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知覧特攻平和会館~彼らに贈る言葉

2012-04-04 | 日本のこと

全国で特に特攻隊員の遺品や資料を中心に展示している記念館はここだけだそうです。

前回お話したように、ニューギニアから帰還してきた知覧町出身の元兵士が、
生きて帰ってきたことを、町の人々から罵られ、また責められたにもかかわらず、
いや、だからこそでしょうか、「死ななかったことへの贖罪」として、この事業を手掛け、
平和ヘの祈りの場として、特攻に行った若者たちの慰霊の場として、そして知覧のシンボルとして、
町の人々と一緒になって、この「特攻平和会館」を造りあげました。



隊員の遺影、遺書、遺品、そして四翅の飛行機(飛燕、隼、疾風、海中から引き揚げた零戦)
などが会館に展示され、知覧にはこれを見学する為に、毎日多くの人々が訪れます。

2007年の映画、「俺は、君のためにこそ死にに行く」は、興行的には失敗だったそうですが、
この知覧の特攻隊を今まで知らなかった人々にその存在を知らしめることになりました。
わたしが訪れたこの日、駐車場には自家用車は勿論観光バスがぎっしりと並び、
館内は展示ケースの前にじっと立っていると流れの邪魔になるほどの見学者がいました。

お茶、イッシー、砂蒸し温泉に加えて、この会館が立派な「観光資源」になっているのです。



敵機から認識しにくいように半地下で天井の低い兵舎、三角兵舎の内部です。
この穴蔵のような暗い場所で最後の日々を過ごしてから出撃していったことに、
特攻に対する非人道的処遇の一端を見て、見学者はショックを受けるわけです。


しかし、遺された写真の中で、少なくとも悲愴な様子をしている隊員は見当たりません。
子犬を抱いたり遊びに興じたり・・。
出撃前の瞬間に微笑みを浮かべている者すらいるのです。


会館内には映画も見られるホールがあり、定時には特攻隊員について展示された写真や
遺品を中心に説明するフィルムも見ることができました。
ちょうど開始時間だったので、家族で鑑賞しました。

前が空いていたのでわたしは最前列で一人座って観ていたのですが、
その説明映像というのが・・・・何というのか・・・・・。

例えば、この有名な写真がありますね。
この写真が撮られた翌日出撃していった振武隊の隊員たちです。



この象徴的な写真は、今や知覧特攻隊のシンボルとなっているようで、
鹿児島空港に降り立った途端、観光客はこの写真が使われたこの会館の宣伝を目にします。
このショートムービーではこの写真の説明もされるわけですが、こんな調子です。

「明日死ぬことがわかっていたら私たちならとてもこんな表情はできないでしょう。
これはきっと、彼らが国のために死んでいくことを覚悟していたからに違いありません」

そう、わたしが常日頃から戦争映画に対して苦々しく思っている、
「現代の価値観で彼らを語り、憶説から決めつけた結果ありきで同情する」
そういうお節介な感情操作。
まるで馬鹿に対して一から説明するようなやり方も同じです。

憮然としつつ(これは『落胆して呆然と』という広辞苑通りの意味でよろしく)前列に座っていた
エリス中尉の耳には、案の定、後方のそちこちから鼻をすする音が聞こえてきました。

誤解の無いように言っておきますが、わたしは誰よりもこういう写真に涙腺を刺激される人間です。
今まで、戦記や手記を山のように読むその過程で、溢れる涙で文字が読めなくなったことは
一度や二度ではありません。

しかし、ここのフィルムの、ただ資料を淡々と説明するに終わらず、余計な感情の誘導や操作で
「哀しいですね、かわいそうですね」と泣かせようとするやり方には、
はっきり言って苦々しいという感想しか持てませんでした。
(つまり映像を見て涙ぐみつつ、解説に対して怒っていたわけですw)

戦後日本人の、特攻というものに対する一般的な見方と言ったものが、
必ずしも、特攻で死んでいった彼等を表わすに正鵠を得ているものではないであろうことは、
例えば前回お話したような、「生きて帰って来た者に対する嘲り」や、手のひらを返すような
「戦犯呼ばわり」「特攻崩れという言葉の流行」などを考えると、想像するに難くありません。

勿論、彼らは死んでしまっているわけですから、
その処され方に対して、彼らがどう思うかを知る手立ては、永久にないわけですが。


今回、全館隈なく見学している行程で、わたしはむしろそれを見る善男善女の様子に、
複雑な思いを持たずにはいられませんでした。

「ああー、戦死が昭和20年4月って・・。
可哀そうに、あと4カ月で終戦やったのになあ」

団塊の世代の男性がわたしの横で呟いた一言です。

「かわいそう」と憐れみ、泣いて下さいと言わんばかりの演出入りのドキュメンタリーに涙を流す。
問題は、かれら特攻隊員がそういう目で見られることを望んでいたか、です。



回天の搭乗を命じられた小灘利春氏(海兵72)は、
「貴様らは人間魚雷だ」という一言を聞いたときの気持ちを「特攻 最後の証言」の中で
このように語っています。

聞いて喜んだんです。
潜水学校からは私を含めて七人行きましたが、
七人が一様に喜びました。
我々は命を失わなければならないが、その代わりに千倍、何千倍の日本人が生き残る。
日本民族をこの地上に残すためには我々が死ぬしかない。
それができるなら命は惜しくないと、その瞬間に悟りました。
その夜、遅くまで将来の期待を語り合ったものです。
その時の気持ちは今でも変わりません。


そして、小灘氏は基地回天隊28名の集合写真をインタビュアーに見せています。
「当時の雰囲気をいちばんよく物語るものです」
そう説明する写真は、全員が朗らかに微笑みを湛えています。
しかも写真が撮られた時点で、隊員は全員、何月何日何時頃、
自分がどこで死ぬかも分かっていたのだそうです。

特攻隊は悲惨で残酷な境遇にあったという話ばかりまかり通っていて、
当事者が反論しても、耳を貸してくれない。
テレビも映画も、
ただ非人間的な兵器に無理やり乗せられた被害者だという面でしか語らない。

そして肝心の「彼らが何のために回天に乗っているのか」の説明が全く無い・・・。

小灘氏はまた、海軍用語の監修を頼まれた映画「出口の無い海」で主役が言う
「俺は人間魚雷という兵器があったことを、
人間が兵器の一部となった悲しい事実を、
後世に伝えるために死ぬんだ」
というセリフに対し、抗議し修正をたのみましたが聞き入れられなかったそうです。


これも同じ構図です。
このような台詞は、平和な現在の価値観からしか生まれて来ないものなのではないでしょうか。
勿論、特攻隊員にもさまざまな考えの者がいますから、全員が小灘氏のように
「これが、もう本土に攻め込まれるしかない日本を救うための最上の方法だ」
というような想いで、死地に向かったわけではないでしょう。

しかし、ただ一つ断言できることは、どの程度の覚悟で往ったにせよ、自分の死後、
「可哀そうに」と憐れまれることだけは、彼らの本意ではないであろうということです。

ここで上映されたショートフィルムに感じた胡散臭さ、「可哀そう」と呟く男性への違和感は、
つまりそこで思考停止してしまっている平和ボケの日本人に対する憤りにも通じます。

そして本日冒頭に挙げたパンフレットの文言、
「永遠の平和を願いながら」ですが、
これもまた一見何の矛盾も無いようで、実は彼らの終局的な目的が
「敵を一人でもやっつけて日本を守る」、つまり戦争に日本が勝つことだったことを、
これも戦後の価値観で拡大解釈し、耳障り良く言い変えてしまっているのです。

ここで、特攻の是非や道義的な善悪を論じるつもりはありません。
あってはならない戦争が起こり、やってはならない作戦を日本は選択した。
たとえその道しか残されていなかったとしても、それが悲劇であることに変わりないでしょう。
しかし、その場にいて、特攻に身を投じた人々の当時の意志をも、後世の我々が意図的に
汎世界的なデュアリズムに添った解釈によって修正することは許されないと思うのです。


特攻隊員はかわいそう、こんな悲劇は二度とあってはならない。
だから戦争はいけない、平和を守りましょう。
こんな三段論法的平和論を振りかざす人々に、それでは聴きたい。

「それでは、もし明日、どこかの国が日本を占領する為に侵攻してきたらどうするのか」
前にも一度書きましたが、戦争は嫌だと言っているだけでは国は守れますまい。

 


ここにある隊員たちの家族に残した手紙や絶筆は、
まるで昨日書かれたような生々しさが、いらぬ解説などなくともそれ自体多くを訴えています。
例えば・・・。

「地獄の閻魔王よ
      帳面広げて待っておれ」


「俺が死んだら 何人泣くべ」

「小鳥の声がたのしそう
『俺も今度は 小鳥になるよ』
日のあたる草の上に 寝ころんで
杉本がこんなことを云っている
      笑わせるな」

横にいた若いカップルの女性の方が、展示を見ながら感極まってぐすぐすと泣きだしました。
そんな彼女をかわいくて仕方がない、という風に抱き寄せる男性。

前出の「特攻 最後の証言」始め、あの戦争に一度命をかけた元軍人たちは、
一様にこう言っています。

「国を愛することは、つまり愛する人たちを守ることにつながるのだ」

公と私は決して切り離せるものではない、公があって私もあるのだということ。
例えば13期飛行予備学生であった土方敏夫氏はこう言っています。

大きな国難に巻き込まれたとき、いつの場合でもその国の青年は
本当に純粋に国のことを思って立ち上がる。
(特攻というのは)一つのシンボルとして、そのような若者たちがいたことを、
素晴らしい歴史の真実として未来永劫遺しておきたい。


「可哀そう」と彼らを憐憫することなど、全くお門違いの勘違いであることがよくわかります。
特攻に命をかけた彼らに対して私たちが贈るのにふさわしい言葉はただ一つ、
「ありがとうございました」という感謝の言葉にほかならないのではないでしょうか。

そして、かれらが命をかけて守ろうとし、残してくれた日本を、この美しい国柄を愛し、
これからも日本人の手で守り抜いていくことこそ、彼らへの恩返しだと考えます。


涙ぐむ彼女を抱き寄せていたあの男性は、もし、この国に何か事あれば――
やはり決してあってはならないことですが――どうするのでしょうか。
愛国は罪、という戦後日教組教育を受けてきたかもしれない彼は、
「戦うのは自衛隊でしょ?オレの命は地球より重いから」とばかりに逃げるでしょうか。

それとも、土方氏が言うように、愛する家族とこの女性を守るために立ち上がるのでしょうか。






参考*特攻 最後の証言 :アスペクト出版 「特攻最後の証言」制作委員会