イスラーム勉強会ブログ

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預言者伝71

2014年08月01日 | 預言者伝関連
223.アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のマディーナへの帰還:
  ローマ軍が国境に侵入して進撃するという案を実行に移すのをやめて引き揚げたという知らせが届くと、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はこのまま続いて敵の土地にはいる必要はないだろうと判断されました。なぜなら目的がすでに果たされたからでした。ドゥーマの太守であるキリスト教徒のアカイダル・イブン・アブドゥルマリクは、ローマ軍が彼のところにやって来た時には彼らを援助しました。そこでアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はアカイダルにハーリド・イブン・アル=ワリードを500の騎士と共に送った結果、ハーリドはアカイダルを捕虜にして、彼をアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に送りました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はアカイダルがジズヤを納めることで彼の安全を保障し、その身を解放しました。

  そしてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はそのままタブークに10数夜滞在した後にマディーナに帰って行きました。

224.あわれなムスリムの葬儀にて:
  アブドゥッラー・ズ・ル・ビジャーダインという教友がタブークで亡くなりました。かつて彼はイスラームに憧れていたのを彼の家族が禁じ、彼を苦しめて、挙句の果てに彼にぼろ布を着せて放置しました。その布しか身につけていなかったアブドゥッラーは家族から逃げてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のところへと向かいました。アブドゥッラーがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に近いところまで到着すると、布を裂いて二部に分けて、一つを腰に巻いて体をo覆ってから、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に会いに行きました。アブドゥッラーはそのときに彼からズ・ル・ビジャーダイン(ビジャード(ぼろ布)を二つ持つ者)と呼ばれました。彼がタブークで亡くなると、暗闇の中、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)、アブーバクル、ウマルが葬儀の準備を始めました。一人が持つ灯りを頼りに歩み進みました。埋葬のために掘られた穴に入ったアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)にアブーバクル、ウマルが遺体を渡そうとしているとき、彼は言われました:おまえたちの兄弟をこちらに近づけなさい。遺体の向きを変えると彼はまた言われました:アッラーよ、私は彼に満足したまま今夜を迎えました。あなたもどうか彼に御満足ください。それを聞いていたアブドゥッラー・イブン・マスウードは、私も墓穴の主になりたかった(アッラーの使徒に祈ってもらえるため)、と言いました。

225.カアブ・イブン・マーリクの試練、そして乗り越える:
  疑っているわけでもなく、また不信感を持っているわけでもないのに戦に出そびれてしまった者たちのうちのカアブ・イブン・マーリク、マラーラ・イブン・アル=ラビーウ、ヒラール・イブン・ウマイヤの3名は、初期にイスラームに帰依し、イスラームのために奮闘した者たちでした。またマラーラとヒラールはバドルの戦にも出ていました。そんな彼らが戦に出そびれてしまったことは彼ら特有の性格でも習慣でもなかったのです。出そびれたという結果はアッラーの叡智、彼らの精神に対する試練、そしてムスリム全体の教育のため以外に起きたわけではありませんでした。そのうち、そのうちに・・という気持ちや弱い意志、すでに持ち得ている方法に過度に依存していたこと、真剣さ、そして早急に行おうという気持ちが無かったことが今回の原因でした。この出来事は、彼らよりも信仰心もアッラーとその使徒に対する愛情において負けてはいなかった兄弟である人たちをどれだけ傷つけてしまったのでしょうか。カアブがそのことについて語っています:

  『私は彼らとの準備のために出かけたのですが、何もせずに帰宅してしまいました。そして私は自分にこう言うのです:私には出来る、と。そして私はまだ何もせずに、物事がさらに真剣になるまでそのままでいたのです。信徒たちはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と一緒にいるというのに、私は何の準備もしていなかったのです。私は、彼の後の1日か2日後に準備して、彼らを追いかけよう、と考えました。私は、彼らが出発した後に、準備をするために出かけたのに、何もせずに帰宅しました。もう一度出かけたのですが、また何もせずに帰って来てしまったのです。

  人々はどんどん進んで、戦が終わったのに私はまだ同じ状態でした。私は出発して彼らに追い付こうと思いました。そうすればどんなに良かったか。しかし私にはそうすることが運命づけられていませんでした。』

  アッラーはこの3人の信仰心、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の愛、イスラームに対する誠実さ、安楽の時も苦難の時も人々に良くされる時も厳しくされる時もアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に近付いて彼に顔をそらされる時も誠実でいられるのか、試練し給うたのでした。信仰と信条と愛と感情に基づいた人間社会の歴史の中に同じようなものは見られない程の試練だったのです。

  彼ら3人は人々がアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)を嘘つき呼ばわりしたときには彼を信じました。そして偽信者は遠征しなかったことの言い訳をしたのに彼らは自分たちの意に反して自分たちに立証しました。

  カアブは長くはっきりとしたハディースの中で次のように言いました:

  『後方に留まった者たちはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のところにやって来て、言い訳を言い始め、誓いました。彼らは80数名ほどの男たちでした。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は彼らの表面を受け取り、彼らに忠誠を誓わせ、彼らのために罪の赦しを祈り、彼らの内面についてはアッラーにお任せしました。そして私が彼のところに行って、平安の挨拶を送りました。挨拶した瞬間、彼はお怒りの表情で微笑んで、言われました:こちらへ来なさい。私は歩いて行きました。そして彼の面前に座ると彼は言いました:何がおまえを留まらせたのか?おまえは自分の背を追って行ってしまったのではないか。私は、はい、そうですが、アッラーにかけて申し上げますが、もし私があなたさま以外の現世の民のところに座っていて、彼の怒りを買っても、私は論争の才能を授かっていますので、何かしら言い訳をして彼の許を後に出来るでしょう。しかしアッラーにかけて申し上げますが、私があなたさまが満足するような嘘の話をしても、アッラーはそのことで私の事で御怒りになりそうになることを私はよく存じています。そのためあなたさまが私に非をみとめるであろうことになっても私は正直にお話しして、そのことをアッラーが赦して下さることを切望します。アッラーにかけて申し上げますが、私には言い訳などありません。それ以上に、あなたさまから後方に留まってしまったときの私は今よりも力もあり、恵まれた状況にあったのです。』

  そして次に、恐ろしい期間が訪れます。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は人々に彼ら3人との会話を禁じたのです。信徒たちは聴き従う他の行動を取らなかったので、人々は彼らを避け、接し方を変えました。そのため大地は3人に違ったものに映りました。そのような状態は50夜続きました。マラーラとヒラールはおとなしく、涙しながら自分たちの家に引きこもりましたが、彼らよりも若く気丈だったカアブは信徒たちとの礼拝のために出かけ、誰も話しかけないのに市場に出入りもしました。

  ただ、こういった出来事があっても、アッラーの使徒に繋がる愛と忠誠心の絆に影響することはありませんでした。またアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のカアブに対する親愛や慈悲にも影響することはないどころか、この叱責はカアブの持つ愛にさらなる増加をもたらしました。彼は言いました:

  『私が礼拝を終えたアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のところに来て平安の挨拶を送るとき、私は心の中で、さて、挨拶の返事のために唇は動いただろうか、それともだめだったか?と言ったものです。そして私は彼の近くで礼拝して、彼をこっそりと眺めました。なんと私が礼拝を始めると彼は私を見ておられたのです。しかし私が彼の方を向くと、彼は顔を背けてしまいました。』

  現世はカアブを裏切り、その中に住むすべてのものが彼に背をむけたことははっきりしていました。カアブは言いました:『人々のとげとげしい態度が私に長く感じられると、私はアブークターダの(家の)壁に登りに行きました。彼は私の父方のいとこで私がとても好きな人物でした。彼に挨拶するとどうでしょう、アッラーにかけて、返事してくれませんでした。アブークターダ!アッラーにかけてのお願いだから、答えてくれ、私がアッラーとその使徒を愛しているいることを知っているだろう?アブークターダが黙ったので私はもう一度お願いしました。それでも彼は黙っていましたが、ついに言いました:アッラーとその使徒が最も良く御存知だろう。それを聞いた私からは涙が溢れ出ました。私は背を向けて壁を登りました。』

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P368~371)
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