イスラーム勉強会ブログ

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預言者伝24

2011年10月18日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
78.バドル(マディーナの南西145kmの場所)の戦いの重要性:
  ヒジュラ暦2年のラマダーン月に、バドルの戦いが起きました。この戦いは、イスラーム共同体とイスラーム宣教の運命を決定づける重要な出来事でした。
  あらゆる勝利、開城、国や政治勢力の拡大はすべて、バドルで起きた輝かしい勝利のおかげと言えるでしょう。それゆえアッラーはこの戦いを『識別の日』と名付け給い、次のように仰せになったのです:
  「もしあなたがたがアッラーを信じ、また識別の日、両軍が会戦した日に、わがしもベに啓示したものを信じるならば。」(クルアーン 戦利品章41節)


  この戦いは、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が、アブー・スフヤーン・イブン・ハルブがシャームからクライシュの大きなキャラバンを率いて帰って来る、という知らせを受けたことに端を発します。ムスリムとクライシュの多神教徒は、依然 敵対関係にあり、クライシュはイスラームに対する攻撃を止めず、ムスリムを妨害し続けていました。クライシュはイスラームとの戦いとムスリムを弱体化させるために多大な財産をつぎ込んでいました。 

 当時、イスラームの最大の敵であったアブー・スフヤーンがキャラバンの長としてシャームから戻って来ていると聞いたアッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、人々に、キャラバンを待ち受けるよう鼓舞しました。ただ、事を重大視することはありませんでした。なぜなら対象は人ではなく、キャラバンだったからです。
  そしてアブー・スフヤーンがアッラーの使徒(平安と祝福あれ)が待ち受ける場所に辿り着くと、アブー・スフヤーンは、ムスリム達から自分を援護してくれるよう、マッカの人々に援助を仰ぎました。マッカの人々にその助けを求める声が届くと、少数を除いた全員が急いで出陣しました。そしてアラブの各部族が集まり、彼を取り囲みました。

79.アンサール(援助者たち)の応答と彼らの奉仕の姿:
  クライシュが戦いのために出陣したとの知らせを受けた預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、アンサール(マディーナの定住者たち)を意図しつつ教友達に助言を求めました。なぜなら彼らは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を彼らの土地内で守ることを誓っていたためです。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はマディーナからの出陣を決心した際、ご自分の傍に誰が一緒にいるのか知ろうとしました。それを知ったムハージルーン(マッカからの移住者たち)は快く彼の呼びかけに応えましたが、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は改めて助言を求め、三度も同様にしました。

その時、アンサールは自分たちこそが求められていることに気付きました。そこでアンサールのサアド・イブン・ムアーズは急いで次のように言いました:アッラーの使徒様!あなたは私たちをご指名ですね。もしや、アンサールはあなたさまを、私たちの土地の中だけで守らせていただくとお思いではございませんか?私がアンサールについてお話し、お答えしましょう。お望みの場所に立ち、お望みの者の綱をつなげ、お好みの者の綱を断ってください。そして私たちの財産からお好みの額を使い、あなたがお望みの物を私たちにお授け下さい。あなたさまが手にされた私たちの物は、私たちが残した物の中でも最も私たちが愛する物となります。あなたさまが私たちにお命じになるとき、私たちはあなたさまのご命令に従います。アッラーにかけて、あなたさまがグムダーン(イエメンにある城)に向かえば、私たちも必ずや一緒に向かいましょう。また海に向かえとおっしゃるなら、あなたさまと一緒に潜りましょう。

 アル=ミクダード(アンサールの一人)も預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に言います:私たちはムーサーの民がムーサーに言ったようなことは言いません。『あなたとあなたの主が、2人で行って戦え。わたしたちはここに座っている。』とは。その代わり、あなたさまの右手となり左手となって、前方後方となって戦いましょう。
  それを聞いた預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の顔は輝き、教友の言葉に喜び、皆、行きなさい。吉報があるでしょう、と言われました。

80.聖戦と殉教において競い合う少年:
  ムスリム達がバドルに向かうと、16歳のウマイル・イブン・アビーワッカースという少年も現われました。彼は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)にその若さを理由に参戦を認めてもらえないのではと恐れていたので、誰にも見られないよう努力していたのでした。兄であるサアド・イブン・アビーワッカースが彼にそのことを尋ねると、ウマイルは次のように答えました:僕は参戦したいのだけれど、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)に追い返されるのが心配です。もしかすると、アッラーに殉教を授けていただけるかもしれないのに、と。そして彼の言う通りのことが起きました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はまだ成人していないウマイルを追い返しました。そのためウマイルは泣いてしまいました。それを見て同情したアッラーの使徒(平安と祝福あれ)は彼の参戦を許し、ウマイルは最終的に、戦中に殉教者として殺されました。

81.準備と数におけるムスリムと不信仰者の差:
  アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、313人の男たちと急いで出かけて行きました。2頭の馬と、70頭のラクダだけが彼らの乗物でした。一頭のラクダに2,3人が交代で乗り、そこには、指揮官と兵の区別はありませんでした。その中には、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)やアブー・バクル、ウマル、先人の教友達が含まれていました。
  軍旗はムスアブ・イブン・ウマイルに手渡され、ムハージルーンの旗はアリー・イブン・アビーターリブに、アンサールの旗はサアド・イブン・ムアーズに手渡されました。
  ムスリムの出陣の知らせを聞いたアブー・スフヤーンは、南下して、海岸線に向かいました。自分が助かり、キャラバンも無事であることに安心すると、彼はクライシュに伝えました:君たちは君たちのキャラバンを守るためにマッカを出て来たが、もう帰るように、と。そのためやって来た人々は帰ろうとしましたが、アブー・ジャハルは嫌がり、戦いを望みました。その時のクライシュの数は1000人以上。その中にはクライシュの貴族や騎士、勇者が含まれていました。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は言われました:このマッカの民は、あなた達にその肝の一片を投げつけて来た※のだ。
※肝の一片とは自分の子どものこと。失いたくないほど大切な子どもを手放すほどの戦意があると読み取れる。
(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P215~218)

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