皆さん。
もし、あなたが熱烈な菅野直ファンであるなら、ぜひ靖国神社の遊就館にいっていただきたい。
そこには、菅野大尉が最後まで使っていた黒い皮の財布が展示されているからです。
靖国神社に寄贈したのは菅野家の人々であるらしく、寄贈者の名字は「菅野」。
全く型崩れしていず、まだ使えそうなその財布は、当時は買ったばかりだったのでしょうか。
残っていたお金と、財布のポケットに入れてあった大分航空隊の身分証が並べられ、
他の軍人の軍服軍帽、軍刀などの遺品とは違って、
これが菅野直という個人の遺品であることがあらためて意識されます。
菅野大尉が戦闘機専攻学生となったのは昭和18年2月。
この財布に遺された身分証は、菅野大尉がまさに「デストロイヤー」であったときのものなのです。
本日エピソードは、碇義朗氏の「最後の撃墜王」に載っていたもので、
部下の笠井智一上飛曹の回想によるもの(のアレンジ)。
菅野大尉の部隊が、中島飛行機小泉製作所に、新しく造られた飛行機のテストをしたうえで、
フィリピンに完備機を移送する直前のこと。
横須賀の産業報国会の別館に泊っていたかれらは、夜になると
25、6歳の綺麗な寮母さんを囲んでウィスキーを飲んだそうですが、
菅野大尉は部下が邪魔だったので、「遊びに行こう」といって全員を引き連れて花街に行き、
自分一人だけ帰ってきた、というものです。
クレジットカードなど全く無い時代ですから、
菅野大尉は全ての支払いをこの財布から行ったでしょう。
このときの「みんなのお遊び代」も、この黒革の財布から出されたのに違いありません。
菅野大尉は、他の戦闘機搭乗員と同じく、自分の貴重品をいつも小さな箱に入れて、
肌身離さず持ち歩いていました。
基地移動のときも一緒に携えていたその箱の表には、
「故海軍少佐菅野直の遺品」と書かれていました。
菅野大尉は、自分が死後二階級特進することまでは予想できなかったようです。
この黒皮の財布も、この手箱にあったのでしょうか。
なお、破天荒でやたら元気に遊んでいたという菅野大尉ですがナイーブな部分を持っていて
「粗にして野だが卑ではない」という言葉があてはまる青年であったことが特に妹さんの証言
(妹の前で下品な歌を歌った者に激怒した)などから窺い知れます。
最後の日々、どんなに荒んだ風に悪所通いをしたりしても、
菅野青年の本質は文学に傾倒するロマンチストだった、と思えるのですが・・・。
今日は、そんな「二人きりになると見せたかもしれない菅野大尉のシャイな部分」
を漫画にしてみました。