間黒男ことブラックジャックならずとも、
「私は母が世界で一番美しかったと信じていますのでね」
と言える人はたくさんいると思います。
わたしの母も、子供の頃のわたしにとっては世界で一番美しい母でした。
中学の時、父兄参観に訪れた母を同級生が
「美しい人よ~!」と見ていない友人に向かって説明してくれたのも、子供心に誇らしい思い出です。
客観的にどの程度美人だったかについては、よくわかりません。
「女優のマール・オベロンに似ていると言われたことがある」との証言(本人による)もあります。
一度、
「若い時に、なんかの宣伝ポスターの写真に使いたいと言って来た人がいて、モデルになったことがある」
というので、それが何のポスターだったのかかなりしつこく聞いたのですが、
「なんかよくわからないけど、窓から手を伸ばしてるポーズを取った」
と要領を得ない返事。さらに
「あんまり(ポスターの出来が)良くなかったから、貰ったけどすぐ捨てた」
などと、あまり触れてほしくなさそうだったので、後にも先にもその一度しか話したことはありませんが、
世間的に見ても少しはイケていたのかもしれません。
母は日赤出の看護婦でした。
準看で終わってしまったのはひとえに「血を見るのが怖かったから」なのだそうです。
そもそも血を見るのも怖い人が看護婦になろうとするか?
とも思いますが、どうやら彼女は祖母の愛唱歌であった戦時歌謡の
「言(こと)も通わぬ敵(あだ)までも
いと懇ろに看護する
心の色は赤十字」
という婦人従軍歌の歌詞と、さらに、というかこっちがメインだとわたしは踏んでいるのですが、
「愛染かつら」の世界に憧れ、白衣の天使を目指した模様。
(余談ですが、この歌を母が歌うと、
「♪こーころのいーろはーせきじゅーうじー、むーかしーむかしーうらしーまがー」
と続けたくてたまりませんでした。
ついでに「広瀬中佐」にも
「♪すーぎのーはいずーこー、すぎのーはいずーやー、さーんじーのあーなーたー」
と・・・もうその話はええ、って?)
日赤出と言えば、看護婦界のエリート。
(これは母が言っていたのをそのまま言っています。もし違ったらすみません)
同期のやり手は今頃ばりばり婦長さんよ、などと言っていたこともあります。
そんな、血が怖い準看の母が、神戸の元町付近にあった小さな診療所に手伝いに行きました。
そこを経営していた9歳年上の医者を一目見たとき、
「あ、わたし、この人と結婚する」と思ったそうです。
そう、その後エリス中尉の父と母になる二人が出遭った瞬間でした。
父の方も同じように思ったものらしく、あっという間に二人はお付き合いをはじめました。
母によると
「お父さんは前の女性と切れてもいないのに、お母さんと付き合いだしたのよ」ということで、
父~!モテていたのはいいが、二股はいかんぞー!
とそれを聞いたとき、すでに亡くなった父に向かって激しく突っ込みました。
まあ、そんなこんなで二人はその後結婚し、娘が誕生。
娘たちが結婚どころか学校を卒業するのも待たず、冥界に旅立ってしまった父ですが、
亡くなった当初はやはりがっくりと落ち込んでいた母も、
いつまでも結婚せず家にいる妹と海外旅行をしたり、ダンスや華道(師範の腕前)を楽しんだり、
まことに充実した「メリー・ウィドウ」ライフを送ってきました。
存命中は、娘たちにはわからないいろいろな夫婦の事情もあったようで、一度それを思い出したのか、
「あなたたちも、気をつけて選ばないと、お父さんみたいなハズレを掴むわよ」
などというので
「ハズレを掴むのもまたハズレなんじゃない?」
と言ってやると、黙ってしまったことがあります。
母が父との結婚を後悔していたかどうかはともかく、父は最後の日、母に向かって
「ありがとう、楽しかったよ」
と言ったそうですから、きっと母と出会えてよかったと思っていたのでしょう。
それから月日は流れ、わたしの結婚が決まったある日のこと、
実家で古い写真をあらためて見る機会がありました。
色あせた写真に収まる若き日の父は、なかなか白衣の似合う「イケメン先生」で、
まあ、これならモテても仕方なかろうなあ、と第三者の眼で見ても思ったのですが、
ほどなく娘どもは診療所の集団写真に写っている、超イケメンを発見。(画像)
「ちょちょちょっとー、お母さん、これ誰よ、これー!凄い男前なんですけどー!」
「あ、本当だ、ひゃー、かっこいい!誰?これ誰?」
父をイケメンと呼ぶならこっちをどう呼べばいいのか、くらいのレベルの違いは娘の眼にも明らか。
まるで映画スターが医者の役をしているかの如き水際立ったハンサムです。
「あ、これ?H先生。お父さんの手伝いに来てた先生」
それからというもの、娘たち、言いたい放題。
「お母さん、こんな男前がいたのになんでお父さんと結婚したのよ」
「そうよ、こっちにすればよかったのに」
「お父さんは、不細工ってことはないけど、まず美青年ではないもんねえ」
「H先生って、○○大学?・・・・じゃあねえ」
「選ぶならこっちよねー」
(T_T)すまん父
「そんなこといって・・・H先生と結婚してたらあんたたち生まれてないじゃないの」
妹、「そのときはそのときよ!」
わたし「ちょっと、お母さん、結婚してたら、ってなに?その言い方。
まさか何かあった・・・・・?」
「一度映画連れて行ってやる、って言われた」
「そっ・・・それでっ?」
「えー、そんなんいいわ、って断った」
妹、わたし同時に
「なんでっ!!」
「だって、もうお母さん、そのときお父さんと付き合ってたもの」
この頃の女の人は、みんなうぶで純情だったのよ、どっちがいいか秤にかけてなんて、
そんなこと考えるようなふしだらな人なんていなかったわよ。
とよく聞かされた母の話が「いや、全員そうだったわけでもないだろう」と思えてきたのは、
いろんな話を見聞きして世間のなんたるかが分かってきた後年のことで、
昔の女の人は全て母のように純情で貞淑なものだと、わたしはずっと信じていました。
とにかく、世間平均レベルよりずっと純でウブだった若き日の母が、
ここで映画俳優レベルの美男子のお誘いにフラフラしなかったおかげで、
エリス中尉が現在、存在しているわけです。
「それなら仕方ないけど・・・・・・惜しい」
「うん、惜しい」
母「あんたたち・・・・・・・(-_-;)」
H先生は母を誘ったものの、にべもなく断られたので
「なんや、せっかく誘ったったのになぁ。つれないなあ」
と冗談のようにしていたけど、残念そうだった(母談)とのこと。
H先生はわたしが結婚間近だったTOと卒業大学が一緒でした。
「Tさんのつてで大学の卒業生の名簿調べたら、H先生が今どうしてるかわかるかも」というと
妹「向こうも奥さん亡くしてたりしたら、お母さん、もしかしてーーーー!」
「きゃー」「きゃー」
「いい加減にしなさいっ!お母さんはお父さんだけでいいの!」
それはあのころ青春を送った純情な母の偽らざる気持ちでしょう。
しかし彼女の顔がなぜか少し紅潮しているのを見て、「お?」と思ってしまった娘です。
何十年前の知り合いのH先生の名前を咄嗟にフルネームで言えたんですよ。
母もまんざらでもなかった、ってことなのかも・・・・。