前夜に親方「やってやれ」、力士急死で複数の兄弟子供述(読売新聞) - goo ニュース
時津風部屋の事件については、事実として紛れもないリンチによる集団暴行傷害で人命を死に至らしめたわけで、刑事処分も含め厳正な措置がなされるべきであることは当然のこと。
が、一方で、テレビのキャスターやコメンテーターが語る「弟子を指導すべき立場にある親方が自ら率先するとは考えられない」「相撲協会の隠ぺい体質がこうした事件を引き起こしたと言えるのではないか」といった表層的なコメントは、今回の事件の本質を何も捉えていないのではないか、というようにも思うのです。
賢明なる多くの人が想像している通り、今回のような集団暴行とも呼べるいじめ、かわいがりが、時津風部屋に限らず相撲界一般にて行われていたことは間違いないでしょう。
稽古場の内外で、それこそ死の一歩手前ぎりぎりの、一方的暴力がまかり通っていたことは想像に難くありません。
人間なんてそう簡単に死ぬものではないのかもしれません。
ましてや相撲界に入門しようというだけの尋常ならざる体力の持ち主ばかりの世界。
時津風部屋の面々も、まさか死んでしまうなんてこと、まったく思ってもみなかった。
ところが彼は動かなくなってしまった。
狼狽し、どうしてよいか冷静な判断もできず、口裏を合わせて事実隠しに走る。
一方で良心の呵責にも苛まれ、他方で、どうして自分たちだけが、とわが身の不運に心の折り合いがつけられない。
そんなところではなかったのではないでしょうか。
彼らや相撲界の人々を擁護するつもりは毛頭ありません。
言いたいのは、そういうどろどろした部分も含めて「相撲界」なのだ、ということです。
相撲界の有する前近代性、非合理性が、時代と合わなくなってきている、ということなのでしょう。
スター日本人力士の不在、観衆動員の低下、新弟子の減少、数々の不祥事…様々な現象がこのことを物語っています。
相撲も、近代的な「スポーツ」として、体質を改めるための改革が迫られることでしょう。
が、そのことと、相撲がその面白さを保っていくこととはまったく別であり、これらを両立するのはたいへん難しいことのように思います。
「改革」は必要なことですが、それによって相撲が長年受け継いできた「伝統」の良い部分まで失われていくのは間違いない。
(まあ、そうした良き「伝統」が今時点でどれだけ残っているのかも疑問といえば疑問ですが。)
柔道界も、国際化・スポーツ化することにより、武道としての妙味がすっかり配されてしまった、と言われていますが、柔道のように国際スポーツとして生きる道がありそうもない相撲の将来はさらに厳しいものになるのではないか、と悲観視せざるをえません。
時津風部屋の事件については、事実として紛れもないリンチによる集団暴行傷害で人命を死に至らしめたわけで、刑事処分も含め厳正な措置がなされるべきであることは当然のこと。
が、一方で、テレビのキャスターやコメンテーターが語る「弟子を指導すべき立場にある親方が自ら率先するとは考えられない」「相撲協会の隠ぺい体質がこうした事件を引き起こしたと言えるのではないか」といった表層的なコメントは、今回の事件の本質を何も捉えていないのではないか、というようにも思うのです。
賢明なる多くの人が想像している通り、今回のような集団暴行とも呼べるいじめ、かわいがりが、時津風部屋に限らず相撲界一般にて行われていたことは間違いないでしょう。
稽古場の内外で、それこそ死の一歩手前ぎりぎりの、一方的暴力がまかり通っていたことは想像に難くありません。
人間なんてそう簡単に死ぬものではないのかもしれません。
ましてや相撲界に入門しようというだけの尋常ならざる体力の持ち主ばかりの世界。
時津風部屋の面々も、まさか死んでしまうなんてこと、まったく思ってもみなかった。
ところが彼は動かなくなってしまった。
狼狽し、どうしてよいか冷静な判断もできず、口裏を合わせて事実隠しに走る。
一方で良心の呵責にも苛まれ、他方で、どうして自分たちだけが、とわが身の不運に心の折り合いがつけられない。
そんなところではなかったのではないでしょうか。
彼らや相撲界の人々を擁護するつもりは毛頭ありません。
言いたいのは、そういうどろどろした部分も含めて「相撲界」なのだ、ということです。
相撲界の有する前近代性、非合理性が、時代と合わなくなってきている、ということなのでしょう。
スター日本人力士の不在、観衆動員の低下、新弟子の減少、数々の不祥事…様々な現象がこのことを物語っています。
相撲も、近代的な「スポーツ」として、体質を改めるための改革が迫られることでしょう。
が、そのことと、相撲がその面白さを保っていくこととはまったく別であり、これらを両立するのはたいへん難しいことのように思います。
「改革」は必要なことですが、それによって相撲が長年受け継いできた「伝統」の良い部分まで失われていくのは間違いない。
(まあ、そうした良き「伝統」が今時点でどれだけ残っているのかも疑問といえば疑問ですが。)
柔道界も、国際化・スポーツ化することにより、武道としての妙味がすっかり配されてしまった、と言われていますが、柔道のように国際スポーツとして生きる道がありそうもない相撲の将来はさらに厳しいものになるのではないか、と悲観視せざるをえません。