ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

あゝ江田島羊羹

2012-04-27 | 海軍




羊羹、という漢字に何故「羊」という字が使われているのか、不思議に思ったことはありませんか?
もともと、羊羹とは、中国の羊料理。
羊のスープのようなものですが、冷めると煮こごりができる、そういう料理です。
日本に伝わって、よくある話ですがお坊さんがこれをアレンジし、アズキを使った「煮こごり状の菓子」
にこの名前を拝借したのだという説があります。

海軍関係の読み物や映画には、この羊羹がよく登場します。
甘いもの、といえば羊羹、ぜんざい、蜜豆和菓子の餡子ものであったころ、持ち運びができてお土産にもなる、
この羊羹は今よりずっと人気があったようです。
一度話題にした「給糧艦間宮」では名物「間宮羊羹」というものがありまして、これは
「虎屋にも匹敵するくらい美味い」と評判であったとの由。
ここでお菓子を作っていたのは海軍の軍属職人たちなのですが、なんだか
「その辺の菓子屋なんぞに負けてたまるか!」みたいな渾身の羊羹作りをしてたみたいですね。

本日タイトルを一部拝借した「あゝ江田島」と言う映画では、主人公だかそうでないんだかわからない
(この映画についてもまた書きます)村瀬生徒が、東京の実家へのお土産に買っていました。
「海兵4号生徒」では、ボーイをしながら兵学校に入った秀才生徒が、
(クラスヘッドの山岸計夫生徒がモデル)夏季休暇に小用の港に向かう途中で
「おまえ羊羹買ってこい」とパシリをさせられる、というエピソードにも登場。

この江田島羊羹、前回(2月末)旧兵学校跡見学のとき、お土産に買ってきました。

 

塩羊羹の方は人に差し上げて、この包み紙が欲しかったので、左の小さい方を家で頂きましたが、
甘いもの、餡子のカナーリ苦手なエリス中尉に、この羊羹を食べるのははっきり言って「苦行」でした。
家族はわたし以上にアンコ嫌いときているし・・・。

兵学校でお土産にされていた当時は、砂糖が潤沢でないというのもあって、
現在のものよりもかなり甘さ控えめのあっさり味だったそうです。

この羊羹を製造している会社扇屋は、創業明治33年。
当然のことながら、兵学校内で売られていたのと同じ製法で作られています。勿論添加物なし。
虚心坦懐に味わえば、美味しい羊羹なのでしょう。
羊羹の味を論評する資格はわたしにはないので、一応そのように言っておきます。

昔は今のようにスイーツなんぞと言ってバラエティに富んだ甘いものが溢れていませんから、
甘党が選ぶお菓子と言えば餡子一択。
甘いもの好きの生徒さんなどは、酒保で何本も羊羹を購入し、毎日のように一本喰いするのでしょうが、
そこで本日冒頭の漫画です。

はたして、羊羹の喰いすぎは、兵学校生徒として、否海軍軍人として、咎められるべきか?


「海軍兵学校の平賀源内先生」と言う稿でご紹介した兵学校の英語担当教授、
平賀春二先生は、教材用として江田内に停泊していた軍艦「平戸」の艦長室に居住していました。
ある日曜の朝九時。
甲板掃除も済み、上陸する者たちも全て巷へと散った閑散とした空気の中、
平戸の艦長室を訪ねてくる生徒が一人ありました。

かれ、山田生徒(仮名)は、学業成績こそ地味ではありましたが、豪放磊落、天衣無縫、
教官からも上級生からも親しまれる、いわば兵学校の「名物男」であったそうです。

その山田生徒、礼儀正しく室外で手袋、帽子、外套を取り入室。
氏名を名乗ったのち正しく挨拶をして、それらを帯剣と共に帽子掛けにかけ、ソファーに座ると

「わたしは本日から向こう三週間、上陸止め、酒保止め、官舎止めになりました」

官舎止め、とは、週末教官のお宅を訪問してご馳走になることを言います。
つまり、酒保で好きなものを買ったり、外で美味しいものを食べたり、これが一切禁止されたというのです。
こんな重い罰を科せられた山田生徒、いったい何をやらかしたというのでしょうか。

「実はわたしの分隊のうち、イヤ、全二号生徒のうち、イヤ、全校生徒のうち、
酒保の伝票でわたしの羊羹代が先月末最高で、しかも!
第二位をグウーーーーンと引き離していたからです」

羊羹を食べて何が悪いのだろう、とおそらく、本人どころか、周りの生徒、それを糾弾する上級生すら、
全員が心のどこかで思っていたに違いないのですが、
何しろ、海軍軍人たるものが女子供のように甘いものを喜ぶ、という構図そのものがいただけないと、
まあそういう判断であろうと思われます。
そう、そういう時代であった、ということです。

今でこそ男であろうがおじさんであろうが、甘いものが好きで何が悪い、というのが常識ですし、
一流のパティシエは皆男。
しかし、昔は「男が甘いものが好きだなんて恥ずかしい」という風潮がマジで色濃くあったのです。
エリス中尉がまだ幼いころにもその傾向はあり「甘いものが好き」と公言する男の人が出てきた頃、
「へえー」
と周りが軽く驚くような風土がまだ日本にはあったと記憶します。

そのあたりがわからないと、もしかしたらこの「羊羹喰いすぎて罰直」も、理解できないかもしれません。
しかし、男が甘いもの好きで何が悪いのか?
というと現代の我々には「かっこ悪いから」くらいしか理由が見つかりません。

そして、誰にも「何が悪いのか」ということに明確な答えが出せないわけですから、
上級生としては教官官舎やクラブや酒保でのエチケットについて長々と、歯切れも悪くお達示するしかない。
あげくに「判決」の言い渡しには伍長は笑いをこらえきれず(画像)、一度は後ろを向いて気を取り直し、
再度回れ右をして言い渡しにかかったのですが、


となってしまい、伍長補に「言い渡しは貴様に頼む」
ところが、もう全員(笑)をずっとこらえていたので

ブ─(;゜;ж(;゜;ж;゜;)ж;゜;)─!!

ともあれ、上記山田生徒が言うところの厳しい罰をニヤニヤしながら言い渡すという仕儀になり申し候。

クラブや官舎のの美味しいご馳走まで禁じられてしまい、ただでさえ甘いものジャンキーの傾向のある山田、
さぞわが身の不運を嘆き、羊羹喰いを反省したのか?
いや、追い詰められたものは窮鼠猫を噛まんばかりの知恵をひねり出すものです。

山田生徒が思いついたのが源内先生の居住している軍艦平戸艦長室。
「官舎でも(一応官舎ですが)クラブでもなく、ここで先生に頼めば酒保からの調達もOK」
おまけに源内先生は、有名な生徒好きです。

「一号生徒は集まってみんなで知恵を絞って、あらゆる手を打ったつもりでしょうが、
まさか軍艦平戸の艦長室と言う抜け穴があろうとは、さすがの一号も気づかなかったと」


愉快愉快、わっはっはー!!と山田一人で盛り上がり、先生はあわてて水兵さんを酒保に走らせ、
艦長室で大いに喰らい大いに語り、挙句は二人で昼寝三昧。
このひそかな宴席が三週間にわたって繰り返されたのかどうかまでは源内先生も書いてはいません。


ところで、我が家の冷蔵庫の片隅には、いまだに手を付けられていない江田島羊羹の残りが、
カビも生えずにひっそりと今も息づいております。
あまりにも見た目に変化が無いので、捨てられもせず、ずっとそこに存在しているのです。
砂糖には防腐作用がありますが、羊羹も一種の砂糖漬けだったのだとあらためて認識しました。

このブログのネタのため、今(2011年12月)おそるおそる端っこを食べてみたら、少し固いだけで
全く大丈夫でした。
買って10カ月経ってるんですけど。
なにこれ、こわい・・・・。