ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「重臣と青年将校 陸海軍流血史」~5・15と相沢事件

2015-02-24 | 映画

というわけで、映画「重臣と青年将校 陸海軍流血史」、(長いんだよこのタイトル)
やっとのことで、この後青年将校たちが軍事政権確立のために起こす、幾つかの事件の緒となる
「三月事件」「十月事件」の謀議までたどり着きました。


 

もう一度出してくる「桜会」の謀議の模様。
綺麗に右に海軍、左に陸軍と並んでおります。
陸軍の一番前にいるのが、橋本欣五郎中佐とともに「桜会」を結成した長勇
海軍側の一番前が、これに続く5・15事件では首魁となった三上卓海軍中尉です。
三上中尉を演じているのは中村竜三郎という俳優です。

顔つきがどうも歌舞伎役者みたいだし名前が名前なのでもしかしたら、と思いましたが、
歌舞伎の中村とはあまり関係なさそうです。
時代劇を中心に出演していた俳優さんのようです。


三上中尉は5・15のとき首相官邸を襲撃した中心人物で、犬養首相と対峙した時
「話せばわかる」と首相に言われて一瞬その気になり、応接間に付いて行った士官です。




「桜会」で海軍側の代表であった藤井斉(ひとし)中尉

(映画では少佐となっているがこれは間違い)やってくるなり

「今度の計画は手荒くやろう」

などと、海軍の流行り言葉で熱く意気込んで見せます。
首班に戴こうとした宇垣陸軍大将に、冷たく袖にされた彼らは

「荒木(貞夫)閣下以外はあてにならないので、我々だけで一挙にやりましょう」

と小規模での反乱を企画します。(10月事件)
帝都に戒厳令が出されれば同志が呼応して立ち上がると期待してのことでした。

 

この決起には、霞ヶ浦の爆撃隊などが参加する予定になっていました。

藤井中尉は霞ヶ浦航空隊の航空学生出身で、同志を募っていたということです。

このシーンは戦時中のフィルムを流用しているようです。

 

しかし、青年将校たちがあてにした唯一の人物荒木貞夫も彼らの計画反対の意を唱えます。
荒木はその思想行動から、一時は皇道派青年将校たちのアイドルのようになっていましたが、
だからといって、革命政府の首班に担がれることまではまっぴらごめんという立場でした。

荒木は自分で育てた青年将校たちが暴走しだしたので、慌てて憲兵隊を出動させ、
橋本中佐らの計画を止めさせるとともに、スタンバイしていた各部隊を抑え込みます。



「部隊に出動中止命令が・・・・!」


橋本中佐にも憲兵の手が迫ってきていました。



こちら霞ヶ浦航空隊。

爆撃隊と計画を練っていた藤井中尉の元にも知らせが入ります。

「計画は失敗しました!」


 

ぐぬぬぬ・・・・バン!
とテーブルを叩くわかりやすい三上中尉。




こちら歩兵第三連隊。

そう、ここでやっと、2・26の将校たちが登場してきたのです。
ただし後年一番有名になったため主人公となった宇津井健演じる安藤輝三大尉は

この時点ではまだ顔出しもしておりません。

ここでの中心はまだ停職免官になる前の磯部浅一
磯部自身も貧農の家の出身で、村の篤志家の援助で軍人になった人物ですが、
昭和飢饉のため困窮する農村を見ていられず革命に身を投じました。
十月事件の失敗を聞いた彼らは憤慨します。

「待合なんかで計画を立てるからこんなことになるんだ!」

そう、これわたしもそう思います。障子と薄い壁だけで仕切られた日本の屋敷はどうもね。
失敗の原因はこれじゃありませんが。




さてこちら、憲兵の手から逃れて身を隠している橋本中佐。

どこにいるかというと、お寺。
なぜか匿っているのが芸者の若駒姐さんです。
なぜお寺で芸者が軍人をかくまうのかよくわかりませんが、映画だからそうなったようです。

橋本中佐、計画の失敗を気に病み、よりによって仏前でピストル自殺しようとします。
匿われて居候しているというのになんて迷惑な奴なんだ。後のこととか考えろよ。


と思ったら案の定、ピストルを構えた途端、若駒がまろび出てきてそれを止めるというお約束。

「よく止めてくれた」

などと言いながら、橋本中佐はそのときタイミングよく
捕まえにお寺にやってきた憲兵に
おとなしく身柄を預けるのでした。


それにしても憲兵に橋本中佐の居所がどうしてわかったのでしょうか。
これって若駒が通報したんじゃないかと思うのはもしかしてわたしだけ?

若駒はこのあと仏前でよよと泣き崩れるのですが、
実在の橋本欣五郎はこのあと検挙されるも、謹慎20日で済んでいます。
もうほとんどお咎めなしということだったわけですから、
若駒姐さんも泣かなくたって20日で橋本少佐は帰ってきますよ。


ちなみに戦後、橋本欣五郎は極東国際軍事裁判、通称東京裁判で有罪となり、

カテゴリA戦犯として終身刑に処せられます。
獄中で詠んだ句は、

「思い残す こともなけれど 尚一度 大きなことを なして死にたし」

まだ革命の夢を捨てきれんかったようです(・_・;
超余談ですが、橋下には出獄後結婚した三度目の妻がいましたが、(若駒か?)
橋本の臨終間際に離婚を申し出て去ってしまったということです。

合掌。



 

さて、10月事件に失敗した海軍の藤井中尉は大尉に任官、上海事変では
「加賀」乗り組みの航空隊長として出征しました。

この映画では、藤井中尉、なぜか陸戦隊で戦闘中被弾し、

「内地に帰って腐った奴らを叩き切るまで俺は死なんぞ!」

と言いながらがっくりとわかりやすく死んでいきます。

実際の藤井中尉は空母「加賀」攻撃隊の操縦士として上海上空で撃墜され、
日本海軍搭乗員初の戦死者として歴史に名を残すことになっています。


ついでに、ちょっとした豆知識ですが、
海軍航空隊で、史上初めて空中戦闘を行ったのは空母「鳳翔」の戦闘機隊です。



場面は変わってこちら霞ヶ浦航空隊。



「惜しい人を亡くしました・・・・」

この時には霞ヶ浦航空隊とは無関係だった(はずの)藤井大尉の短刀と写真がなぜか飾ってあります。

「もうがまんできん!藤井少佐のためにも決起するぞ!」



そこで陸軍の磯部一等主計に、共に立つことを迫りますが、
磯部大尉は慎重です。
10月事件で橋本少佐らが失敗したことと、青年将校を抑える統制派(東条英機ら)が
力を得ているので、下手に動けば危険であり、今は慎重であるべきだと考えたからでした。



「わかりました。海軍だけでやります」


と帰ろうとする海軍チームに士官学校学生が後を追ってきて

「自分たち10名も参加させてください!」

どうやら「陸軍士官学校事件」を絡ませているように見えますが史実ではありません。
ちなみに磯部はこの士官学校事件で村中孝次とともに陸軍を免職になります。

 

またもや土浦の料亭で謀議をする一行。

だから料亭は話が漏れやすいと何度言えば(略)

民間人は右翼団体の党員で、犬養首相暗殺と同時に帝都の暗黒化を図る役目。
具体的には彼らは日本銀行や立憲政友会に爆弾を投げ込んだりしています。

 

そして5月15日。
一行はことに先んじて靖国神社にお参りしたようです。
今とは随分違う1958年当時の靖国神社鳥居前の写真をご覧ください。
地面が全く舗装されておりません。
そしてこのころは戦前のオールドカーがまだこのように残っていたんですね。



そして三上中尉らは首相官邸で犬養首相を暗殺。

なぜ犬養首相だったのか?という理由は彼らにもはっきりしていなかったようで、
もともと上海で撃墜された藤井中尉がターゲットにしていたのは若槻内閣でした。
若槻内閣のときにあのロンドン軍縮条約が締結されたからです。

後年理由が色々と推測されていますが、実のところ藤井中尉が

「後を頼む・・・がくっ」

とならなかったらどうなっていたことやら。
なにしろ、彼らの計画は当初

「退廃文化を日本にもたらしたチャップリンを犬養首相と面談中一緒に暗殺する」

というものであったらしいので・・。
ちなみにチャップリンは当日、思いつきで相撲観戦に出掛けた為、難を逃れたそうです。
このときこの稀代の喜劇王が気まぐれを起こさなかったら、歴史はどうなっていたでしょうか。




しかし刑は大変軽く、求刑死刑に対して判決は禁錮15年。5年後には仮出所しています。
この軽すぎる実刑が、2・26への流れを加速したというのは歴史に見る通り。




そしてこの余波で、2・26の余震となる、こんな暗殺事件が起こりました。

相沢事件です。

ちなみに、この役者はすごく変な眉毛を描いているように見えるのですが、
そのせいでとても本物の相沢三郎に似ています。
冒頭画像で確かめてみてください。

「銃殺」でこの相沢中佐を演じたのは丹波哲郎だったわけですが、
どう考えても
この丹波演じる相沢中佐はかっこよすぎて、

「青年将校たちに心酔していた、実直でさえない中年士官」

という相沢の実態からは程遠くなってしまいました。
もともと青年将校たちの革命思想に賛同していた相沢が、
「士官学校事件」における磯部浅一らの停職処分に反発したというのが犯行の動機です。

「天誅~~~!」「逆賊~~!」

と言いながら相沢は永田局長を殺害。
相沢は軍法会議にかけられ、銃殺刑に処せられます。

このときに「やめろ、やめろ」と言いながら現場から逃げ、

上官を救おうとしなかったとされた同室の山田大佐は、それを責められ、
2ヶ月後に「不徳の致すところ」と書き置きを残して自殺しました。

ここにも反乱事件の被害者が一人・・。 


最終回、2・26事件に続きます。