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109章解説

2010年05月27日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم

109章解説

1. 言ってやるがいい。「おお不信者たちよ、
2. 私は、あなたがたが崇めるものを崇めない。
3. あなたがたは、私が崇めるものを、崇める者たちではない。
4. 私は、あなたがたが崇めてきたものの、崇拝者ではない。
5. あなたがたは、私が崇めてきたものの、崇拝者ではない。
6. あなたがたには、あなたがたの宗教があり、私には、私の宗教があるのである。」

【大まかな意味】
言ってやるがいい。「不信者たちよ、私はあなたがたが崇める偶像を崇めない。またあなたがたは多神信仰と偶像崇拝により私が崇める至高偉大なるアッラーを崇める者たちではない。あなたがたがアッラーを崇めていると主張したとしても、あなたがたは多神の一つとしてかれを崇めているので嘘を言っていることになる。私はあなたがたようには崇めないし、あなたがたは私のように崇めない。それはアッラーを崇めるべき御一人の御方として崇めること。あなたがたにはあなたがたの宗教―それはあなたがたがしがみついている迷った宗教である―があり、私にはアッラーが私に満足し給うた宗教があるのである。」

 クライシュ族のある集団がかつて預言者(平安と祝福あれ)に、「貴方は我々の宗教に従い、我々も貴方の宗教に従うことにしよう。貴方は我々の神々を1年間崇め、我々は貴方の唯一神を1年間崇めるというのはどうか。」と提案したことが伝えられています。預言者は次のようにお答えになりました:「崇高なるかれに同位者を配することに私はアッラーの御加護を求めます。」すると多神教徒たちは、「では我々の幾らかの神々を認めるなら、我々は貴方を信じ、貴方の唯一神を崇めよう。」と言いました。その瞬間にこのスーラが啓示されました。なおこのスーラはマッカで啓示されたことで意見が一致しています。

 他にもイブン・アッバース(御満悦あれ)による伝承があります: クライシュ族がアッラーの使徒(平安と祝福あれ)に富を与え、彼がマッカで一番の裕福な男になるようにし、彼が好む女と結婚させると言い、「ムハンマドよ、これこれを貴方に差し上げるから、我々の神々を罵り、悪く言うのを止めてくれないか。もし止めないなら、我々の神々を1年間崇めてくれ。」と言った。彼が答えて「主から何が私に下るか待ちましょう。」と言ったところで、「 言ってやるがいい。おお不信者たちよ…」からそのスーラの最後までが啓示され、また「言ってやるがいい。「あなたがたは、アッラーを差し置いて外に仕えるようわたしに命じるのか、無知な者たちよ。」」(39章64節)が啓示された。(アッ=タバラーニー、イブン・アビーハーティム出典)

「崇める」の繰り返した登場は、その意味の強調に役立ちます。これはアラブ人が普段から言葉を強調するときや相手に分からせるために使う方法です。ここで繰り返しの表現が使われることで、不信者たちに預言者(平安と祝福あれ)が心変わりするのではないか、信者たちに何か影響を与えられるのではないか、といった思いを断ち切らせることに役立ちますし、また不信者は今後も不信の状態で居続けるであろう予言にもなります。

このスーラで語り掛けられている信者は以下のように分かれます:
・アッラーの存在を否定する物質主義者
・富と欲望や、自分たちの指導者や聖職者を崇める人たち
・アッラーに子や同位者を配したり、アッラーと共に自然現象や天使、動物、偶像などを崇める人たち
彼ら不信者たちには、信者を騙そうとしている導師がいるのです。彼らは彼らのやり方で、さまざまな方法を使い、人々を自分たちの道に誘き寄せようとします。

そこでこのスーラにおいて、至高なるアッラーは信者に、決意し心から信仰の道の上を歩くよう、そして信仰を害するあらゆる呼びかけに耳を貸さぬよう、否定に続く否定と、強調に続く強調という堅甲な表現で命じ給いました。

「私は、あなたがたが崇めるものを崇めない。」:つまり私が崇めるものはあなた方が崇めるものと違う。
「 あなたがたは、私が崇めるものを、崇める者たちではない。」:つまりあなたがたが崇めるものは、私が崇めるものと違う。
「私は、あなたがたが崇めてきたものの、崇拝者ではない。」前述の文章の強調。
「あなたがたは、私が崇めてきたものの、崇拝者ではない。」前述の文章の強調。

(参考文献:①ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーン(P187~188)

②アッ=タフスィール・アル=ワスィート/ワフバ・アッ=ズハイリー薯/ダール アル=フィクル(第3巻P2946~2948)