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街、建物、景観~百年前、百年後

2012-03-06 | 日本のこと

        

「明治村と坂の上の雲」という項で、明治村と、その前に訪れた小牧という、
日本のどこにでもある地方都市の景観的問題点についてお話しました。
この稿に、秋水の件でコメントいただいていたリュウTさんが、明治村に移設された
三重県庁県民のよしみで、興味深いコメントをお寄せ下さいました。

コメント欄でやり取りをしていたのですが、今日再び頂いたコメントへの返事が
あまりにも長大になってしまったので、いっそここにアップすることにしました。

これまでのやり取りは、「明治村と坂の上の雲」をご覧ください。
それでは、リュウTさんのコメントからどうぞ。


タイトル*マンボウは可愛いけれど、食べ物です(謎)

街並みのデザイン、何とかして欲しいですよね。
百歩譲って現代的な建て方でもいいので。
林立する電柱が当たり前の風景では叶わぬ事でしょうか。
景観を得る事はコスト増大と思い込んでいる方々のなんと多い事か。
一時的にはコストかもしれませんが、長い目で見ると「資産」なのですが。
何十年、場合によっては何百年と続く資産。

愛着が湧く街づくり。
実はすぐそこにあるのに気づかずに捨てられてしまう物が多々ある気がします。
県庁舎もそうですし、
例えば我が市では海軍航空基地、海軍工廠、陸軍航空基地と、
昭和10年代に建物が続々できたのに、戦後すぐにほとんど取り壊されてしまいました。
残すか移設すれば何かと活用できたハズなのですけど。
空いた土地には大きな企業が入ってそれなりに繁栄しましたが、その代わり、
無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、
或る地方都市が残ってしまいました。

卵が鶏かの話になりますが、「作り手の美意識」もそうですが、「施主側の美意識」も変わらないと。
施主がその気になれば「こだわる建築士や大工」を見つけます。
坪単価が倍でも(実際はそんなでもない)災害等のリスクはあれど、100年保てば一般的な建築寿命の2~3倍。
逆にお得じゃん。(自分の負担は大きいけど)
100年保たす為には、子や孫もこの街の事を好きにならないと出て行ってしまう。
では、この街をより魅力的にする為には・・と地域への働きかけが生まれます。

すいません。とりとめのない事ばかり。


(返事コメント)
タイトル*マンボウって食べられるんですか(汗)

尊敬する犬養道子氏が
「戦後、東京を復興する際に、せめて今くらいの社会的な力があったら、
何としてでも景観を保持する為の法律を作るために奔走していたのに、残念でならない」
と書いていました。

美的感覚もさることながら、我が日本の景観を悪くしている根本の原因は、
「法律で決められない部分でやりたい放題」とか
逆に「法律があるので何もできない」「法律があるのでこうするしかない」
という相反するジレンマの悪循環なのだと思います。

リュウTさんのおっしゃる「施主の意識」については、もうこれは本当に、
皆意識を高く持ってくれよ!
目先の安さにつられて安物買いの醜悪な住居で満足しないでくれよ!
と声を大にして言いたいくらいですが、マクロで景観のことまで意識を高く持てるのは
お金に余裕のある人のみ、ということなってしまっているのが現状です。

軍関係の建物に関しては、進駐軍の旧軍パージが、技術者の仕事復帰にまで及んだ
ということを聞いても、むべなるかなという気もしますが、このあたりも日本人は極端ですね。
壊せと言われたわけでもないのにマッカーサー様におもねって、
さっさと壊してしまった建物や設備も結構あるのではないかと思います。

被統治国だった韓国はヒステリックに日本製の歴史的な建物を皆壊してしまいましたが、
台湾にはまだまだ残されたり使用されている統治時代の建物があります。
総督府、旧台北帝大、郵便局、銀行、それこそその数はもしかしたら日本より多いかも。

どうして台湾に残せて日本に残すことができないのか?
と言いたくなるのですが、なかには日本軍の建てた軍施設だってあるのです。
なぜ彼らが日本製のその建物を使い続けるか。
美しくて趣があって、そして何より堅牢で長持ちするからでしょう。

シベリアに抑留されていた日本人の作った建物(劇場)が、大地震の時にそれだけ倒壊せず、
ロシア人はあらためて日本人の(しかも抑留されて骨と皮のような囚人の)建築技術に
驚嘆したという話もあります。
美しく長持ちする、そういうものを建てる技を持っていて、その気になればヨーロッパのような
街並みを作ることも不可能ではなかったのに。

そして、その街並みなら、いつまでも鑑賞に耐えうる、趣のある、日本人の大好きな
「ロマンチックな」風景で、住む人に誇りを与え、訪れる人の目を楽しませることができたのに。

・・・ああ、なんだか書いていて悲しくなってきました。

しかし、そんなわたしも、最近この冒頭の景色、完成に近付いている東京駅庁舎を観ると、
心から幸せな気分になれるのです。
1914年に造られ、その後100年弱の年月を経て、もう一度当時の姿のままに
よみがえろうとしている東京駅。

老朽化にあたって、レンガの建物をすべて取り壊し、安○忠○デザインの、とてつもなくモダンな、
でも世界のどこにでもありそうなインテリジェント駅ビルにしてしまう、なんてことにならなくて
本当に良かった。
ホテルの部屋からホームの見える「東京駅ホテル」が再オープンするというのも嬉しい。

まだまだ、日本は美しい街を取り戻すチャンスがあると信じたい。
百年先の景観のことまで考えて今日の建築をする、そんな人たちも日本にいるのですから。

まだ新しくてピカピカ光っている駅舎の銅の色。
百年前の日本人もこの色を見ていたのだなあと、ついうるうるしてしまうわたしです。