佐世保から長崎までの護衛艦「あきづき」クルーズも、入港の瞬間を迎えました。
曳船が「あきづき」の向きを変え、徐々に着岸していきます。
定位置についてからはさらに結索、防眩物の設置など
山ほどしなければならない作業があり、 待っている身には
結構な待ち時間となります。
わたしは入港作業を最初は左舷側から見ていました。
朝は反対側のチャフフレアランチャーの写真を撮りましたが、
この筒一つ一つに番号が打ってあるのはこの時初めて気づきました。
ところで、これなんですが。
ブリッジの下を通過して、造船所が見えてきたときに遠くから写真を撮りました。
艦番号、119。
「あきづき」型は118までですから、それよりも新しい護衛艦・・・・?
そう、わかる方には瞬時にお分かりになったことでしょう。
なんとこれ、
「あ さ ひ」DD-119
だったんですよ。
去年の10月19日、ここで進水を行い、艤装中の最新鋭護衛艦、「あさひ」。
恥ずかしながら、わたしはここに「あさひ」がいることに思い及びませんでした。
え?いつ気づいたのかって?
それはあなた、下艦して岸壁に降り、振り向いてその艦尾に
「あさひ」
と書いてあるのを見たときですorz
まあそれはよろしい。よくないけど。
着岸したあとの作業が行われている間というのは艦に動きが全くないので、
わたしと鉄火お嬢さんは一旦士官室に荷物を取りに戻りました。
鉄火お嬢さんがどうしてもキッチンを見たい、とその前から言っていて、
しかし食事中だったり人がいたりでなかなかチャンスがなかったのですが、
全員が着岸に気を取られている?この隙に、こっそり忍び込むことにしたのです。
というと人聞きが悪いですが、キッチンまで行ってその辺にいた自衛官に
中を見ていいかどうかちゃんと断りましたのよ。
「うわー、誰もいない!」
昼ごはんが終わり、食器も全部綺麗にしてしまったあとで、
無人のキッチンには「嵐の後」の静けさが漂っていました。
ざるには洗った生野菜がラップをかけられて置いてあります。
晩御飯用だな。
この清潔さ、きちんと片付けられている様子をご覧ください。
食材用のポリバケツやざるはきっちりと積み重ねられ、
シンクの水分も一滴残らず拭き取られています。
炊飯器、調理器の上部には調理用具が頭の高さに掛けられて
大変使いやすそう。
ここから「あきづき」乗員約200名の旺盛な食欲を満たす
美味しい料理が毎日、毎回生み出されるのです。
科員食堂にも誰もいません。
入港作業の時にすることがなく休憩したりする乗員はいないってことですね。
四人掛けのテーブルは作り付け、椅子はテーブルの天板の下に差し込んで収納。
食堂を出たところには各種お知らせのポスターなどがありました。
これはいわゆる一つの出会い系パーティー。
実は先日、所属防衛団体の偉い人から電話がかかってきて、
「あなた自衛官の婚活パーティみたいなことしてませんでした?」
「してませんが・・・・どうしてですか」
「いや、今度、うちの支部でもそういうことをするのでお知恵を拝借できればと」
お知恵も何も、それは誰か別の人と間違えているのではと。
それはともかく、自衛官の結婚問題については自衛隊全体の問題ともなっていて、
海曹会などが主催するパーティもあり、もちろんこの「ラ・ジバンシー」(仮名)
のように民間の業者の主催もあるわけですが、所属する防衛団体主催でも
こういうことをやっているのを初めて知った次第です。
さて、少し時間を巻き戻して、入港作業の様子を。
「あきづき」はじわりじわりと進んで、建造中の「あさひ」に近づいていきます。
ちなみにこれは「あきづき」側の上部構造物。
煙突側壁から二本突き出したホイップアンテナは、根元が赤いのが高圧用です。
その向こうの丸いアンテナは衛星通信用の USC-42だと思われます。
一番向こうはヘリ格納庫の上ということになりますが、
この上にアンテナアレイ室を設け、FCS-3Aを装備しているのが
「あきづき」型の特徴の一つでもあります。
赤い籠状のものは何度もここで説明していますが、速力標。
上下の位置の組み合わせで現在の速力を僚艦に伝えることができます。
近づくにつれ、隣の艦の何にもなさにびっくりしました。
主砲は梱包された状態で既に定位置に置かれており、その形から
「あきづき」型と同じ5インチ速射砲だろうと思われますが、
VLSのセル部分には周りにやぐらが建てられ、見えないようになっています。
体験搭乗者を乗せた「あきづき」が横付けするからというより、
武装の取り付けはこのようにして見えないように行うものなのでしょう。
アンテナ類はお皿のようなTACAN(戦術航法装置)、リングのような対空レーダー、
そしてCIWSみたいな形をしたヘリコプター用データリンク装置と、
おなじみのものがもう既にここからも確認できます。
ブルーシートのかかっている部分はちょうどFSC-3Aなどがつくはずですが、
工事中で艦橋そのものの部分を隠してあります。
ドアの内側とか、塗装がまだできていませんね。(もちろん床も)
ウィングの手すりもよく見たらまだ全くなく、仮設です。
そしてこんなの初めて見た!何も乗っていない台座!
ファランクスCIWS(高性能20ミリ多銃身機関砲)は一番最後に載せるのかしら。
アメリカの中古車センターでよく道路沿いに踊っている「風船人形」
みたいな赤のチューブは、排気チューブであろうと思われます。
ブルーシートのかかっていない上部構造物艦橋のさらに上部分。
航海艦橋の横に長い窓部分はこの下にあります。
さらにその上部分となるわけですが、ここは一体何?
さらに煙突と上部構造物中央部から後部にかけて。
これも随分従来の形とは違っているようですね。
覆いがかけられているのがすなわちどれも武器関係ってことでしょうか。
写真を撮られてネットに上げられても大丈夫なように。
しかしもし、この日のエントリが後日いきなり消えたとしたら、
それは自衛隊からクレームが来たときですので、その時には
これらの写真は公開してまずかったんだなと解釈してください。
防眩物を挟んで、「あきづき」と「あさひ」がぴったり並びました。
こうしてみると、両艦の構造の違いがよくわかります。
んー、なんか煙突が小さくないですか?
甲板の、上部構造物を出たすぐのところで溶接作業をしていた人。
火花が出ているところは撮りそこないました。
自分の体につけた命綱を手すりに掛けて作業しています。
岸壁には参加者がチャーターしたタクシーの運転手や、自衛官らしき人が待っています。
わたしたちもタウシーを頼むかどうか聞かれたのですが、バスを選択しました。
艦を降りると(降りる時の『はよ行かんね事件』については前回お話しした通り)
「ありあけ」がすぐそばにいました。
ちなみに「ありあけ」という字の右側に二つあるラッパみたいなのは、
デコイランチャーで、 ホーイング魚雷の攻撃を受けた場合、
艦艇の推進音に似た音源を発し、ホーミング誘導の感知するターゲットを
誤認させて魚雷の目標を欺き、攻撃をそらせるためのものです。
これを「曳航具4型」と呼ぶそうです。
ここで初めてわたしたちは「あさひ」の文字を見てびっくり。
「あさひだったんだ・・・・」
といまさらのように感動したのでした。
入港したらそこが艤装中の「あさひ」の隣だったなんて、
ある意味、今回の航海でわたしが一番ワクワクしたことだったかもしれません。
せっかくなので少し拡大してみるのだった。
ふむ、どうやら後部格納庫上の CIWSはもう設置されているようです。
改めて思うんだけど、もしかしたら、つまりわたしたちって、
「あさひ」の甲板を歩いた最初の民間人
(工事関係者以外で)だったのではないか?
ところで、「あさひ」が進水した時、中国はそのこと大々的に伝えました。
もし中国の中国版イージス艦052Dと戦ったら、「あさひ」など鎧袖一触、
必ず我が軍は勝つだろう、などと人民も盛り上がっていたようです。
「その前にそうりゅうに沈められるんですけどね」
「なんで1対1で戦わなきゃならんのだ」
「052Dの対艦ミサイルはこんごうが迎撃します 」
「中国の潜水艦はあさひに阻まれて日本艦隊に近づけません 」
「中国艦隊はそうりゅうに攻撃されて一方的な展開になります」
「なんで対空能力を強化したあきづきの後に
対潜能力を強化したあさひを造ってるのか考えないのかね 」
「どう防御できるかが現代では重要だろ
おまえら対艦ミサイルや潜水艦の攻撃防げるの」
などと日本側ではそれを受けてこちらのネットも盛り上がったようですが。
高いソナー精度でレーダーや電波発信源を全てカットでき静音性にも優れているので、
特に音に関してなんの配慮もしていない中国海軍の空母や潜水艦にとっては
脅威だと感じているからこそ、人民も高い関心を持つのでしょう。
やっぱり武力装備は抑止力に通じるってことですよ。
岸壁からは門までなぜかエスコート役を行っていた給養長に連れて行ってもらいました。
(わたしは二人の後ろをついて行ったので話はしていません)
さすが船会社、「船装課」なんてのがあるんですね。
トラックに「動くぞ!!」と書いてあるのがじわじわ来ます。
出口近くに菊の御門のレリーフがありました。
これはもしかして創業時の・・・・?
「明治7年創業同10年?功」
という文字、二つの菊の紋章と三菱。
この碑が建立されたのは昭和43年のことだそうですが、その際、明治年間に
この「立神ドック」に掲げられた菊の紋章や三菱を集めているのです。
三菱マークが取り付けられたのは明治28年だったそうです。
そういえば戦艦「武蔵」もここで進水したんでしたっけ。
船台は計算を重ね、その結果武蔵の巨体が対岸にぶつかるギリギリにピタリと止まり、
関係者は胸をなでおろしたとかなんとか。
その話も実際に立神ドックを見れば納得です。
というわけで、三菱造船所の立神ドックの通用門を出ました。
バスの車窓から撮った写真。
行けども行けども三菱の関係の施設が続きます。
というわけで、バスで長崎駅前までやって来ました。
さすがは長崎、こんな建物が・・・ってこれは何?
グラバー邸?(いきなりいい加減)
鉄火お嬢さんと駅ビルのアフタヌーンティーのティールームに入り、
バスの時間までおしゃべりをしました。(いわゆる硬派なガールトーク)
アフタヌーンティーセットを一つ取り、仲良く半分こ。
鉄火お嬢さんはなぜか福岡空港、わたしは長崎空港へ。
長崎駅から空港までは小一時間くらいかかります。
空港のビル天井には長崎らしい龍のモチーフのステンドグラスが。
タイル絵の天草四郎時貞と島原の乱における一揆軍の行列。
カリスマ的人気で一揆軍の総大将になった天草四郎ですが、
当時まだ十代半ばで、神輿として担がれていたというのが実態だったとか。
それにしても、
幕府側には天草四郎の姿や容貌の情報が全く伝わっておらず、幕府軍の陣には
四郎と同じ年頃と見られる少年たちの首が次々に持ち込まれた(wiki)
って酷すぎない?
わたしにとって初めての長崎は造船所と駅と空港だけでしたが、
今度こういう歴史遺跡をめぐるために来てみたいものです。
もちろん軍艦島見学も!
それでは、艦長からいただいたエスペランサ・キャットのメダルを自慢しながら
「あきづき」体験航海記を終わりたいと思います。
体験航海にお誘いくださった鉄火お嬢さん、何かとお気遣いをいただきました石井艦長、
そして「あきづき」の乗員の皆様、本当にありがとうございました。
心からお礼を申し上げます。
「あきづき」シリーズ終わり