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キスカ撤退作戦 軍人精神と認知バイアス

2012-03-09 | 海軍

前半に続き、「太平洋奇跡の作戦 キスカ」から、実際の作戦経緯について今日はお話しします。

・・・・と言いながら、この画像は何だ?

と思われた方。
もうそろそろブログ主の偏向した嗜好とブログならではの狼藉に慣れていただかないと困ります。
前回も、脇を固めているにすぎない軍医長役の平田昭彦をわざわざアップにして画像を描き、
さらにこの工藤軍医長中心に無理やり話を進めるという暴挙に及んだわけですが、
さすがに今日は、作戦そのものを語るので軍医長はお呼びではありません。

ですから、せめて冒頭だけでも平田画像を挙げさせていただく。
「それはいいけど、この映画には女性が出ていなかったんじゃなかったっけ」と思われた方、
その通り。
「キスカ」とは全く無関係のこの画像をアップする機会がないので無理やり掲載しました。

この画像は、平田様が長髪の海軍航空士官野口中尉をそれはかっこよく演じた、
「さらばラバウル」(1954年)の一シーン。
白いマフラーと搭乗員服の平田昭彦の最もスマートな姿が拝めるお宝映画です。
この画像の平田昭彦も素敵ですね。
でもはっきり言ってカナカ族の娘、っていうのが邪魔だわ。脚太いし。

ところで、この「さらばラバウル」の当時のポスターに書かれている文句って

「南十字星燦めくラバウルの大空に燃える 清純の恋と灼熱の恋!」

なんですが・・・どう思います?
ポスターはに池部良+岡田茉莉子、そしてこの二人の恋人たちが描かれているんですが、
「清純の恋」が池部チームで、この平田昭彦チームは「灼熱の恋」の方。
これって、こういう煽りだったのか・・・。

それにしても、海軍の、しかも航空士官が、現地の飲み屋の、しかも原住民の娘と恋に落ちる。
・・・・・お話としても、かなーり無茶ではないかとも思うがどうか。
百歩譲って飲み屋の娘というだけなら、命削るような戦場では可能性もないわけではないけど、
カナカ族は・・・ないんじゃないかな。

さて、キスカです。
前回、作戦が動き出したところまでお話ししました。

キスカの前に玉砕したアッツ島を大本営は決して見殺しにしたかったわけではなく、
当初は救出作戦も計画されていました。
しかし地理的にも時期的にも陸海軍の調整がつかず、結局
「アッツはあきらめてキスカに全力を注ぐ」という形での作戦にせざるを得なかったのです。

前項最後で、工藤軍医長が
「ケ号作戦という名をガダルカナルの撤退で聞いた気がする」と言うシーンを紹介しましたが、
日本軍は撤退作戦にはこの「乾坤一擲」から取った「ケ号」を付けることになっていました。

そこで、なぜこの大作戦に、ハンモックナンバードンケツ、アウトオブ出世コースな木村少将が
(映画では大村ですが感じが出ないので以降本名で行きます)抜擢されたかです。
映画の中で、兵学校同期の、こちらは勿論、出世コース順風満帆そうな川島中将が、
この抜擢を不満に思う佐官連中にこのように言います。

「今度の作戦は敵を攻めるのではない。戦果ゼロの決死作戦だ。
なまじ手柄を立てたがる奴には務まらんのだ。
あいつは腰は重いが、ここぞというときには必ずやる男だ」


重い腰を上げた木村少将が立案した作戦成功の要は、
視界の全く利かないほどの濃霧が発生していること。
この気象情報を司令に伝えるのが、おそらく短現将校ではないかと思われる
福本少尉(児玉清)
天候のデータを作戦遂行のために毎日取る係です。



映画では詳細は省かれていますが、本作戦前に木村少将は二次にわたり、
潜水艦隊15隻による救出作戦を行っています。
そして、キスカへの糧食の搬送と数百人の病人の後送には成功しています。

しかし、この作戦はレーダーによる米軍の哨戒網を突破できず、
結果三隻の潜水艦と人員を失うことになりました。
損害の割に成果が少ない作戦と言うことで、これは中止になり、
以降、水上艦艇による撤退作戦に切り替えられます。



昭和18年6月29日。作戦発動。
軽巡「阿武隈」を旗艦とする第一水雷戦隊を中心に、計15隻からなる高速水上戦隊です。
この作戦に当たり、木村少将はいくつかの準備をしました。

天候を入念に調べること。
これは視界ゼロの濃霧の中でしか成功の見込みがないと思われたからです。

万が一米軍に発見されても良いように、
米軍艦を思わせるような艦の偽装をすること。


一足先に第一次作戦に参加した潜水艦を先行させ、
気象状況を通報させること。

電探を搭載した艦を配備すること。

木村少将は連合艦隊に当時の最新鋭駆逐艦、就役したばかりの「島風」を配置させました。
「島風」は最新の電探逆探を搭載していました。

日本軍の強みは、先日「藤田怡与蔵の戦い~日航パイロット編」でもお話ししたように、
その優れた見張能力にありました。
しかし、さしもの優れた肉眼を持つ日本軍といえども、
向こうにも見つからないような濃霧の中では、こちらからもその能力を発揮することはできません。
つまりこの作戦には「島風」の電探設備が必須であったのです。

これらの入念な準備の末、キスカに向かった艦隊ですが、何たることか。
キスカに向かう途中で霧が晴れてきてしまいます。

 

そこで発せられた木村少将の驚くべき言葉。

「引き返す」


皆さん。
あなたがこの場にいたら、この決断ができますか?
霧が晴れれば作戦成功は難しくなる。それは明白です。
しかし、キスカは目の前。将校たちは皆一様に「ええええ~?」(右画像)

さらに後ろにくっついてきている艦までがやいのやいのと「意見具申」してくるんですよ。
「突っ込みましょう、ここまでせっかく来たんですから」

おまけにキスカでは一時間以内に乗船をスムースに済ませるため、5千余の兵が、
文字通り首を長くして浜に集結していて

こんなことになってしまっているのです。

こういう状況で自分以外は皆自分の意見に反対。
しかし自分さえGOサインを出せば、全ては動きだし、皆が取りあえず納得する。
言えますか?「引き返す」。

先日何回かに分けて話をした真珠湾攻撃の酒巻少尉のことを覚えておられるでしょうか。
潜航艇のジャイロが壊れ、これでは、「目隠しをした車が幹線道路をぶっ飛ばすようなもの」
であると熟知していながら、出撃をやめませんでした。
いや、やめられませんでした。
本人も言っています。
「わたし一人の考えで今さらやめるなどとても言えなかった」
おそらくこの故障では、作戦の成功は覚束ないと熟知しながらです。

自分以外のすべての人間に期待され、それをするのが当然の状況に置かれたとき、
酒巻少尉は先を見通して冷静に状況を判断して身を引く勇気を持ちませんでした。
こんなときに「やめる」と言うのはとてつもない勇気を要するのです。

しかし、酒巻少尉の弱さを責めることは誰にもできません。
むしろ、こちらが普通の人間というものであろうと思われるからです。



気象を報告する役目の福本少尉には、兵科士官が詰め寄ります。
「貴様、臆病者の大村少将がとっとと決断できるように、霧は5日持つと言え」
学者である福本少尉には嘘は言えません。
霧は三日と持たない、というのが観測の結果でした。
このときこの士官のうち一人がこう言います。
「五分通り霧が晴れてしまっても、五分は軍人精神で補えるのだ」

これですよ。
陸軍よりは科学的と言われた海軍でも、
冷徹な科学の結果など軍人精神でどうにかして覆してみせる、などという、
根拠のない精神論を振りかざす人間がここでもほとんどだったということでしょう。

そして、酒巻少尉が「故障さえも軍人精神で何とかして見せる」と無謀な出撃を決めたように、
途中で霧が晴れても、たとえ敵に発見されても、さらに攻撃される可能性があっても、
今後の危機も「軍人精神」で何とかなるだろうと考えてしまうのが、普通の人間だということです。

皆さんは「正常性バイアス」という言葉を聞いたことがありますか。
正常性バイアスは、どんな人間にも起こり得るもので、
災害や事故、テロなど、明らかに被害が予想される状況が現実に目の前に起こったとき、
なぜか、自分にとって都合の悪い(危険な)情報を無視したり、
「自分だけは大丈夫」「今回だけは大丈夫」と思いこんでしまうことを言います。
(先の災害ではずいぶんこの心理が被害を大きくしたということです)

「安全であろうと人間が信じたい心理」、心理学的に言うところの認知バイアスの一種、
これを「正常性バイアス」と言います。 
つまり、この作戦における木村少将以外全ての軍人、「ここまできたんだから行っちまえ派」は、
おしなべてこの軍人精神の形をした認知バイアスがかかってしまっていたということでしょう。
心理的にむしろ普通のことである中で、木村少将の判断はむしろ「特殊」であったとも言えます。

木村少将はただのドンケツ軍人ではなかったのです。
「帰ればまた来ることができる」
この一言で、15隻の艦隊を引き変えさせ、さらに数度にわたる再出撃の際も、ことごとく、
霧が晴れるたびに根拠地に帰還することを選びました。
叩きあげの木村少将は、掩護なしの攻撃を受けたときに艦隊がどうなるかを熟知しており、
それがこの慎重な撤退決断につながったと言われています。

しかし、当然のごとく少将は各方面から凄まじい批判にさらされます。
直属の上官である第5艦隊はもちろん、連合艦隊司令部、果ては大本営に至るまで。
これだけの組織が、木村少将一人の決断を口をきわめて非難してきました。

「普通の人」、酒巻少尉もそうでしたでしょうが、普通の軍人が怖れるのがこれでしょう。
「怖気づいて手ぶらで帰ってきた卑怯者」と日本中から罵られるくらいなら、失敗だろうが、
霧の中敵に見つかって戦死してしまった方がましだという実に軍人的な心理です。

さらに、罵る側も「やらずにおめおめと生きるなら失敗して死ね」というメンタリティですから、
いかに木村少将が強靭な精神力とよほどの覚悟を持っていたかが分かります。

木村少将はこのバッシングに耐え、ただひたすら濃霧を待ちました。

そして7月28日、ついにチャンスが訪れます。
その霧の濃さは、艦隊同志が全くお互いを確認することができず、
国防艦「国後」旗艦「阿武隈」が、接触事故を起こし、さらにその混乱で
「初霜」「若葉」「長波」が玉突きのように衝突するというものでした。
傷ついた「若葉」は戦線離脱を余儀なくされます。



キスカに到着した艦隊は、米軍と遭遇する可能性のある正面からの侵入を避け、
島の西側を島陰に添って静かに進みます。




必死の目視で座礁しないように航路をチェックする乗員。
危険を冒してもこのルートを選んだことがこの作戦の成功の要因の一つでもありました。

 

一方、キスカの将兵は、いつ来るかわからない艦隊を待って、
毎日浜に集結し、来ないと分かると元の配置に戻る、という過酷な毎日を送っていました。
繰り返される期待と絶望の日々。

この島には陸軍もいたのですが、ある陸軍部隊の配置は山を越えたところにあり、
浜辺に集結する為に山中を総員でランニングして来なくてはなりません。
「海軍はうそつきだ」「我々陸軍を弱らせるためにわざとやっているのか」
こんなことを言う者さえおり、ここでも陸海軍の仲は険悪でした。
誰もがぎりぎりの精神状態であったのです。



しかし、ついに艦隊はやってきました。
お迎えするのは彼らの飼い犬。というか、軍用犬ですね。
そして、キスカに突入した瞬間だけ霧が晴れるという奇跡のような天祐があったそうです。

 

喜び、各艦に乗りこむ将兵たち。
投錨からわずか55分後、五千二百名全員がたった一人の損失もなく撤退に成功。
ここに、世界の戦史史上でも類を見ない「完璧な撤収作戦」が完了したのです。




二回に分けて書くつもりが、長くなりました。
最も書きたかった「ちょっといい話」や「不思議な話」を次に譲りたいと思います。

「関係ない平田昭彦のことを冒頭ででれでれ書いてるからだ」って?
いや、それは分かっていたんですよ。でもね。

こういうのを認知バイアスで言うと、あと知恵バイアスと言いまして(以下略)