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険しい道をとらない人間

2009年01月06日 | 心に響くアーヤ

あなたの人生の目的は何ですか。
楽しいこと、美味しいもの、美しい伴侶、楽な生活を求めることですか。
人生にはもっと深い意味があると思いませんか。
アッラーは、人間は険しい道を選びたがらないと仰っています。
その道を選んだ方が、人間のためになるのに、です。

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أَلَمْ نَجْعَل لَّهُ عَيْنَيْنِ
وَلِسَانًا وَشَفَتَيْنِ
وَهَدَيْنَاهُ النَّجْدَيْنِ
فَلَا اقْتَحَمَ الْعَقَبَةَ
وَمَا أَدْرَاكَ مَا الْعَقَبَةُ
فَكُّ رَقَبَةٍ
أَوْ إِطْعَامٌ فِي يَوْمٍ ذِي مَسْغَبَةٍ
يَتِيمًا ذَا مَقْرَبَةٍ
أَوْ مِسْكِينًا ذَا مَتْرَبَةٍ
ثُمَّ كَانَ مِنَ الَّذِينَ آمَنُوا وَتَوَاصَوْا بِالصَّبْرِ وَتَوَاصَوْا بِالْمَرْحَمَةِ
أُوْلَئِكَ أَصْحَابُ الْمَيْمَنَةِ
وَالَّذِينَ كَفَرُوا بِآيَاتِنَا هُمْ أَصْحَابُ الْمَشْأَمَةِ
عَلَيْهِمْ نَارٌ مُّؤْصَدَةٌ

われは、彼(人間)のために両目を創ったではないか
また一つの舌と二つの唇を
更に二つの道をかれに示した
だが彼は、険しい道を取ろうとはしない
険しい道が何であるかを、あなたに理解させるものは何か
(それは)奴隷を解放し
または飢餓の日には食物を出して
近い縁者の孤児をまたは酷く哀れな貧者を(養うこと)
それから信仰する者になって忍耐のために励ましあい、互いに親切、温情を尽しあう(ことである)
これらは右手の仲間である
だがわが印を拒否する者
かれらは左手の仲間である
かれらの上には、業火が覆い被さるであろう

町章8-20節

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人間は自分の目、口などが創造主によって創られたことを忘れているか、気づいていない。「忘れること」は人間の欠点の一つであるし、一旦知ったのちの忘却なのでましだが、「気づいていない」のは愚かではないのか。
体の各器官の巧妙なつくりが現代になって解き明かされているにもかかわらず、それらの創り主に想いをはせることがないとは。
アッラーは人間に二つの道を示してくださった。
楽な道、困難な道。
善良なる道、悪質な道・・・など。
両者は対極的。
この「町章」では、困難な道について語られている。
人間は楽な道を追求しがちで、反対の困難な道を避け、選ぼうとしない。
その例も述べられている。
(今は存在しない)奴隷の解放、貧者への食事提供。
奴隷解放にはそれなりの財力が必要であるし、貧者への食事提供も同じく財力が必要だ。そして慈悲の心も。
善行は常に楽に成し遂げられるものではなく、何かしら困難さや苦しみ、障害が生じるものであることを思い出させてくれる。
そして、困難を乗り越えることで人間が成長できることは長い人間の歴史が証明していることだろう。

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