは快便小僧なのにうんちも出なくなり、やや精神不安定になっているのか。
昨日の新幹線でもずっと不機嫌で、かなり大変でした。

それがヨメさんの実家に着くなり急に元気になって、いきなり便通。
生家だし、やっぱり落ち着くんでしょうか。
その後はじじばばやヨメの弟妹に遊んでもらってすっかりはしゃぎ通し。
あの調子なら心配なさそう。

で、こっちは久々のまとまった独身生活。
気は楽だけど、これはこれでいろいろ大変なんだよね。
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「移りゆく「教養」」 苅部 直

2008-03-01 00:10:58 | Books
移りゆく「教養」 (日本の〈現代〉 (5))
苅部 直
NTT出版

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大学生が本を読まなくなった、と言われて久しい。
かく言う自分も「読まなくなった」世代の一員なわけですが、それじゃあ昔の学生はそんなに読書をしていたのか?
いやすごい読書量だったみたいですね。
特に戦前から戦中にかけての旧制高校の学生の「教養」に対する欲はハンパはなかったようです。
当時の旧制高校生はどうしてそんなに貪欲に「教養」を求めたのか?
戦後、時代を経るにつれて「教養崩壊」が生じたのは何故か?
そもそも「教養」って何だっけ?
「教養」を身につけるのは何の目的?身につけると何かいいことがあるの?
…といったことを論じた本です。

たいへん平易な文章なのですらすら読めてしまうのですが、しばらく読み進めると、今読んでいる内容が本全体の中でどの位置づけにあるのか分からなくなり、数ページ読み戻って論旨を確認しなくてはならないことがしばしばありました。
おそらくそれは「教養」という概念の掴みどころの無さに起因するものなのでしょう。
解りやすい明快なロジカルさで語るには、あまりにも向いていないテーマなのかもしれません。

古代ギリシャ、大学制度が確立した近世ヨーロッパ、日本の戦前戦中、そして戦後…「教養」を巡る歴史が、和辻哲郎や三木清などの思想家の「教養」観の概説とともに語られ、さらに「教養」と「政治」、「教養」と「伝統」、「教養」と「教育」などいくつかのテーマに沿って考察が進められます。

そして、もっとも印象に残ったのは、唐木順三の「自殺について」という文章を引用しながら、「教養」習得のダークサイドを暴いた以下の部分。

しかし同時にまた、『自殺について』のこの記述は、「教養」の内容をいかなるものととらえるにせよ、つねにつきまとってしまう、ある不吉さを指摘している。前に旧制高校生についてふれたように、「教養」は、実際にしばしば、他者の視線を意識し、他者と競争するなかで追求されてきた。「教養」を通じての人格の向上をめざす姿勢は、多面で、「教養」の程度が自分より低い者や、「教養」を欠く者に対する蔑視と背中あわせである。唐木の用いる「唯我独尊」や、他者と自己とに対する「虐待」といった表現は、そうした心理を指摘している。

いやぁこれはイタイところを突かれた、という感じがします。
誰しもがおちいりがちな陥穽ですね。
結局「教養」とは、それを身につけることが目的であるわけではない一方で、それによって何か利得をえようとするための手段でもない。
個人がいかによく生き、そしてその結果としていかによい社会が実現されるか、そのための「基礎体力」みたいなものなのかもしれません。
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