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83章解説【1】

2011年10月11日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم
1. 災いあれ、量りをごまかす者たちに。
2. (彼らは)人から量ってもらった時には満杯で取りながら、
3. 彼ら(他人)に量ったり彼らのために秤にかけたりした時には損をさせる者たちである。
4. それらの者たちは自分たちが甦らされる身であると思わないのか。
5. 大いなる日に、
6. (つまり)人々が諸世界の主のために(前に)立つ日に(甦らせる身であると)。
7. 断じて、まことに背徳者の書(行状簿)はスィッジーンの中にある。
8. そして何がスィッジーンであるのかを、何がおまえに分からせたか。
9. (それは)書き記された書である。
10. 災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに、
11. つまり宗教(裁き)の日を嘘として否定する者たちに。
12. そしてそれを嘘として否定するのはあらゆる罪深い度を超す者にほかならない。
13. 彼(度を超す者)にわれらの印・節が読み聞かされると、「昔の者たちの作り話だ」と言った。
14. 断じて(作り話ではない)、いや、彼らが稼いだもの(悪事)が彼らの心を錆びさせたのである。
15. 断じて、彼らは彼らの主(に見えること)から、その日、遮られた者である。
16. それから、必ずや彼らは焦熱地獄にくべられ、
17. それから、「これがおまえたちが嘘と否定していたものだ」と言われる。

 この章の突起した目的の一つが、秤や重さのごまかしの撃退、死後には生前の行為が清算され、善行者には至福の天国が報いとして与えられ、罪業者には地獄の火が与えられるという解説です。

 預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がマディーナに移住された際、その町の住人は量りを偽るような人たちであったことが伝わっています。そこでアッラーは次のように仰せになり:「災いあれ、量りをごまかす者たちに」、聖句は続きました。その後、人々は正しく量るようになりました。

 アッラーは秤を軽視する人たちを警告し給います:
 「災いあれ、量りをごまかす者たちに。(彼らは)人から量ってもらった時には満杯で取りながら、彼ら(他人)に量ったり彼らのために秤にかけたりした時には損をさせる者たちである。」

 「量りをごまかす」とは:重さを量るときに減らすことです。アッラーはそのような行為をする者に罰があると警告し給います。量りをごまかす者たちは、自分が買う時は十分な重さで受け取るのに対し、売る側になると、客が買うものを少なめに量ろうとします。

 「量りをごまかすこと」は、イスラームの視点において、大罪です。では騙しや欺きや強制等の方法で不当に他人の財産を取ってしまうことについてはいかがでしょうか。まことにそれらの罪は、アッラーが量りをごまかす人たちに約束し給うた審判の日の懲罰が相応しくあります。

 アッラーは、彼ら、他人の財産を不当に貪る人たちについて仰せになります:
 「それらの者たちは自分たちが甦らされる身であると思わないのか。大いなる日に、(つまり)人々が諸世界の主のために(前に)立つ日に(甦らせる身であると)。」

 誰にも責められることはないと思い込んで、間違ったふるまいをする量りをごまかす者たちに疑問と驚きの感情が現われます。彼らは甦り、清算を信じていないため、そのよう行動をとるのです。しかし、彼ら量りをごまかす者たちは、非常に恐ろしい日である審判の日に甦らされることに気付かないのでしょうか?その日、万物の主の御命令に応じて、人々の些細なこと、大きなことのすべてが清算されます。量りをごまかしていたこと、不正に人々のお金を奪ったことももちろん含まれます。

 アッラーは御言葉を続け、仰せになります:「断じて、まことに背徳者の書(行状簿)はスィッジーンの中にある。そして何がスィッジーンであるのかを、何がおまえに分からせたか。(それは)書き記された書である。」

 「断じて」:甦りを否定していること、自分たちが成している悪行に関して、量りをごまかす者たちよ、気を付けよ、という意味があります。次のようにも彼らは描写されます:「背徳者」つまり背信と罪を常時行っている人です。彼らの行為が記された書は、『スィッジーン』の中にあります。行為が最低なため、スィッジーンは大地の一番下にある牢獄と言われます。「そして何がスィッジーンであるのかを、何がおまえに分からせたか。」スィッジーンの恐ろしさを感じさせ、それが何であるかを誰も知ることが出来ないという意味が含まれます。「(それは)書き記された書である。」そこには彼らの行為が記されているという意味です。

 続いてアッラーは報復の日の到来を嘘であるとする者たちを警告し給います:
 「災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに、つまり宗教(裁き)の日を嘘として否定する者たちに。そしてそれを嘘として否定するのはあらゆる罪深い度を超す者にほかならない。彼(度を超す者)にわれらの印・節が読み聞かされると、「昔の者たちの作り話だ」と言った。」

 清算、報復の日を信じない者たちをアッラーは警告し給います。その日を嘘だとする者は、背信、迷い、罪において度を越したすべての者たちだけです。「彼(度を超す者)にわれらの印・節が読み聞かされると、」彼にクルアーンの諸節が読まれると、「「昔の者たちの作り話だ」と言った。」先代が書き残した、信憑性のない話です。

 続いてアッラーは彼らが導きを拒否する秘密を解明し給います:
 「断じて(作り話ではない)、いや、彼らが稼いだもの(悪事)が彼らの心を錆びさせたのである。」

 「断じて」:クルアーンは昔の人たちの作り話だと言った自分の言葉について罪人たちは恐れるべきだ、という意味です。「いや、彼らの心を錆びさせたのである。」彼らの五感と心を覆ったという意味です。「彼らが稼いだもの(悪事)が」彼らが犯していた間違いや罪です。そしてそれらは心に錆ついてしまいました。罪に慣れた心は厚い覆いが被さり、それはアッラーの光を遮ります。またそれは真実、善、慈悲に対する感情を喪失させます。そのため預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は次のように言われました:《信者が罪を犯すと彼の心に黒い点が着く。もし悔悟し、罪を止め、罪の赦しを請えば彼の心は磨かれる。もし(罪を)増やせば、(点も)増える。それこそが、至高なるアッラーがかれの書の中で仰せになった錆である。》(イブン・マージャとアハマドが伝承)「断じて(作り話ではない)、いや、彼らが稼いだもの(悪事)が彼らの心を錆びさせたのである。」

続いてアッラーは、来世における罪人たちの帰り処を解明し給います:
「断じて、彼らは彼らの主(に見えること)から、その日、遮られた者である。それから、必ずや彼らは焦熱地獄にくべられ、それから、「これがおまえたちが嘘と否定していたものだ」と言われる。」

「断じて」:彼らは自分たちの悪行を恐れるべきであるという意味があります。彼らは審判の日、アッラーの尊い御顔を拝見できる機会から遮られます。また魂を純化し、自我を清めた、主との間にある隔たりが取り外されるに値した者たちにしか与えられないこの幸せが禁じられます。彼らこそが、アッラーがクルアーンの中で次のように描写した者たちです:「その日、或る者たちの顔は輝き、かれらの主を、仰ぎ見る。」(審判の日章22~23節)

主から遮る(ヒジャーブ)隔たりは、同時に彼らにとって罰でもあり、これ以上の疎外はありません。最悪なことに、さらに彼らの最後は、不幸で悪いものです。「それから、必ずや彼らは焦熱地獄にくべられ、」苦しめられるために地獄に入るという意味です。そして罰を任されている天使たちに彼らは次のように言われます:「これがおまえたちが嘘と否定していたものだ」つまり、現世でおまえたちが嘘だと言っていた罰だ、ということです。
アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP57~63)

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