ネイビーブルーに恋をして

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散る桜 残る桜も散る桜

2012-04-11 | 日本のこと

今年も桜の季節になりました。
街に桜の花の色をあしらった装いをした女性がたくさん現れるのもこのころです。
かくいう私も、気づいたらクローゼットの中からパウダー・ピンクやコーラルのジャケットやスカーフを、
何となく手に取ってしまっています。

去年、桜の季節に、震災で閉鎖していたブログを再開したとき、
「来年の桜が同じ所で観られるかどうかを案じたりしたのは初めてだ」
というようなことを書きました。

寝室の真横に在る桜が、今年も夜でも明るく感じるくらいに咲き誇っています。
去年の懸念が取りあえず杞憂に終わったことにほっとするとともに、
一年を無事に過ごせたことを感謝する想いです。



今日はお天気もいいのでたくさんの人がカメラを持って公園で写真を撮っていました。
しかしいつも思うのですが、桜って、感動するほど素晴らしく咲いているのに、
それを素人がコンパクトデジカメで撮ると、どうしてこんなにつまんないんでしょう。
(例:本日画像)

実際の美しさに対する感動が大きいだけ、画像のしょぼさが余計強調されるんでしょうか。


それはともかく。
先日、中国のサイトが「日本人の桜好き」について語ったものの翻訳を読みました。
それによると、「アンケートによると85%の日本人は桜がとても好き、14,5%が普通に好き」
というものだったんですが・・・・

これ、どこで、どうやって、どんな方法で日本人にアンケートしたの?

そして皆さん。
あなたが日本人なら、自分が桜が好きかどうかを改めて考えたことなどあります?

0,5%の好きではない、という日本人がいたってことは、最低200人に聞いたのよね?
どこかで日本人オンリー対象のネットアンケートでもあったのでしょうか。

そしてどうでもいいことですが、その200人のうちの一人は、なぜ桜が嫌いなのでしょうか?
小さいとき桜の木を斬り倒して、パパにこっぴどく叱られたトラウマでもあるのかしら。


どちらにしても全く意味のわからない、つまり本当に行われたかどうかわからないという点において、
何もしてないどころか失策続きの野田内閣の支持率がなぜか高いままの世論調査と同じくらい、
真偽を怪しまれるレベルのアンケートではあります。

まあこの結果から、
「中国人は、トラウマのある人を除いて日本人は全員桜が好きだと思っているらしい」
ということだけはよくわかりました(笑)


しかしそれにしても、こんなことを日本人に対して聞く(聞いたことにする?)ということ自体、
中国人には、日本人というものが全く分かっていないと言わざるを得ない。


なぜなら日本人にとって、桜は好き嫌いで語る対象ではないのですから。


何かのきっかけで生死の境をさまよった人々、例えば大手術で命を取りとめた人。
奇跡のような出来事で死の淵から生還した人。

必ず彼らはそのとき桜を観て思うのです。
「生きて今年の桜を観ることができた」

わたしがなぜそれを断言するかというと、これが身内の証言だからです。
母が命も危ぶまれるような大手術を経て帰って来たとき、実家の隣の公園は満開の桜でした。
それを観て、彼女は生きて帰ってきたことをあらためて思ったそうです。
しかし、その次の年から、彼女にとって満開の公園の桜は、その時の、
快気の喜びをも上回る辛く苦しかった日々への感慨のため、
必ずしもこころ穏やかに眺められるものでは無くなってしまった、というのです。

そして、代わりに
「あと何回私はこの桜を観ることができるのだろう」というぼんやりとした不安、
まるで自分の残された時間をこれによってカウントされているような重苦しさを感じずには
公園を通り抜けることができなくなってしまったのだそうです。

何かの特集で、ガンに侵された人々が、
やはり桜を見ると全く同じような感慨を持つという映像を見たことがあります。
「次の桜」とはきっかり一年後。
次の桜が咲くとき自分は果たしてこの世に存在しているのか。
そして「火垂るの墓」清太のように、そんなときに思い起こす幸せの記憶には、
必ず桜の花が舞っているのです。
わたしたちは桜を命の長さを見る時計のように感じているのかもしれません。


大東亜戦争期、特別攻撃隊として出撃していった若者たちは、
「咲いた花なら散るのは覚悟」
と吟じては、覚悟、或いは諦念、そしてやりきれぬ想いを、自らを桜花になぞらえることで、
慰撫し、あるいは奮いたち、せめてその記憶の中に永遠に生きることを願いました。


「散る桜 残る桜も散る桜」

この句は、映画「男たちの大和」でも使われていました。
大和の出撃は4月6日。ちょうど桜の季節です。
病院の窓から満開の桜を見た森脇主計曹が呟きます。

もしかしたらこの句が、特攻隊のことを詠ったものだと思っている方もおられるかもしれませんが、
実は、良寛和尚(1758~1831)の作なのです。


この時代、いやおそらくもっと昔から、日本人は、無の摂理と、人間の儚さ、そして
自分もまた、そのうちうたかたとなる運命の絶対を、散る桜のうえに見てきたのでしょう。

我々が桜を見るとき、それは好きかどうかなどという次元のものではなく、
今年もまた自分が生かされていることの確認をしているのかもしれません。




ところで、ワシントンの桜は、日本とアメリカの間の友情を象徴するものとして有名ですが、
この桜は最初に贈られたものではありません。
最初に贈られた桜には、ちゃんと駆除しなかったため虫がついており、
米国側は、送られた木を全部廃棄しなければならないことを日本側に伝えました。

日本側がこのことでメンツを失い、関係が悪くなるのではと危惧する米国側に日本が言ったのが
「貴国では大統領自らが桜を処分する伝統がありますからね」

このユーモアで、両関係者は和んだそうです。


実は私事ですが、この桜を送った日本側に、わたしの連れ合いの先祖がいるそうです。
しかしどこで何をしたかまでは、まだ全く聞き出せていません。

この時期になると思いだすのですが、毎年聞きそびれて現在に至ります。
今年は桜の咲いているうちに忘れないよう聞いてみます。