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「日本勤務はエリート搭乗員の証」〜在日米軍基地見学記

2017-03-05 | アメリカ

地球防衛協会(仮名)で米軍基地内の見学をしました。

お話をいただいたとき、わたしは勝手に「沖縄の」だと思い込んで、
あの”どじん”と図星を指された連中のどじんぶりを実際に見られるのかと
思わず血湧き肉躍ったものですが、よく考えたら、
そんなややこしいところに今どき日本人の見学を入れるわけないですよね。

見学者のふりをして中で暴れる輩がでてくるかもしれないし。

というわけで、沖縄ではなく、神奈川県綾瀬市と大和市にまたがる
米軍と自衛隊が共同運用している航空基地に行ってまいりました。

訪問団は10人ほどの集団。
まず、藤沢駅(だったかな)の前で待ち合わせです。
乗り換えた町田の駅の大きなのにはびっくりしましたが、そこから
数駅行った藤沢はご覧の通りの駅舎で、駅前ものんびりした佇まい。

ここに迎えの車がやってくるのでそれで基地まで行きます。

最寄りの駅というからすぐだと思ったら、結構遠いのに驚きました。

参加を決めたとき、パスポート通りの氏名住所の提出が要求され、
当日はパスポートを持ってくるようにとくどいほど念を押されていたのですが、
ゲートではそれらは一切チェックされることはありませんでした。

あとで現地の広報の方に

「チェックなかったですね。いつもこんなものですか」 

と尋ねると、いつもそうではなく、チェックをすることももちろんあって、
パスポートを忘れた団体の一人だけが入れず、
外で待っていなければいけなかったこともあった、とおっしゃっていました。

団体の身元がしっかりしているため、信用されたのかもしれません。

ゲートをくぐるととたんに見えてきたスプリットベーン付きの飛行機。
米軍ではすでに退役したF-4、ファントムIIです。

車から降りることがなかったのでこの角度からしか撮れませんでしたが、
尾翼の色から、第5空母航空団の第27攻撃隊所属ではなかったかと思われます。

アメリカではホーネットと置き換えられていったので海軍では86年、
海兵隊でも92年、空軍では96年に全て退役した機体ですが、
これらをライセンス生産したこともあって自衛隊では未だに現役です。

F-35が運用になるまでですから、あと少しは日本の空を飛ぶのを
見ることができるというわけです。

アメリカの軍人さんが日本に来てF-4が元気に(アップデートしてますが)
飛んでいるのを見たら、結構嬉しかったりするんだろうな。

基地敷地内にはいたるところに航空機が展示してあります。

別に柵で仕切っている様子もありませんし、のどかなものです、
夜にはライトアップするみたいですね。

こちらもF-4。
緑の機体は、第195戦闘攻撃飛行隊のマーク。
機体には

"CHIPPY HO!"

と書いてあります。
編隊のコールサインみたいですね。

チッピーは多分自分たちのことで、「チッピースパロウ」(雀)の
愛称、「ホー」は呼びかけ。
おそらく「雀ちゃんたち、いくぜい!」みたいなノリかと思われます。

内部見学はそれほど頻繁に行われるわけではないそうです。
防衛省の見学にも事前の登録と当日の身分証明が必要ですが、
それでも中国人観光客が「見せろ」といって押しかけてきている現場を
わたしは目撃していますし、ここでも内部を公開することは非常に慎重です。

しかし、内部見学には一定のパターンがあるようでした。
まず、見学者は司令塔のある建物に案内され、そこで
基地についてのブリーフィングを受けることが決まっています。

ブリーフィングの行われた会議室がずらりと並ぶフロアには、
日米国旗、アメリカ海軍旗と各部隊の旗が整然とならべてありました。

全部調べたわけではありませんが、ここには海上自衛隊旗はなかったと思います。

マホガニー調の壁にフカフカの絨毯。
自衛隊の施設にはちょっとありえないくらい豪華な内調の
会議室に、我々は案内されて目を見張りました。

「はえ〜」

冒頭に貼った木彫の基地章を中心に、幾つかの写真が飾ってあります。
ホーネットに手を振る女子たち。
もしかしたら、外地から帰ってきたパイロットを迎える家族でしょうか。

 

一部しか写っていませんが、このローターでわかるオスプレイ。
反対派の標的となって久しいオスプレイですが、地元住民には
ホーネットほどの騒音は感じられないと言われています。(当然)

厚木基地で騒音を理由に反対運動してた連中が気付かぬうちに
背後でオスプレイが離着陸していたとか、オスプレイに気付かず、
後から来たチヌークやブラックホークに向かって叫んでいたとかいう
ほっこりする話もあるようですね。

重厚なテーブルに革張りの椅子。
座ってみたらとんでもない座り心地良さでした。

正面に大小3つ(!)設置されたモニターには

「ようこそ米軍基地へ」

我々もしかしてすごく歓迎されてるー? 

テーブルに謎の切れ目発見。
テーブルの下を覗いてみたら(覗くか?) 照明器具が収納してありました。 

各自の前には基地のパンフレットと友好バッジ?が。
男性の参加者の中にはその場でジャケットの襟に付けている人もいました。 

そして、ブリーフィング開始。
レクチャーしてくれるのは当基地勤務の広報担当の女性です。
彼女は民間人で基地には外から車で通勤してきているそうです。

最初はアメリカ軍の指揮系統図から。

在日米軍司令官の下に空港施設司令であるブッシー大佐が、
この基地の最高司令官となります。

基地全体の使用状況が一目でわかる色分け地図。
米軍単独使用の部分は案外少ないという印象です。

緑の共同部分はほとんどが滑走路。
海上自衛隊の単独使用部分はないみたいですね。

第51海洋攻撃ヘリコプター飛行隊のマークは、
ポセイドンの銛を持ったサムライです。 

関東ではここが唯一の米海軍基地なので、
ここが第5空母航空団などの任務を支援する根拠地となります。
西太平洋地域での兵站支援の一端を担っているのです。

米海軍第7艦隊所属の空母艦載機の修理、補修、偵察基地として
ここに航空基地が開設したのは1950年(昭和25年)のことです。 

第5空母航空団は、空母「ロナルド・レーガン」に艦載される
航空団のことで、地上基地をここに置いています。

4つの戦闘攻撃飛行隊、電子攻撃飛行隊、早期警戒飛行隊、
ヘリコプター部隊、後方支援飛行隊で構成されます。

画面に「ミスひとつが大惨事を招く」とありますが、そのため
空母の離着艦を行う第5空母航空団に所属するパイロットは
本国で厳しく選抜された特に技量の高い者ばかりだそうです。

この航空基地が住宅街の真ん中にあることも、彼らが
パイロットの技量を厳選する理由だそうで、米軍搭乗員の間では
第5艦隊勤務は「スーパーエリートの証」といわれているとか。

米軍と硫黄島の関わりについても説明がありました。
エリート航空隊に選ばれたパイロットといえど、このように

日本に来てからも着艦訓練を弛まず行っているのですが、
海上自衛隊はその訓練支援をしているという話です。

かつてこの島で血で血を争う戦いを行った両国海軍が・・。

右の写真を見ると、島の面積に比して滑走路が大きな部分を占めていますが、
これだけ大きければ、この地域で戦死した人たちのご遺骨など
滑走路建造時に考慮されることはなかったろうなと思われます。

「滑走路の下にまだご遺骨が」

という問題について聞いたとき、まさかこんな大きいとは思っていませんでした。
これを見る限り、コンクリートの下のご遺骨はかなりの数なのでは・・。



さて、あとで、この見学をお膳立てしてくださった防衛省の方から
かつて仕事で行ったという「硫黄島の想ひで」を伺う機会があったので、

「砂や小石でさえも持ち帰らないようにと言われるそうですね」

と水を向けてみると(笑)

「いや、それがですね。わたし恐ろしいものを持ち帰ってしまいまして」

「え・・・・っ」

「硫黄島から帰ってからアカアリが一匹見つかったんです」

「(なんだアリか)でも一匹でよかったですね」

「それが、退治したつもりだったのに、しばらくして魔法瓶の蓋を取ったら」

「蓋を取ったら?」

「口の周りに び っ し り とアカアリの集団が」

「いやああああ〜〜〜〜」

検閲を逃れたアリが暖かいところを求めて魔法瓶の口にたどり着き、
なんとそこで繁殖していたというお話。 

もしかしたらこちらの方がずっと怖いかもしれない。

ちなみにこの方によると、硫黄島には現在ヤギが生息しているそうです。

「ヤギなんてもともといたはずはないし、
海兵隊が持ち込んだとしか思えないんですよねー」

そうなのか海兵隊。


在日米軍見学記、続きます。