クルアーンにはいくつかの特徴があります。
①編纂・意味の上で、これは至高なるアッラーの御言葉であること:
クルアーンには、他のものを失脚させる奇蹟さがあります。どういうことかというと、人間の力の範囲を超えた高い修辞力がクルアーンにあるということです。
②クルアーンすべてはアラビア語であること:
クルアーンはアラビア語以外の外国語を含んでいませんから、クルアーン解説本や他の言語に訳された本が訳者にとってどんなに正しくてもクルアーンと名づけられることはありません。なぜならクルアーンは、アラビア語特有の編纂・意味を含有して至高なるアッラーの御許から特別に下降されたからです。
③クルアーンは、時代を追うごとに大勢の人々によって語り継がれたこと:
クルアーンは、アッラーの使徒(アッラーの平安と祝福がありますように)を元に大勢の人たちに暗記され、伝わってきました。この方法だと、伝承経路の正しさに疑いの余地はありません。人々の暗記のほかに、クルアーンがジブリールが預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)の心にクルアーンをもたらした瞬間の人々の手書き保存されたものが次の世代に伝わっていることも伝承経路の正しさを証明します。
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このようなサイトを作ってくださったことに感謝してます。
で、お尋ねですが
「他のものを失脚させる奇蹟さがあります」
の意味が私にはよく理解出来ませんでした。
この場合の「他のもの」は何でしょうか?
「失脚」とはどの様な効果でしょうかお教えください。
umar(むらこう)
力不足ですいません。
①では、クルアーンの特徴として、クルアーンには特有の編纂の形があることを説明しています。
アッラー以外のものには、クルアーンの表現力に優る文章を作り上げることは出来ません。
このこと=クルアーンには「他のものを失脚させる奇蹟さがあります」という意味になると思います。
「他のものغيره」は、アッラー以外の存在である被創造物を意味し、「失脚إعجاز」はアッラー以外の存在は、アッラーを超えることを何もすることが出来ない、という意味です。
ちなみにアラビア語で「إعجاز」は、上記に意味のほかに、奇蹟という意味も持ちます。
この間、クルアーンの独唱中のサジダのマークについて、いくつかのサジダのやり方がある言われました。
一般にはどのようなやり方が推奨されているのでしょうか?
一般にはどのようなやり方が推奨されているのでしょうか?
abts 様
コメントありがとうございます。
サジダのやり方は、学派にやって若干違ってきますが、ほとんど同じです。
日本で多くの信徒に則られているシャーフィィー派とハナフィー派のやり方をご紹介します。
1.ハナフィー派:礼拝時のように両手を挙げず「アッラーフアクバル」と唱えてサジダし、同じく「アッラーフアクバル」と唱えて体を起こす。タシャッフドとタスリームはありません。サジダ中は礼拝中のサジダと同じように、「スブハーナ・ラッビヤルアアラー」を3度唱えます。
2.シャーフィィー派:サジダに移り、それから体を起こす際に「アッラーフアクバル」を唱えるが、礼拝中に読誦のサジダをするなら両手を挙げず、礼拝外でサジダをするなら両手を挙げるのがスンナ。サジダ中に唱えるドゥアーはハナフィー派と同じでもよいし、伝承されたドゥアーでもよい。読誦のサジダを放棄する場合、「スブハーナッラー・アルハムドゥリッラー・ラーイラーハイッラッラー・アッラーフアクバル」を4回唱えることでサジダに代えることが出来る。
参考文献:イスラーム法学とその典拠 第二巻 P1134~1136