ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

女流パイロット列伝~木部シゲノ「男装の麗人」

2015-02-07 | 飛行家列伝

”乗馬服に鳥打帽姿の粋な眼鏡の若者が、
イートン断髪(クロップ)の令嬢風の二人に挟まれて、ステッキを振り振り歩いてくる。
近づいてきた顔は、確かに雑誌で見た木部シゲノだった。
しかしどう見ても男にしか見えない。

木部シゲノは、日本初の女性二等飛行士として講演会に引っ張り出されたり、
映画会社が出演交渉に来るなど、その人気は大変なものだった。
プロマイドまで売り出され、女学生が大騒ぎだという。
そういえば、その秘密は彼女の男装にあると聞いていた。
しかしここまで男になりきっているとは―。

確かに惚れ惚れするようなスマートな男ぶりだ。

シゲノは自分のことを「僕」と言い、言葉使いも男なのだと中村正が教えてくれた。 

『越えられなかった海峡 女性飛行士朴敬元の生涯』 加納実紀代著

この「女流飛行家列伝」シリーズで取り上げた朝鮮人飛行士、朴敬元について書いたとき、
目を通したこの著書には、このような木部シゲノについての記述がありました。

実は、エントリを制作してから本が到着してしまい、情報の補足に使ったにとどまったのですが、
朴飛行士と同世代の木部シゲノについての記述に興味を惹かれました。

で、今回のエントリ制作とあいなったわけですが・・・・・・・・。


木部シゲノの話に移る前に、この「越えられなかった海峡」について、
というかこの本の著者について、少しお話ししてかなくてはなりません。

これは、ほとんどまともな資料が残されていない朴敬元を、作者自身が
「韓国生まれ」のよしみで興味を惹かれたということで書かれた伝記だそうです。

しかし、この本、しょっぱなからなにやら匂う。

黎明期の女性飛行士の人生を書こうとしているわけですが、出だしでいきなり

「女は飛びたいと思わなかったのだろうか」

ん?

男に少し遅れてそういう女性が、アメリカでも、
当時の日本のような封建的な社会でもわずかとはいえ出てきているわけですが。


飛ぶ」は逸脱の象徴であり、「飛んでる女」(ふっる~)
は誹りを受けた。

エリカ・ジョングの「飛ぶのが怖い」は


ええ?なんですか?もしかしてジェンダーフリー業界の方?


”日本に外交権を奪われてしまったのはその年の暮れだった。
白人の大国ロシアに勝った日本は、いよいよ朝鮮の独占的支配に乗り出したのだ。”

”下駄の音を聞くとぞっとする。
チョッパリ、奴らは獣だ。日本の進歩発展は野蛮だ。
野蛮な獣の日本人に、朝鮮人の高邁な魂を見せてやりたい。
朝鮮人が劣等民族でないことを思い知らせてやりたい。”

”敬元は兵頭精(日本最初の女流飛行家)の失脚を知り、マンセーを叫びたい気分だった。
これで日本の女に勝つ可能性が出てきた。”

”早く一人前の飛行家になって朝鮮女性の優秀さをチョッパリに見せてやるのが”


あの・・・・・もしもし?

わたしの知っている朝鮮併合の史実とは内容が少し違うようなんですが。
もしかしたらあちら側の人ですか?
それに・・・・


この伝記の中で、朴敬元は「チョッパリ」(日本人の蔑称)を二言目には連発しながら、
日本人の飛行士や日本人を罵ったり蔑んだり、怒りに震えたりするのです。
実際に朴がそう言っていたという証拠は何一つないのにもかかわらず。

そもそも「朴が残した文章はほとんどない」と著者自身も書いているのです。
彼女の人柄を示す資料は、「追悼禄」、朴と付き合いのあった男性の息子の話、
その程度であったということなのですが。

そして極めつけが

「日本は朝鮮を植民地に」
「関東大震災で朝鮮人を大虐殺」
「姓を奪い、同胞の若者や女性を強制的に奪い去る日本」

という「ああ・・・」と思わず察してしまうような各所の記述。

というところで、やおらインターネットで検索すると、この人物、

国家による『慰霊・追悼』を許すな! 8.15反『靖国』行動」

で講演をなさっているということがわかりました。

はあ、そう言う方でしたか。納得しました。
道理で1ページ目からなんか匂ってくると思った(笑)

おまけにこの人物、あとがきで

「どうやらわたしは、一人の朝鮮人女性の朴敬元」の〈実像〉を明らかにするよりは、
彼女の胸を借りて自分の疑問をブツブツつぶやいていたような気もします。
19世紀末に生まれ、まだ飛行機が完全に武器として育つ前に死んだ朴敬元は、
20世紀末のフェミニズムの課題を背負わされて、きっと目を白黒しているでしょう」

と自白してしまっています。

さすがは朝鮮半島生まれの団塊の世代、まったく悪びれておりません。 
ていうか、自著でブツブツつぶやくなよ。気持ち悪い著者だな。 

つまり左翼思想でフェミニズム、ついでに反日反天皇をもれなく作品に盛り込んだってことですね。
道理で、朴の周りの日本人には見たところほとんどと言っていいほど「悪い人はいない」のに、
この伝記の中の彼女が、二言目には「チョッパリ」と呪詛の言葉を吐いているはずです。

これらはすべて著者ご本人の心の叫びだったということでしたか。

朴敬元がこれを見たら、フェミニズムの課題云々のお題目以前に

「わたしはこんなに口汚くないわ。
人を呪ったり恨んだり僻んで人をこき下ろしたり、失脚を喜んだりしないわ」

と言ったかもしれません。
もちろん言わなかった可能性もないわけではありませんが、
どちらにしても、この伝記が、思い込みと捏造100%増しの
「創作を装った思想宣伝」であることだけはこれで確定しました。


というわけで、前置きが長くなりましたが(前置きだったのよ)冒頭の、

「朴敬元の見た木部シゲノ」

も、当時の彼女についての資料から創作し、まるで朴が実際に木部を見たように書いただけで、
実際は会ったことも見たこともなかったはずです。




木部シゲノは1903年生まれ。

「男装の麗人」というと、スパイ容疑で処刑された愛新覚羅の末裔、川島芳子、ターキーこと水之江滝子、
比較的新しいところで「ベルサイユのばら」のオスカル、こんな名前が浮かんでくるかもしれません。

しかし、この当時、「男装の麗人」といえばこの飛行家木部シゲノでした。
特に女学生に絶大な人気があったといいます。

「木部しげの嬢 一舞台一万円 日活と東宝で引っ張り凧」

こんな新聞の見出しが記事になるほどでした。
昭和初期の一万円は現在の650万くらいの価値でしょうか。


木部シゲノは、20歳から飛行学校に通い始めます。
当初は運送会社に通いながら苦労して月謝を払ったようですが、そのわずか一年後、
飛行学校を卒業したばかりにもかかわらず彼女は「女飛行士」として世間の注目を浴び、
まだ免許も取っていないのに、上のような新聞記事が書かれる有名人でした。

何しろ珍しいというだけの注目ですから、もし飛行士免許を取れなかったら、
いったいどうなっていたのだろうと余計な心配をせずにはいられません。

本人にとってもおそらくかなりのプレッシャーであったと考えられるのですが、
幸い彼女は、まず三等飛行士免許を取得。
もうこのころになると、人気が沸騰して、各地で飛行演技や講演会の依頼は引きも切らなかったそうです。
そして、日本人女性初めての二等飛行士免許をその2年後に獲得します。
 
上の「朴敬元の見た木部シゲノの姿」は、人気絶頂だった頃の彼女の姿でしょう。

「女房までいるらしいぜ」
並木米三が妙な笑いを浮かべていう。敬元には何のことだかわからない。
「女房?」
「木部シゲノに憧れた女が彼女の下宿に押しかけてきて、
奥さんにしてくれと住み着いてしまったんだそうだ」
「ああ、今はやりのSね」
(中略)
しかし並木は
「 そんな生やさしいもんじゃないらしいぜ」
と嘲るように言う。
「シゲノは女を喜ばせる術を知っているんだそうだ」
あれは異常だよ、と男二人はうなずきあっている。
それだっていいじゃないか、と敬元は思った。
なんで女は、女を愛してはいけないのだろう?


うーん、ジェンダーフリーもここまできますか。
いや、別にわたしもそれがいけないとは全く思いませんがね。

問題は、朴敬元が本当にそう思っていたのかどうかです。


木部自身が本当にここで言われるような「性同一視障害」(と今なら言われる)
であったかどうかはわかりませんが、本人は結婚しない理由を尋ねられ

「飛行機と結婚しましたたい」(シゲノは九州出身)

と答えています。




ところで、木部シゲノという女性は、女性としてみれば失礼ながらさして美人とは思えない、
平凡な容貌をしています。
当時の女性にしては背が高くほとんどの日本人男性と同じ背で、細面で手足の長い「モデル体型」。
いよいよ当時の女性としては「規格外」です。

ところが、この中性的な女性がいったんスーツに身を包むと、あら不思議、
女性としてはごつごつした顔も、男性としてみると繊細な美青年にしか見えないではありませんか。

昨年亡くなった渡辺淳一の初期の短編に、

「女としては大したことがないが、男装した途端、
道行く女たちが目の色を変える美青年に変身する女性が、
女性に男として愛され、彼女は自分が女だと打ち明けられないで悩む」

という話がありましたが、今にして思えば渡辺淳一は、
もしかしたら彼女をモデルにしてこれを書いたのかもしれません。



彼女は男装によって見事に「変身」した女性でした。
いや、彼女自身は全く「変わっていない」わけですから厳密には「変身」ではないでしょう。
ジェンダーの位置を、同じ人間がスライドして「あべこべ」になることで、
本人も思いもよらないような、男でも女でもない魅力的な「第三者」が顔を出したのです。

ですから、木部シゲノは「男装の麗人」というよりは、
「女装より男装が似合っていた女」という方が正確なのではないかと思います。



彼女の男装は飛行学校に通い始めた20歳のときから始まっており、以降、生涯その姿で通したようです。

戦後、航空界に尽力した功績に対し与えられた勲六等宝冠章授与の式典で、
女性に与えられるこのこの勲章を、シゲノはタキシードの胸に付けていたため、
宮内庁のの関係者に大変不審がられた、という逸話が残っているそうです。

このとき彼女は66歳でした。



これほどの有名人でしたが、彼女が飛行家として展示飛行を行っていた期間は決して長くありません。

1928年、25歳の時に展示飛行中横風に煽られた彼女のニューポール戦闘機は、
土手に翼を接触させ、墜落して彼女は重傷を負いました。
それ以来展示飛行をすることはやめ、その三年後には、飛行士を引退してしまうのです。

おりしも日中戦争が起こり、引退した彼女は北京に行き、そこで
グライダーによる飛行指導を行い、太平洋戦争勃発後は、軍事関係の補助員として活動していました。

ですから全く飛ばなくなったということでもないと思うのですが、
戦後は日本婦人航空協会(現・日本女性航空協会)の設立に携わり、
その後は、羽田空港内の協会事務所責任者として活動していました。




さて。

もう一度上記著者による朴敬元の物語に戻ります。
この伝記は、こんな言葉で始まる実に気持ちの悪いエピローグで終わっています。

「空を飛ぶということはそういうことではないだろうか」


どういうことかというと、著者が次に引用してくるのが、
日中戦争で戦闘機に乗って「匪賊退治」をした軍人の1935年の告白です。

「匪賊がウンとおったので嬉しくなりどうしてやろうかと考えた。
(中略)
又ダダダダと落ちる(笑い声)面白くなって随分低空で飛んだ」

この軍人はこのときに1000人以上殺したという。
そして「匪賊」攻撃は、「猟をするように」面白いという。

そして著者は、

空の高みに上がったとき、人間は地上を這いずるものに対して
神のごとく傲慢になるということはないだろうか。
空飛ぶ兵器を手に入れたとき、眼下にあるものに対して
猛禽のごとく攻撃的になるということは無いだろうか」

そして、朴敬元が生きていたらやはりそのようになったのでは、と、
想像をたくましくして、お節介にもそれを嘆きつつ、この物語を終えています。


・・・・・もしかしたら、馬鹿ですか?


いやー、わたしつくづく、この人たちの思想とは相いれないことが
あらためてこの本によって確認できたような気がします。

「飛行機に乗れば人は地上のものに対して殺戮を加えたくなるものである」

というこの人の極論は、ほら、

「軍隊を持てば人は戦争で人を殺したくなるものである」

という、この手の人たちのお好きな主張とまるで同じですよね。
そして、彼女に言わせると当時の女性飛行家たちすら、

「空飛ぶ兵器を縦横に駆使する男性飛行士をうらやんだ」

「機銃を乱射し爆弾を落とし、逃げ惑う敵兵を、猛焔の街を心行くまで眺めたいと思った」

のだそうです。

女性は勿論、男性の飛行士でも、こんなことを考えて飛行士になる人などおそらく
古今東西一人もいない、と、ごくごく常識的な観点からわたしが断言してあげましょう。


なんだかね。
こういう人たちって、「戦争」に忌避感を持つあまり、人間というものを
限りなく信用しなくなるというか、性悪説でしか見ようとしないって気、しません?


「軍隊を持つということは戦争をしたいということだ」
「靖国を追悼することは戦争を賛美することだ」

でもそのわりには、日本にミサイルを向けていたり、反日デモで死人が出たり、
日本固有の領土を乗っ取ろうと画策していたり、
日本を世界的に貶めようとして世界中で悪口外交をするような「敵国」は頭ごなしに
「性善」としてしまうのが謎です。

先日の人質殺害事件にしても、イスラム国は性善説なんかが通用する相手でしたか?

しかもこんな人たちが「9条があっても日本人が狙われ殺害された」という現実に目を背け、
テロ組織への非難も拒否し(例・山本太郎)なぜか自国の首相の辞任を求めてデモしているのです。
ちなみにちょっとした情報ですが、この人たちの正体は

「なくせ!建国記念の日 許すな!靖国国営化」

などという運動をやっているキリスト教系団体だということがわかりました。
ふーむ、「越えられなかった海峡」著者とご同郷ご同類ですか。



木部シゲノが男装という「あべこべ」の幻術で世間を魅了したのは、
どことなくわくわくするおとぎ話のようですが、こちらの「あべこべ」は
「常識」が自分の中で絶賛ゲシュタルト崩壊していくのを感じずにいられません。

どなたか、この「トプシー・タビー」の世界の住人たちが何を理想として誰と戦っているのか、
こちらがわの人間にもわかるように説明してくれませんか?