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防衛大臣挨拶(代読)と「ご安航を祈る」の信号旗〜幹部候補生学校 卒業式

2017-03-23 | 自衛隊

卒業式において幹部候補生から「候補生」が取れ、自衛隊幹部に任官した
第第67期一般幹部候補生課程修了者等と第69期飛行幹部候補生課程修了者は、
まず代表の宣誓の言葉によってその意思表明を行います。

 

そして真殿校長からの式辞が送られました。

「これからの海上自衛隊の任務においては海の防人として全力を尽くしてもらいたい」

やはりポイントは「海の防人」という言葉をお使いになったことでしょうか。

「厳しい日々を乗り越えたここ江田島は、必ずや君たちの心の故郷になるであろう」

お、おう・・・じゃなくてそうですね。
思い出深いという意味では、おそらく。

続いて防衛大臣訓示・・・・・のはずだったのですが、稲田防衛大臣は
よんどころない事情により勝手ながら出席できず、代わりに副大臣が
大臣の訓示を代読するということになりました。

後日行われた防衛大学校の訓示は行なっているので、
つまり色々と国会でタゲられて呉まで来ようにも来られなかった、
というのが本当のところではないかと思われます。

そのことがアナウンスされたとき、会場を「あー」という感じの
空気が流れたのをわたしは感じました。

 

それはともかく、本日防衛大臣の代わりに副大臣が出席することになり、
わたしは若宮副大臣と神戸に引き続きまたもお目にかかることになりました。

これだけあっちこっちでお見かけしているともう他人とは思えません。(比喩)
代理で出席した若宮副大臣は、稲田大臣の訓示を代読しました。

 

四方を海で囲まれる我が国において、海上自衛隊の幹部自衛官のゆく道は
日本の防衛の最前線に立つことに他ならない。
その決意に、防衛大臣として心から敬意を評したいと思う。

という、こういう場合に定型ともなっている海上自衛官への激励の言葉とともに、

防衛大臣に就任してからジブチ、南スーダン、国内でも様々な部隊を視察してきたが、
そのどの部隊でも自らの任務に対しひたむきに取り組む隊員の姿があった。

任務には、華々しいものがあれば、一見地味なものもあるだろうが、
しかしどの任務も欠かすことのできない重要なものである。

先輩自衛官たちが地道に積み重ねてきた現在の自衛隊への国民からの信頼を
これからの財産として受け継ぎ、より一層発展させていくことを期待する。

これをいう防衛大臣が女性だからということもあると思いましたが、
訓示のメインでは、安倍政権の掲げる「一億総活躍社会」、中でも女性が、
特に自衛隊でも活躍の場を広げられるようにする、と
約束がなされました。 

そして、国際社会でも安全保障の側面において女性の参画の必要性が重視されていて、
「女性・平和・安全保障担当NATO事務総長特別代表」のアドバイザーとして
女性海上自衛官を、7月からNATO本部に派遣していること、
この分野におけるNATO加盟国との調整などに活躍してもらう予定だと語りました。

この女性自衛官について調べると、一般大をでて陸上自衛隊入隊し、
第5高射特科群(八戸)、第2高射特科群第336高射中隊長(松戸)(!!)
をしていた栗田千寿という方のレポートが出てくるのですが、
彼女の後任として海自からも派遣されるということだと解釈しました。

挨拶の最後には、

「皆さんはこの江田島に多くの思い出があることと思います。
中でも7月に行われる遠泳は8時間半かけて15キロを泳ぎ続け・・・」

 聞いている卒業生の脳裏は、さぞ走馬灯ぐるぐる状態でしたでしょう。

思い出深い江田島のこの大講堂から、表桟橋を船出していく皆さんの前途は
これまでここを巣立っていった自衛官たちより荒海になるかもしれません」

 
サヨクな連中ならすわ!戦争法か?と拡大解釈されそうな文言ですが、
防衛大臣の「挨拶」ではなくこれは訓示ですからこんなものでしょう。

そうやって「稲田朋美」で終わる代読が終わると、幹部自衛官たちは
ざっ!と立ち上がりました。

ところが(笑)

代読が終わっても、自衛隊を心から愛している(らしい)若宮副大臣、
どうしても!自分自身の言葉で新幹部に語りたかったらしく、
そのまま独自に挨拶を始めてしまったのでした。

若宮さんも彼らを混乱させるつもりはなかったのでしょうが、
間違えて立ってしまった幹部たちを座らせずにそのまま挨拶を続けたので、
号令を受けずに行動した彼らの中に「しまった!」的空気が流れました。


続いては村川海上幕僚長の訓示。
昨年末幕僚長に任命された村川海幕長にとって、
初めての幹部候補生卒業式であり、訓示となります。

「国際情勢は混迷度合いを極め、世界の日本を取り巻く環境は大きく変わりつつある。
10年、20年後に日本と国際環境がいかなるものになっているか予測するのは困難である」

そんな厳しい言葉で始まった訓示の中で、わたしが特に耳を止めたのは

「わたしが幹部校を卒業したのは今から35年前の昭和57年であった」

という一言でした。
その後の話は失礼ながらあまり記憶にないのですが、きっとその時わたしは、
今ここにいる二百数十名の中に、三十数年後、同じ場所で、同じ季節に、
村川氏と同じ階級章をつけて新幹部に訓示をする者がいるのかもしれない、
ということをなんとなく考え続けていたのだと思います。

そしてその海幕長は、そのときこういうのでしょう。

「わたしが幹部校を卒業したのは今から35年前の平成29年であった」 

そのころもこの大講堂は、江田島は、今と変わりないままでしょうか。
そして日本の国は今と同じ平和の裡に存在しているでしょうか。 

次に祝辞を行なったのは在日米海軍第七艦隊司令、Joseph P. Aucoin中将。
 
前にも書きましたが、大講堂は昔から壇上の声が増幅して聞こえる設計になっており、
マイクを使わずに二階の奥にまで声が届きます。
しかし、どんな声でも聞こえるかというと、そうでもないとこのときわかりました。


政治家で演説をし慣れており、かつ分かりやすく言葉を区切って喋る若宮氏、
自衛官らしくハリのある声ではっきりと言葉を発する海幕長の後に、
英語で比較的穏やかに話すオーコイン中将の言葉は聞き取りにくかったです。

中将も海幕長と同じように自分が士官候補生から士官になった日のことを
スピーチに織り込んでおり、それは36年前であったということでした。

ちなみにチリ大使館の人の挨拶には翻訳がアナウンスされましたが、
こちらは下書きが学校側に提出されなかったらしく(笑)翻訳なしでした。

もう一人の来賓祝辞を行なったのは秋岡江田島市長

「ここ江田島は今から129年前、明治27年に海軍兵学校が東京築地から移転し、
その後、昭和31年、今から61年前に海上自衛隊をお迎えしてから
現在に至るまで自衛隊の皆様との縁を大事にしている地でございます」

この時に知ったのですが、東京に「東京江田島ファン倶楽部」なる組織があり、
東京周辺に在住で江田島市にゆかりのある人、関心のある人が情報交換をする
場になっているようです。

かつて江田島で幹部候補生時代を過ごした自衛官も数多く参加している、
ということのようですが、後でこの時の

「またここ江田島で皆様とお会いできる日を楽しみにしています」 

という言葉が、連載第1回目でも取り上げた

「幹部自衛官は江田島に対してどんな思いを持っているか」

という話題につながったのでした。

ここに来るのも気が重いという自衛官がいれば、東京の地で
ファンクラブなるものに入って江田島とつながり続けている人もいるということです。

後からこのページを発見し、もしかしたら秋岡市長は挨拶の中で
さりげなくこのクラブの宣伝をしていたかも?と思いました。

東京江田島ファン俱楽部入会申し込みページ

式後半、椅子が一つ空いていたのが気になって仕方なかったのですが、
ここに座っていた候補生は行進が始まるまでには戻ってきて安心しました。

というところで閉式となりました。
候補生が立ち上がって起立する前を、来賓や
幕僚などの自衛官が段奥の控室に戻っていきます。
民間人らしい外国人の夫妻がいますが、例えば英語の先生と
その奥さん、という感じでしょうか。

奥さんらしき人は、貴賓席の方を見上げていますが、ここではこの時、
三笠宮の女王殿下と呉地方総監が引き揚げている最中だったはずです。 

 

今回は遠くて様子が見られなかったのは残念でしたが、呉音楽隊が、
二階バルコニーで
行進曲「軍艦」の演奏を始めました。
その開始と同時に行進を始めた候補生たちは一列ずつ反対側に向いて退場していきます。

この後彼らは控室で最後に候補生から幹部の服装に着替え、
家族と昼食をとる予定となっています。

最後の一団が出て行った大講堂。
今度彼らがここに戻って来るのはいつのことでしょうか。

さて、この後は午餐会となるわけですが、大講堂から会場まで
今回はグラウンド側を通って歩いて行くことになりました。
エスコートの大尉殿と世間話をしながら会場まで連れて行ってもらいます。

この写真で前方を歩いている一団も、わたしたちのように
来賓と彼らをアテンドする自衛官という組み合わせのようです。

グラウンドには船と同じマストがあり、根元になぜか
サッカーゴールが二つマストを挟むようにおいてあるのが印象的。

マストには「U」と「W」、「ご安航を祈る」を意味する信号旗が揚げられていました。

 

続く。