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海自ヘリ事故の報道と塗り換えられた陸自最強伝説+おまけ

2015-02-20 | 日本のこと


最近起こった自衛隊関係のニュースについてです。
まず、2月14日に墜落がわかった海自のヘリの記事から。

不明ヘリ発見、3人心肺停止=宮崎の山中に墜落―海自


(産経新聞12日記事)

12日午前、鹿児島県の海上自衛隊鹿屋基地所属のヘリコプター1機が
訓練飛行中に行方不明になった。ヘリには隊員ら3人が搭乗。
鹿児島県上空での交信を最後に行方が分からなくなったといい、
海自と空自の航空機が付近を捜索している。

防衛省によると、ヘリはOH6DA。
4人乗りの小型ヘリで、パイロット養成の練習機として配備されており、
海自の学生ら3人が乗っていた。

ヘリは同日午前9時19分に鹿屋基地を離陸。
同11時5分に鹿児島県伊佐市付近での無線交信を最後に行方が分からなくなったという。
ヘリの燃料は同日午後0時20分ごろまで飛行が可能だったといい、
防衛省は不時着したか、遭難した可能性もあるとみて付近を捜索している。

同日午前の鹿児島県上空は雨雲で視界が悪かったという。

(朝日新聞13日記事)

海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)を12日に離陸後、
鹿児島・宮崎県境付近で行方不明になっていた同基地所属の訓練用ヘリコプターOH―6DAの機体が、
13日午前9時20分ごろ、大破した状態で宮崎県えびの市の山中で見つかった。
搭乗していた3人は、搬送先の病院で死亡が確認された。


自衛隊によると、ヘリが見つかったのは鹿児島県境に近いえびの市内竪のJR真幸駅の北東。
第211教育航空隊所属で、3等海佐の山本忠浩機長(39)と40代の3等海佐の男性教官、
20代の2等海曹が搭乗していた。

海自によると、2等海曹は機体の外で、他の2人は機体の下敷きになった状態で見つかった。

ヘリは12日午前9時19分、鹿屋基地を離陸。鹿児島県伊佐市付近まで北上後、
同県出水市付近で折り返し、基地に戻る予定だった。
だが鹿児島空港事務所などによると、同11時前後に空港の管制官との間で

「天気が悪いので迂回して鹿屋へ帰る。(宮崎県の)えびの、小林、都城を経由する」
とのやりとりがあった。
同11時5分ごろ、伊佐市上空付近を飛んでいる、と鹿屋基地と交信したのを最後に連絡が途絶えた。


第一報では「海自の学生ら3人」となっていましたが、
その後「機長・教官・学生」であることが明らかになりました。
日曜日に行われた東京音楽隊の定期演奏会に検閲予定だった武居海幕長は、
自体を鑑みて出席を取りやめたということです。

海幕長は17日に記者会見を行っており、その席でこのヘリコプターが2013年、
機体後部の回転翼に動力を伝える部品が破断し、修理していたと明らかにし、
「これらのことも踏まえ、事故原因を調査している」と述べました。

破断したのは「テールドライブシャフト」と呼ばれる軸状の部品で、
地上での回転翼の動作試験中に折れたそうですが、すぐに部品を交換し、
以降は同様の不具合は起きていないということです。

現時点で事故原因は究明できていません。

さて、そこでお約束のように「付近住民の不安」を拾ってきた社あり。 

(毎日新聞・2月13日) 

「どこかに不時着してくれていたら」。希望を打ち砕く光景だった。
12日に鹿児島・宮崎県境の上空で消息を絶った海上自衛隊の小型ヘリ。
一夜明けて捜索にあたっていた自衛隊が、宮崎県えびの市の山中でヘリ機体を見つけた。
機体とともに搭乗していた自衛官3人も心肺停止状態で見つかった。
「無事を信じていたのに」。
夜明けとともに捜索にあたった関係者は、うつむいた

海自などは周囲が明るくなり始めた午前7時ごろから、捜索を再開した。
現場付近の住民から「雷とは違う大きな音がした」と情報が寄せられた
JR肥薩線真幸駅(宮崎県えびの市)付近を重点的に捜索。
宮崎県警約60人と合同で、上空からはヘリコプターなど5機、
陸上からは500人態勢で機体や搭乗員の行方を捜していた。

捜索開始から約2時間半後の午前9時20分過ぎ「機体一部を発見」との知らせが入り、
周辺は一気に慌ただしくなった。
真幸駅近くの前線本部では地図を広げた隊員らが無線交信に追われ、
既に山中に入っていた隊員らに、現場とみられる滝下山(標高785メートル)
山頂付近に向かうよう指示が出された。
報道陣に囲まれた広報担当者は間もなく
「3人が確認された。未確認だが、脈がない」と沈痛な表情で漏らした

行方不明機が所属する海上自衛隊鹿屋航空基地でも仲間の安否を気遣い、
険しい表情を浮かべる自衛官らが慌ただしく行き来した。
早朝から報道関係者の対応にも追われ、断片的に入る情報にいら立つ関係者も
何度も詰め寄る報道陣に「後輩が乗っていた。私も知りたいんだ」と言い返す自衛官もいた。

大がかりな捜索に、近隣の住民も不安を募らせた。千葉シヅ子さん(77)は
「低い高度でヘリコプターが飛んでいたので、怖いとは思っていた」と表情を曇らせた。
別の70代女性は「こんな近くに落ちていたとは」と顔をこわ張らせた。
【重春次男、杣谷健太】


まずは殉職された3人の隊員の皆様のご冥福をお祈りいたします。

働き盛りの幹部二人とまだまだこれからの若い練習生の死。
いつも危険と隣合わせの任務とはいえ、ご家族はじめ周りはどんなにか無念であることでしょう。
2曹は航空学生で採用され、回転翼の過程に進んだところで、
まだウィングマークを取っていない段階であったのかもしれません。

この記事でわたしの「センサー」にかかった部分を赤文字にしてみました。
早速ですが先日の「おおすみ」事故におけるマスコミ対応に通じる
「煽り」みたいなものを感じますね。

「苛立つ関係者」「言い返す自衛官」

これらからは言外に「事故を起こしておいてその当事者のくせに」という非難が含まれています。
だいたいこういうときに自衛官が群がるマスコミに対して

「私も知りたいんだ」

なんて社会派ドラマの登場人物みたいな言葉使いをすると思いますか?
そして「近隣の住民が不安」という、マスコミお得意のイメージ操作。
まるでヘリが住宅地の真ん中に落ちたような書き方ですが、現場は「山中」。
最寄りの「真幸駅」とやらもグーグルマップで調べてみれば無人駅で、駅前には店らしきものもない、
つまり「付近住民が怖いと顔を強張らせたり不安を募らせる」要素は”あまり”ありません。

おそらく、毎日の記者二人は付近の民家に片っ端から突撃し、高齢の女性を選び、

「すぐそこに落ちたんですよ。おたくも危なかったですね」

などといって、おばあちゃんたちの

「そりゃ怖いねえ」

 という一言を取ってきて、ついでに顔を強張らせたことにしたに違いありません。
たぶんね。
ヘリの墜落といえば、報道ヘリが起こした事故は結構あって、


1984年、朝日放送と毎日新聞のヘリが空中衝突(住宅街に墜落)3人死亡

2004年、信越放送のヘリが送電線に接触して墜落、4人死亡

2007年、静岡でNHKのヘリが貯水池脇に墜落、1人死亡

2008年、青森朝日放送のヘリが海に墜落、4名死亡


これらの事故の時に、報道陣は近隣住民にインタビューしたんでしょうか。
そして、近隣住民の不安の声をお届けしたんでしょうか。
京都の市街地の上空で8機のヘリがニアミスしたということがあったとき、
下で見ている住民が文字通り顔を強張らせていた件はどう記事にしたんでしょうか。

全くこういうダブルスタンダードの報道には怒りを覚えずにいられません。
おい毎日、おめーのことだ!


続いては、第一空挺団の事故ニュースです。

(十勝新聞2月13日)

パラシュート十分開かず 隊員にけがなし 陸自降下訓練


【鹿追】11日午前9時15分ごろ、鹿追乳牛育成牧場で行われていた
陸上自衛隊第1空挺団(千葉県船橋市、習志野駐屯地)の降下訓練で、
隊員1人のパラシュートが十分に開かないまま降下した
陸自第5旅団(帯広)広報班によると、隊員にけがはなく、訓練は続行した。

訓練は9、10の両日、同牧場で行われる予定だったが、
両日とも強風と雪のため中止になり、予備日の11日朝から行っていた。
隊員約170人が参加し、高度約340メートルを飛行するヘリコプターから降下する訓練中だった。

近くで見学していた男性(53)は「何度も見ているが、普通の速度じゃなかった。
膝ぐらいまで雪が積もっていたからけががなかったのだろうか」と驚いていた。

同団は2008年から毎年、管内の民有地や公有地で積雪地演習を行っている。
09年に行った訓練では、ヘリコプターから飛び出した隊員が上空で宙づりになる事故があった。
12年に同牧場で行った訓練の際には、隊員2人が
降下予定地点を約1キロ離れた牧場(民有地)に着地するトラブルがあった。

 
もちろんパラシュートが十分開傘しなかったというのは大変な事故です。
たまたま見ていた人によるとすごいスピードで落ちていったようですが、
もし開かなかったらと思うと、これは自衛隊に徹底した調査をお願いするべき事案
・・・・なんですが、なんだか突っ込みどころが多くて・・・このニュース・・。

まず、

「隊員には怪我はなく」「訓練は続行した」

なんで訓練続行しているんですかー!
いくら怪我がなかったからって大事を見て病院で検査するとかさせてやってよ。
まさか


「大丈夫か!」「レンジャー!」
「訓練続けられるか!」「レンジャー!」

とかいう会話で判断したんじゃあるまいな。


ところで以前、朝霞駐屯地の基地訪問で案内してくれた1佐は、空挺団の降下ビデオを見ながら、


「皆普通に地面に着いた後転がってるでしょう。
これは立てないのではなく、衝撃を逃がすためなんですよ。
パラシュートで降りても2階から飛んだくらいの衝撃があるので」

と教えてくれたもんだ。
わたしが、

「空挺団って階段使わないで2階から飛び降りるって本当ですか」

と聞くと、

「ああ・・お酒飲んで酔っ払った時とかだけですけどね」

酔っ払って飛ぶほうがずっと危険だと思うがどうか。
というわけで陸自超人伝説がまた一つ増えてしまったわけですが、今回は
雪が積もっていたというのが幸いしたのは確かでしょう。
しかし、どこかでソ連だかロシアだかの一個連隊が、雪が深いから大丈夫!
ってパラシュートなしで降下して全滅したって話を読んだことがあるぞ。

そしてこれは微笑ましい。
このニュースの最後にさりげなくある、


「二人が牧場に着地するトラブルがあった」

という事故ですが、これはつまり傘を抱えて牛さんの群れの中を駆け抜けたりしたのね。
パラシュートで興奮した牛に追いかけられたりする二次災害が起こらなくて何よりです。

 


さて、最後にわが自衛隊とは全く関係ありませんが、軍事関係ニュースで笑ったものを。



バーナード・シャムポー在韓米第8軍司令官が「チェ・ボヒ(崔宝煕)」という韓国式の名前を受けた。 

韓米同盟親善協会(ウ・ヒョンウィ会長)によると、6日、ソウル龍山(ヨンサン)陸軍会館では
「2015年韓米親善の夜行事兼米第8軍司令官韓国名命名式」が開かれた。 
この席でウ会長はハングルで

「米8軍司令部司令官チェ・ボヒ中将」と書かれた命名掛け軸を与えた。

シャムポー(Champoux)のイニシャルCからチェ氏を姓とし、
バーナード(Bernard)のBから「宝」の字を入れた後、
「宝のように輝く」という意味を込めて「ボヒ」という名前を付けたと、ウ会長は説明した。 

シャムポー司令官の父が朝鮮戦争当時、鉄原(チョルウォン)地域の戦闘に参戦した縁を考慮し、
本貫は「鉄原(チョルウォン)チェ氏」とした。 
名付けた人は韓国戦争の従軍記者だったソ・ジンソプ協会名誉会長(84)という。
行事に参加したチョン・インボム特殊戦司令官(中将)は
シャムポー司令官の夫人に「全秀鎮(チョン・スジン)」というハングル名を付けた。 

名前を受けたシャムポー司令官は
「私の偶像であり韓国戦争に参戦した父が韓国で体験した話をよく聞かせてくれたため、
韓国はいつも私と一緒だった」とし
「韓国に赴任し、勤務しながら、韓米同盟の強い力を実感し、韓国人の温かさを感じる」
と述べた。 

ウ会長は
「チェ・ポヒ司令官と崔潤喜(チェ・ユンヒ)合同参謀本部議長の名前には共通の文字がある」
とし
「韓国式の名前を通じて両国同盟がさらに強まることを望む」と述べた。 

協会は米国人に民間外交活動レベルで韓国式の名前を贈ってきた。 
2010年にはバラク・オバマ大統領に呉韓馬(オ・ハンマ)という名前を付けた。
ヒラリー・クリントン元国務長官には韓煕淑(ハン・ヒスク)、
コンドリーザ・ライス元国務長官には羅梨秀(ラ・イス)という名前が付けられた。 

 

 
まず、この国の人に聞きたい。
なんで人に勝手に自分の国の名前をつけるのかを。

 日本人はアメリカ人によく「俺の名前漢字で書いてよ」と頼まれて
「サミー」は「寒」で意味はクールってことだよ、などとやりますが、(ネタで)
オバマが「オハンマ」とかライスが「ラ・イス」はともかく、(ネタか?)
なんでいきなり、よりによって「チェ・ボヒ」なんて名前を押し付けるのか。 
しかも頭文字がCだからチェ?Bだからボヒ?  

 

だいたいボヒじゃなくてシャムポー中将、お愛想言ってるけど顔が引きつってるじゃないですかー。
そんな名前つけられてどうしろというのか、みたいな表情がありありです。




さらにこちら。
チャールズ・キャンベルという立派な名前があるのに、
何が悲しくてわざわざキムと呼ばれねばならんのか。

しかもこの名前、キムの後は「韓国を守れ」ですよ。
 
在韓米軍の軍人さんたち、さすがに大国の軍将官だけあって人間ができているのか
ニコニコと表面上は嬉しそうに受け取っていますが、
だいたい相手が望んだわけでもないのに「命名式」。
なんで上から目線なのか。

たとえば第7艦隊の司令官に、

「日本の名前を命名します。山田守です。しっかり日本を守ってください」

といって「山田守中将」という掛け軸を渡すみたいなものですよ。
韓国人の皆さんだって、たとえばですけど南米のどこかに行って、いきなり

「お前はここではゴンザレスな」

とか上から目線で言われたら何それ、って思いませんかね。
こんなことをする割には自分たちは普段本名を名乗りたがらないのも謎(笑)