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70章解説【4】

2014年03月06日 | ジュズ・タバーラカ解説
32.また彼ら、己の信託物や約束を守る者たち、
33.また彼ら、己の証言を果たす者たち、
34.また彼ら、己の礼拝を履行する者たち。
35.それらの者たちは楽園にいて、厚遇を受けている。
36.それで信仰を拒んだ者たちがおまえの方を見据えて早足で近寄ってくるのはどうしたことか。
37.右にも左にも、群れをなして。
38.彼らの誰もが至福の楽園に入ることを望むのか。
39.断じて。まことにわれらは彼らを彼らが知っているもの(精液)から創った。
40.(天体の)昇る諸々の場と(天体の)沈む諸々の場の主に誓おうではないか。まことにわれらには可能である。
41.(彼らを)彼らより良い者に取り替えることが。そしてわれらは出し抜かれることはない。
42.それゆえ、彼らに約束された彼らの日(審判の日)に彼らが出会うまで(虚偽に)耽り、戯れるままに放っておけ。
43.彼らはが墓所からあわただしく出る日、ちょうど彼らが偶像に急いだように。
44.彼らの目は伏せられ、卑しめが彼らを捉えた状態で(急ぐ)。それが彼らに約束されていた日である。

信仰者の特徴の説明が続きます:
「また彼ら、己の信託物や約束を守る者たち」信託物とは、アッラーから人間に託された、人間が遵守すべき教えや法を指し、他に、被造物から託される預け物などを意味します。約束には、ある誓いや行為など人間がアッラーのために自身に課したもの、人々の間で交わされる契約や、国々の間で締結される条約が含まれます。信仰者は信頼されれば裏切らず、約束をしたなら、それを必ず果たします。

信仰者の他の特徴:
「また彼ら、己の証言を果たす者たち」裁判の際には、きちんと証言し、隠したり、内容を変えたりせず、くねくねすることもなく、真実に基づいて力強く証言します。こうすることで、諸権利が守られます。

クルアーンは最後の彼らの特徴を述べます:
「また彼ら、己の礼拝を履行する者たち」礼拝を行う時間を無駄にせず、礼拝を遵守します。彼らは礼拝成立のための条件やマナーを実践します。礼拝中には畏敬の念を常に抱く、アッラーから見られているとの気持ちを抱く、見栄を張ることから注意する、ということは言うまでもありません。

ここで、礼拝という言葉が二度に渡って登場したことに気づくでしょう。初めは信仰者たちの特徴の初めの部分で、二度目はその終わりの部分で出てくるところからその重要性がうかがえます。このような形で登場することで、信徒たちに礼拝の大切さに目を向け、履行させようとします。

これらの特徴を備えた信仰者たちにアッラーは来世における至福を約束し給いました:「それらの者たちは楽園にいて、厚遇を受けている。」彼らは永遠の楽園でさまざまな種類の彼らを喜ばせ、幸福を感じさせるものでの厚遇を受けます。

続いてクルアーンは、不信仰者の預言者(アッラーの祝福と平安あれ)に対する接し方を描写します:

「それで信仰を拒んだ者たちがおまえの方を見据えて早足で近寄ってくるのはどうしたことか。右にも左にも、群れをなして。」

「近寄ってくる」の他に、「おまえを凝視する」という意味とも言われます。「群れをなして」:クルアーンを聞くためにおまえに早足で近寄って来て、おまえのまわりに右にも左にも座っておまえを凝視しているが、けっして導かれることを望んでいるからでも、おまえから聞くものから益を得ようとしているためでもない、かれらはおまえを嘲笑し、嘘つき呼ばわりするためにそうしている、という意味です。彼らはそのような状態の中で、お互いに次のように言い合っていました:ムハンマドが言うように、あいつら-信仰者たち-が楽園に入るのなら、われわれは先に入ってやろうじゃないか。つまり自分たちはクライシュの貴族であるから、信仰者よりも楽園に入ることがより相応しいと意味しているのです。そこでアッラーは次のように答え給います:

「彼らの誰もが至福の楽園に入ることを望むのか。断じて。まことにわれらは彼らを彼らが知っているもの(精液)から創った。」

彼らはこの不信仰さやアッラーの呼びかけに対する無応答といった態度で楽園にはいることを望んでいるのか、という意味です。「断じて」彼ら不信仰者たちが望むとおりにはならない、つまり彼ら一人一人全てが楽園に入ることはない。そしてアッラーは彼らの意識を彼らのつくりの素に向けさせ給います。それは尿道から出てくる精滴です。そのため、彼らが高慢となり、報復の日を否定することは正しいとは言えないのです。

そしてアッラーは彼らに滅亡があるだろうと警告し給います:
「(天体の)昇る諸々の場と(天体の)沈む諸々の場の主に誓おうではないか。まことにわれらには可能である。(彼らを)彼らより良い者に取り替えることが。そしてわれらは出し抜かれることはない。」

アッラーは御自身で誓い給いました。彼こそは、(天体の)昇る諸々の場と(天体の)沈む諸々の場の主であり、彼らを滅ぼすことや、彼らよりも良き人たちを替わりに出現させることが可能です。しかし、彼の御計画は彼らへの懲罰を遅らせることになりましたが、彼が現世で彼らを罰し給わない場合、この章の締めくくり部分が述べているように、来世で罰が執行されることになります:

「それゆえ、彼らに約束された彼らの日(審判の日)に彼らが出会うまで(虚偽に)耽り、戯れるままに放っておけ。彼らはが墓所からあわただしく出る日、ちょうど彼らが偶像に急いだように。彼らの目は伏せられ、卑しめが彼らを捉えた状態で(急ぐ)。それが彼らに約束されていた日である。」

ムハンマドよ、彼らが不正に耽り、現世で戯れるままに放置しておきなさい。「約束された彼らの日(審判の日)に彼らが出会うまで」つまり、彼らの不信仰の報いであるアッラーが約束し給うた審判の日の罰に出会うまで、という意味です。「彼らはが墓所からあわただしく出る日」墓からで出て清算を受ける場所へと急ぐ日です。「ちょうど彼らが偶像に急いだように」誰が真っ先にそれを崇めに来るのかというほど急いでいます。「彼らの目は伏せられ」彼らの視線は低く、静かで、受けるであろう罰の前で上げることはありません。「卑しめが彼らを捉えた状態で」彼らを卑しさと惨めさが覆います。「それが彼らに約束されていた日である」つまり彼らがかつて嘘であると言っていた、罰を受けると約束されていた審判の日です。それが今、彼らの目の前で実現しているのです。この章の冒頭に出て来た罰に関する質問に、アッラーは章の最後部で答え給うています。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP71~74)
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