卒業式が大講堂で終了したのは1150。
わたしはその後すぐに昼食会場に招待され、そこで
アテンドの大尉殿は江田島勤務のお友達に会いに行き、
わたしは偶然バッタリお会いしたみね姉さんとご飯を食べ、
1420の見送りまで一緒に行動していました。
何度となく訪れている教育参考館ですが、
基本こちらの知識が来るたびにアップデートされていっているので(当社比)
その都度違う見方ができるのが足を運ぶ理由です。
ここに来るといつも、日本が敗戦した昭和20年8月15日にここで学んでいた
当時の海軍兵学校生徒から聞いた話を思い出します。
「飛行機が飛来して徹底抗戦を訴えるビラが撒かれたりしたが、
学校上層部は皆を集めて、決して軽挙妄動に走らないこと、天皇陛下の御心を汲み
帝国海軍の軍人として誇りある行動をとることなどが訓示された」
「教育参考館の資料や展示物を校庭に運び、進駐軍の手に渡らないように焼却した」
「燃え盛る火を眺めながら皆夜通し軍歌を歌い、涙を流した」
このとき処分された参考館の展示物とはどんなものだったのでしょうか。
大東亜戦争における指導者たちが遺したもの、
兵学校の先輩たちの遺品などであったと考えると、胸が痛みます。
教育参考館内では、卒業式の参加者がかなりの数見学をしていました。
見学していた人たちの流れに動きがあったので、わたしたちも外に出ました。
すっかりはぐれていた(笑)大尉殿がここで待ってくれていました。
「食堂に行ったらもう誰もいなくて・・・ここにいれば必ず来られると思いまして」
すまんね大尉殿、勝手にうろうろして。
(写真は本文中の人物とは無関係です)
卒業生の父兄でもないわたしたちは前列を占領する立場にないので、
すでにがっつりとできていた人垣の外側にしばらくいましたが、
「生徒館から出て来るところが見えた方がいいですね」
ということになり、3人で赤煉瓦側に移動しました。
お、もしかしたらものすごい穴場?
行進のために、何人かの自衛官たちが位置についています。
「いいところ見つけましたね」
などと話していると、自衛官たちが列に並びだしました。
すると、どこからともなくアメリカ人らしい女の子が現れ、一番端に。
一番右側はよく見ると米海軍の軍人さんのようです。
「英語の教官だと思います」
ということはこの一団は教官関係ということでしょうか。
幹部候補生学校には英語の先生にもアメリカから海軍軍人が来たりするのね。
同じ英語の授業でもノーティカル・ターム的な?
候補生は幹部就任後は当たり前にアメリカ海軍と行動を共にするのですから、
意思疎通をするためにも当然海軍用語も叩き込まねばなりません。
この大尉は江田島に家族で赴任しているようです。
程なく、表桟橋近くの松の木の間にいつも通り位置している
呉音楽隊の行進曲「軍艦」演奏が始まりました。
先ほどの式典において幹部となった彼らは、晴れて生徒館から行進してきます。
こちらで待ち変えている一団の階級章は向こうから
1佐1佐1尉3佐1尉3佐1尉3佐3佐2佐2佐3佐1尉大尉
となっていて、「一尉三佐」の並びが謎でした。
幹校卒の一尉は部内選抜の三佐より上座ってことですか?
お父さんは行進して来るお兄ちゃんたちのことを娘に説明しているようです。
生徒館の正面入り口から出て来た新候補生たちは、まずまっすぐ進み、
しかるのち直角にターンして表桟橋まで行進して行きます。
正面にはカメラが、赤煉瓦をバックにした一人一人の姿を撮るために待ち構えています。
先頭の幹部がターン。
海軍兵学校の昔から、赤煉瓦から出て行進し、
敬礼しながら皆に別れを告げるこの美しい慣習は受け継がれて来ました。
先ほどもらったばかりの卒業証書の入った黒い筒を手にしています。
真正面で見ている父兄らしき人もごく少数いました。
赤煉瓦をバックに行進して来る列が見えるところにいるとは、なかなかの通です(笑)
先ほど最優等賞とチリ共和国からの勲章を授与された卒業生らしき人がいますね。
隊列は手前の教官の一団(ってことにしておきます)
の前に差し掛かりました。
最初の一佐に敬礼をし、そのあとはそのまま全員の前を通り過ぎます。
見送る方も、卒業生が全員通り過ぎるまで敬礼のまま見送ります。
後ろから見ていると、一人ずつさっ!さっ!と順番に敬礼していくのが
ネイ恋ブログ主的にはもうたまりません。
ところで、敬礼のAAですが、こんな使い分けも奨励されている?ようです。
【陸軍】 ∠(`・ω・´)
【海軍】 (/`・ω・´)
これでいうと、
さっ!(/"`・ω・´)さっ!(/"`・ω・´)さっ!(/"`・ω・´)さっ!(/"`・ω・´)
こうですか。
見送りの列の切れ目になっても、とりあえず敬礼したまま進むようです。
女の子はパパに言われたのか、皆に手を振ってお見送り。
英語の先生でちょっと余談です。
海軍兵学校時代に英語の教師を務め、本国に帰ってから本を著した
セシル・ブロックという人がいましたが、明治の兵学寮時代に
最初に兵学校が外国人の教師を招いたと思われるのが、明治5年8月。
「米国人 アルベルト、エー、ベルキントン」氏ヲ雇ヒ語学教師トス
と書かれているのがどうやらそのようです。
わたしはちょっとびっくりしてしまったのですが、兵学校ではこの翌年、
明治6年に、
「雇教師英人三十四人来着ス」
ということで、
准官長「アアーチーホールド、ルシアス、ドウグラス」
砲術士官「チャールス、ウイルリエム、ジヨンス」 以下測量士官、
上頭機関士、機関士、一等掌砲長、二等掌砲長 、二頭木工長、水夫長、
測量手、俊秀水夫(水夫の頭のこと?)
つまり一隻の軍艦の乗組員を艦長ごと丸々雇い入れて先生にしていたようなのです。
日本の海軍はイギリス式を取り入れた、というのは歴史として知っていましたが、
どうやらこの「ドウグラス艦長」以下34名が、その最初の師だったみたいです。
陸軍のメッケルは有名ですが、海軍の「先生」があまり知られていないのは
何故なんだろうとちょっと不思議に思います。
兵学校は彼らに「支度金」「旅費」を階級に応じて支払い、棒金は
艦長 4,800ドル 960ポンド
上等士官 3,600ドル 720ポンド
水夫 540ドル 108ポンド
などと記されています。
4800ドルというと現在でも50万くらいですから、この時代の年俸としては
もう破格な高給で雇い入れていたということになります。
雇い入れ期限は3年間、彼らは日本政府から住居を与えられ、
生活の立ち上げに必要なお金も全て給料とは別に支給されました。
ちなみに、水夫(当時はこういっていたらしい)らの行状に「不善」あれば、
艦長の権限で処罰し、これを免職できるということになっていました。
日本政府や兵学校は関わらないのでそちらでやってね、という態度です。
彼らは例えば、
測量士官「ベーリー」氏受け持ち
として20名くらいの測量科の生徒を担当するといった具合に、その専門ごとに
兵学校の生徒を少人数制ならではのぐんぐん身につくスピードラーニングで鍛えました。
(たぶんね)
艦長のドウグラス氏は(兵学校の記述が後年ダーグラスになっているのは、
招聘時にDouglasをそのままローマ字読みしていたのが、本人が来て
『俺ドウグラスちゃうダグラスや』というので訂正したと推測)
その後明治7年に行われた
「海軍始行幸」
にあたり、御言葉を賜るなどの栄誉を得てのち帰国したようです。
その後、外国人教師は英語かあるいは数学(代数、平面幾何)教師として
常に何人か雇われていました。
話が逸れました。
次々と行進してくる卒業生を、女の子は写真に撮っているようです。
行進しながら感極まって・・・。
微笑みを浮かべて歩く新幹部もいます。
家族やお世話になった幹部の前を行くときにはいろんな思いがこみ上げるのでしょう。
女性幹部の先頭。
稲田大臣の訓示を彼女らはどのように受け止めたでしょうか。
タイ王国の留学生を発見。
タイ王国の帽章は、なんというかいかにもタイ!な感じ。
南方の人ですから浅黒い肌をしていますが、周りの卒業生も十分黒いので(笑)
制服の違いがなければほとんど見分けがつきません。
思い切り歯を見せる人もいます。
あれ?女の子がいつのまにかパパの真似をして敬礼を(*゚∀゚)=3
あ、これ見て笑ってるんだ!(よね)
新少尉もうニッコニコですわ。
みんなデレデレ(笑)
パパ、娘の敬礼チェックしつつ嬉しそう。
うーん、ちゃんと海軍式になってるよー。
最初の一団が通り過ぎてすぐ、わたしたちはほぼ列と同時に移動を始めました。
卒業生の家族が晴れ姿を一目見ようと立っています。
ここから先は招待客ら(車付き)専用スペース。
部内の時にはこの向こうにいたんですが、今日は本当に無理めのところ
なんとか参加をお取り計らいいただいたという事情もあり、
さすがに車で構内を移動という身分ではなかったので仕方ありません。
卒業生がこの向こうに歩いて行くにつれ、この境界に人が流れてきて溜まってきました。
自衛官がここから先にはまだ行かないでください、と言葉で制するのですが、
どうしても!我慢できないお父さんお母さんというのがいまして(笑)
自衛官の目の届かない端っこから表桟橋の前列を取ろうとすり抜けて行きました。
気持ちはわかる。わかるが息子娘のハレの日であるからこそ、
親御さんたちも極力マナーは守りましょう。
今回は近くで聴けなかった呉音楽隊です。
今日もお天気が良くて良かったですね。
見えない領海線が解かれ、人々はどっと埠頭に向かいました。
部内選抜の時も皆走ってましたが、本日もまあだいたいそんな感じです。
前回とは桟橋を挟んで反対側の岸壁に立つと、このような
願ってもない絶景が広がっておりました。
卒業生たちは行進して歩みを止めずに5隻横に並べられたランチに乗り移り、
きっちりと整列して出港を待っています。
続く。