幹部候補生学校卒業式、生徒館から行進してきた卒業生が乗り込んだランチは
一斉に浮き桟橋を離れて行きました。
空っぽになった浮き桟橋にも二人自衛官が立ち、三笠宮家の女王殿下がおられる
桟橋の方に向かって立ち、警備を行なっています。
ここで祝賀飛行が行われました。
前回も思ったのですが、この時間(2時半〜3時ごろ)の表桟橋から
江田内の上空を見ると、逆光になるうえ、
この日は午後から曇りがちの天気に移行してしまい、
望遠レンズも持たないわたしには最初から画質は諦めモードです。
まずは小月から来た練習機Tー5が3機左から右に向かって飛行します。
つい今知ったのですが、小月にはこの機体で曲芸飛行を行う
「ブランエール」(フランス語の”白い翼”)という教官チームがあるそうです。
T-5の曲芸飛行! 小月航空基地スウェルフェスタ2013 - A training plane "T-5" in JMSDF Ozuki Air Base
スモークを出したりこそしませんが、低空で高度な技を披露します。
これが一般に見られるのはこのスウェルフェスタぐらいなのだとか。
続いてこれも練習機 TC90。
他国では哨戒機としても使われる機体ですが、日本では
P-3Cに移行するための計器飛行の練習に使われます。
今日の祝賀飛行は徳島の第202教育航空隊から参加しています。
SH-60Kが続いて3機。
全てにおいてやる気のない画像ですみません。
ローターの先で見分けるKとJの違いでいうと、最近すっかり
Jの方を見なくなったような気がしていたのですが、もともと
ローターの形だけでなくソナー性能などを向上させたKに移行するつもりが
ご予算の関係でJを修繕して延命しているらしいです。
ところで『K』ってなんの意味があるんですか?
まさか「Jの次」だから・・・?
『J』はJAPANのJですよね。
P-3Cも3機、鹿屋から来ました。
前回来なかったP-1が登場。
確かP-1は先日見学した厚木航空基地の第3航空隊と第51航空隊だけに
配備されているということだったと思いますので(見られませんでしたが)
今日は厚木からわざわざこの一航過のために飛んで来たことになります。
ここで表桟橋の様子を。
女王殿下の右後ろに呉地方総監、お立ち台の上には若宮副大臣を挟んで
真殿幹部候補生学校長と村川海幕長。
若宮副大臣はプレゼントされたのか貸してもらったのか(笑)
海自の部隊マーク入りらしいキャップをかぶっています。
ちなみに画面の向こうからは殿下がこの後座乗される予定の
「お召し通船」がやって来ています。
「かしま」ではランチから卒業生たちが乗艦し、登舷礼を行うための整列をしています。
あっという間に「やまゆき」の右舷側にも卒業生が整列を終えました。
この頃だったと思いますが、わたしたちの後ろにひっそりと立っていた大尉殿が、
「あ、後進かかってる、後進」
とつぶやきました。
わたしたちも、周りの人たち(わたしの横の人もえらく詳しかった)も
全く気づかなかったのですが、「はるさめ」が後進、
つまりじわーっと後ろに進んでいる、ということを指摘していたのです。
わからないけどこれは夜反省会で怒られるレベルのこと?
ここで、村川海幕長が双眼鏡を覗き出しました。
前回も出港前に練習艦からの発光信号が岸に向かって送られ、
その文章がアナウンスされたということがありましたが、今回は
練習艦隊司令官並びに飛行幹部を乗せた「ふゆづき」からの信号が送られて来たのです。
まず「ふゆづき」からの発光信号。
わたしのいるところにはアナウンスがくぐもっていて聞こえにくく、
わたし「これじゃアナウンスされても聞こえませんね」
みね姉さん「艦隊司令官の真鍋海将補はいつもこういう時和歌を詠むそうです」
わたし「ほー、そんな方だったんですか。それは是非知りたいですね」
などと話していたのですが、その時わたしは、かつて航海長の配置を
経験したこともある人がすぐ近くにいるのを思い出しました。
「発光信号読めますよね!」
エスコートの大尉殿に期待を持って解読してもらおうとしたら、
「読めません!」(きっぱり)
と言下にお断りされてしまい、海上自衛官だから誰でも
発光信号を読めるかといったら大間違い、
という情報を裏付ける結果になったのでした。
まあ語学だって使わなければすぐ喋れなくなりますからね。
大学時代ドイツ語の授業を取ったんだから喋れるでしょ?というのと同じようなものか。
これは村川海幕長は勿論、桟橋の偉い人たちで読めるのはきっと皆無だな(ゲス顔)
「それじゃこうしましょう」
と思いついたのでわたし。
「わたしこれ動画に撮って、雷蔵さん(仮名)に送り解読してもらいます!」
「あ、それいいですね。お願いします」
というわけでその当日中にデータを雷蔵さん(仮名)に送りました。
次の日の返事です。
「 おはようございます。
恥ずかしながら、もう読めないので詠んだ本人に聞いてしまいました。
鹿島立ち 見よ若桜 身を尽くし(澪標)
だそうです。」
なんと雷蔵さん(仮名)、真鍋海将補のお知り合いだったのね。
というか、よく連絡取れたなあ(本人船の上なのに)
このメールには続きがあって、
いつも年賀状が川柳なので「おめでとう。練習艦隊準備よし!」とか、うまいものです。
みね姉さんのお話によると、艦隊司令は休みの日には美術館に足を向けたり、
このように和歌や川柳を嗜む通な方でいらっしゃるとのこと。
実はわたくし自身も少し前、某所でご挨拶をさせていただいたのですが、
その後いただいた自筆のお手紙の達筆さに夫婦で唸ってしまいました。
「いやー、こんな字を書ける人って、素晴らしいねえ」
「この宛先の名前なんか、何十年も書いて来た本人より確実にうまいよね」
「それは言わないでほしい」
というわけで、真鍋海将補の評判がうちでは急上昇していた矢先のことです。
卒業式典でも、壇上の列席者が一人ずつ紹介されたとき、皆が普通に
「おめでとう!」
という中、真鍋司令官は
「おめでとう!練習艦隊準備よし!」
と気勢を揚げられ、会場に暖かい笑いが起きたのですが、後からこれが
年賀状にあったという五・七・五 そのままだったとわかりました。
練習艦隊司令官は半年の間日本代表として世界と交流する自衛隊の顔ですから、
その役職をこんな方が務められるということに対し、期待を寄せずにいられません。
「帽ふれ」の声が今一度かかり、きっちりと等間隔で舷側に並んだ
新幹部たちが一斉に白い帽子を降り始めています。
こちらは後甲板の幹部たち。
白い帽子がさざめくように動く様子は大変風情のあるものです。
風情といえば真鍋司令官の詠まれた句に「澪標」とありましたが、
小舟の航路を意味する「澪」に標識として刺された「串」のことを
「澪つ串」とか「水脈ツ串」と言ったことから、航路を示す標識をこう言います。
平安の昔から、「みおつくし」=「身を尽くし」と掛詞で使われて来た
この言葉を、「かしま」で出港するにあたり歌に詠んだというわけです。
まさに江田島で文字通り「身を尽くして」きましたものねえ、幹部候補生・・・。
こちら「やまぎり」艦上の帽ふれ。
帽戻せの声がかかり、各艦が一斉に航行を始めました。
今回おそらく初めて練習艦隊として遠洋航海に臨む「はるさめ」も準備よし。
飛行幹部の乗っている「ふゆづき」はSH-60とともに海外に行くのでしょうか。
発着訓練とかみっちりやるんだろうな。
「かしま」が江田湾の入り口に向かって艦首を向けました。
どこまで行っても立ち続ける幹部たちの白い帽子が遠くからも見えます。
「どこまで起立したまま行くんですか」
「完全に湾を出るまではあのままです。
湾の出口にもおそらくですが写真を撮るためにたくさんの人がいますので。
それから」
「それから?」
「女王殿下の乗られた船が後から練習艦隊を追い抜いて行くことになってます」
なるほど、女王殿下の閲兵を海上で実施するわけですね。
今日はお天気がイマイチで、前回ほど写真が綺麗に撮れず残念です。
「かしま」の航跡に続き、「やまぎり」「はるさめ」が動き出しました。
呉音楽隊は出港と同時に「錨を上げて」、それが済んだ後は
自衛隊隊歌である「海をゆく」を演奏し、すっかり華やいだ雰囲気に。
練習艦隊はこの後まず柱島沖に向かいます。(向かいました、か)
柱島で停泊して何をするかですが、おそらく戦艦「陸奥」爆沈地点
「 33° 58′ 40.13″ N, 132° 24′ 5.56″ E」
で慰霊式を行うのではないでしょうか。
その後、三机に向かいますが、これは
があり、真珠湾攻撃に出撃した特殊潜航艇の搭乗員たちが
ここで訓練を受けた場所であるということもあるでしょう。
この後の国内での寄港地はほとんどが海自の基地のある場所ばかりですが、
5月7日には鳥羽湾に寄ることになっていて、ここで乗員たちは
伊勢神宮に参拝するという予定であるようです。
練習艦隊の伊勢参拝は海軍時代から行われてきた慣習です。
古の慣習を守りつつ先人への慰霊を行うことも、練習艦隊の大事な任務なのです。
続く。