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海軍兵学校同期会~「男たちの大和」ロケ地

2015-02-10 | 自衛隊

それにしても「陽炎に心許すな草枕」という正岡子規の句碑が
このアレイからす小島にあるのは、なぜなのだろう、と調べたところ、
日清戦争に従軍記者として参加する船が呉を出発することになっており、
子規は自分の乗る船の出航まで広島に滞在して待機して、
一足先に従軍する新聞「日本」の記者である古島 一雄
(のちに政治家に転身。創価学会の前身を作った人物でもある)

の軍艦「松島」による出航を呉で見送ったからだそうです。

前回色々とこの意味について深読みしてみましたが、この句碑の除幕式で参列者が

得体の知れないものに心許すなと意味で、
当時の国際紛争に備えた心構えとも受け取られ、
子規の風姿が目の当たりに偲ばれる」
 

と説明していたことがわかりました。
この時出席した呉市長は、

示唆に富んだ俳句で、国際貢献に出発する
海上自衛隊を送る言葉としても最適です」

などと関係付けているようですが、そもそも観光ボランティアが句碑の設置場所に選んだ
ここ、
アレイからすこじまというのは、

「自衛隊基地を眺めるため」

に整備された遊歩道なのです。
つまり、「自衛隊基地がなければここに遊歩道はなかった」のであり、この言葉は最初から
「自衛隊の基地に相応しい」
と判断された故にこに置くべし、と決められたようですね。



バスが鐵工所の巨大な敷地を通り過ぎてすぐ、
護衛艦カラーが埠頭に点在しているのが見えてきました。
少し前回説明した音響測定艦「はりま」などが過ぎ、潜水艦救難艦の「ちはや」が見えます。

今新しい潜水艦救難艦を作っているそうですが、
そのときには「お城シリーズ」の名前のはずなので、

「あおば」

はどうかという話をさせていただいたことがあります。




立派な石柱の門が見えてきました。
昔から変わらずここにあるものです。



遊歩道で立ち止まってガイドブックを見ているらしい男女4人組。
観光に来た二組の夫婦といった感じです。




ところでこの写真ですが、なんだか桟橋の周りに爆弾みたいなものがたくさん浮いています。



ズームしてみると、よく船を隣接して停泊するときに
間に挟むゴムボールのような緩衝材らしいことがわかりました。
正式名称は知りませんが、なんだかこうしてみると危ないものみたいです。



遊歩道を手をつないで散策する二人。
護衛艦や潜水艦を見ながらのデートは(人にもよりますが)さぞ盛り上がることでしょう。



海上自衛隊潜水艦桟橋。
先日「海上自衛隊と『男たちの大和』」というエントリで、
呉の海上自衛隊が映画に撮影協力した部分を取り上げて話しましたが、
「大和」に乗り込む唐木兵曹を見送る妻のシーンは、この門を
内側から外に向かって撮ったものだと思われます。

唐木の妻が赤ちゃんを抱いて「あんた!」と夫に呼びかける前、
唐木は他の乗員とともにこの門をくぐってきます。



上の写真を反対側から見たところなのですが、違う部分がかなりありますね。
門扉は木にわざわざ取り替え、警衛の詰所や案内板など、設置した部分多数、
一番びっくりするのは鉄柵の前に(
おそらく)張りボテのコンクリート塀を付けていること。

ガードレールはCGで消したのかと思っていましたが、キャメラが写っているので
どうやらこのシーンのために
ガードレールまで外してしまったみたいですね。



ガードレールを外したという痕跡は全く見られないのですが、
ただ、この撮影はもう10年以上前に行われていますので・・・。



ここは潜水艦基地。
アレイからす小島では、毎週日曜日に艦艇公開をしていますが、
潜水艦だけは決して公開されることはありません。
公開しても中に入れるわけではないのでね。




潜水艦の司令塔と舷門の警衛をズームしてみました。
写真や観艦式で、いつもこの司令塔上部から人が立って顔を覗かせているのを見るとき、
「この部分の立ち所はどうなっているのだろう」と不思議で仕方がありません。

こればかりは「てつのくじら」でも見ることができないですし。

ところで潜水艦乗りだった呉地方総監を表敬訪問した時、総監は「てつのくじら」について、

「潜水艦をああやって公開することそのものがずいぶん論議があったし大変だった」


とおっしゃっていました。

旧型で、さらに艦のごく一部とはいえ、秘匿性を堅持すべき潜水艦を
一般に公開することに対する懸念が各方面から寄せられたということらしいのですが、
議論の結果、広報の意義を重視しようということになり、展示が実現したということでした。




これは、支援艦かな?

支援艦は自衛艦籍がないので、自衛艦旗を揚げることはありません。



さっきのとは違う潜水艦。
潜水艦なんて「何型」とかどこで見分けるんだろう、とかねがね思っていましたが、
「いせ」艦上から「そうりゅう型」を見て納得しました。


司令塔の前方下部が、艦体と直角であれば「おやしお型」です。
上は「おやしお型」ですね。

「そうりゅう型」は、司令塔の下部がカーブを(洒落?)描いています。




潜水艦の舷門警衛の隊員は、なんと艦体の上に直接立っていました。
遠くから見ると岸壁に見えたのですが、写真を撮ってみると横に人一人立てるくらいのテントがあります。
雨が降った時とか日差しの強い時には、
ここに入っていていいってことかなー、
などとさらに勘違いしていたのですが(笑)これ舷門、出入り口だったんですね。
停泊中はここから出入りするため、いつもハッチを開けているわけだから、
風雨が艦内に入ってこないようにこういうものを立てるのが慣習になっているのでは・・?

今あらためて最初の潜水艦の司令塔写真を確かめたら、こちらも警衛は艦体に立っています。
 



ここから少し走ると、米陸軍の基地みたいなのがありました。
調べたところ「在日米軍宿舎」だそうです。
なるほど、自衛隊の敷地だと米軍も安心ですよね。(適当)

赤い看板には、

「100% ID CHECK」

の下に、

「FP CONDITION ALPHA」(警戒警報A)

という謎の?表示、さらには

COR3(天候コンディション3)

と表示されています。 





ここはお馴染み、というか「さみだれ」見学のときに来たことがあります。
地図上の名称は

海上自衛隊呉造修補給所工作部

と言います。 



さて、このツァー、たまたまわたしは行きからバスの「左舷側」に座っていました。

この自衛隊基地も、もし右側の席を選んでいたなら反対側でしたし、
この後に続く
すべての自衛隊関係の施設は左側に現れました。

つまりこの後の造船所も、地方総監庁舎も、大和ミュージアムも、
すべてそれらはわたしの座った側に見えました。

そりゃそうですよね。左側が海だったんですから。


このバスに乗ったままの観光には帰路に乗務した女性ドライバーの配慮がありました。

本来、アレイからす小島は幹線道路から離れているのですが、
彼女は、わざわざこれを見せるために海沿いの道を選んで走り、そのほかにも
一行と関わりのある海軍施設が見えるようなコースを選んでくれたようです。


というわけでこの運転手さんに対しても大変感謝していますが、これも、
日頃のわたしの海軍海自的知識研鑽への精進に対して、

神様がちょっとした便宜を図ってくれた結果だと思うことにしましょう。 


続く。