快晴。夜になって風が吹く。
加藤元文「数学の想像力」を読む。
数学における「証明」という形式は今や
「いかにも正しいもの」としてあるが本当にそうなのかと。
かつて「目に見えるかたち」で「証明」されたさまざまなことが
やがて「無理数」あるいは「無限」に脅えることで「言葉によるもの」に変わる。
「目に見えないこと」にこそ「真理」があるという「信仰」が
そうした動きを加速させたところがある模様。
円周率について
西洋は「挟み撃ち」東洋は「地道な計算の結果出てきた数字の頻度」で求めたというのがなかなか。
本書の肝は中盤にあり冒頭と後半はいささか微妙。
「時代」を離れて物事は存在しないという「事実」をあらためて知ろう。
個人的な「体験」を繰り返せば
二十数年前に「飲酒運転」は「結構な日常」だったが現在は「厳罰」が下されるのでほぼ無理。
その種のことに「疎い人々」はいまだに「過去のままの行動をする」。
そういう「事件」がときどき起こっていて。
ちなみに自分は運転免許のない身で
そのことの「善悪」についてどうこう言うつもりもなく「事実」だけを述べておく。
「原理的に」考えればいつの時代も「飲酒運転」は危険なもの。
ただ「何気なくそれがまかり通っていた時代」があったことは確か。
それが「空気の支配」だとすると何ともはや。
やはり「目に見えないもの」は怖ろしいということか。
「ブレないこと」が評価されるのもそんなところに「原因」があるのだろう。
ただし「君子は豹変す」という言葉もあったりして。
「どうしようもなく不確かなわれわれ」は
よくも悪くも「好きに生きる」しかなさそう。
加藤元文「数学の想像力」を読む。
数学における「証明」という形式は今や
「いかにも正しいもの」としてあるが本当にそうなのかと。
かつて「目に見えるかたち」で「証明」されたさまざまなことが
やがて「無理数」あるいは「無限」に脅えることで「言葉によるもの」に変わる。
「目に見えないこと」にこそ「真理」があるという「信仰」が
そうした動きを加速させたところがある模様。
円周率について
西洋は「挟み撃ち」東洋は「地道な計算の結果出てきた数字の頻度」で求めたというのがなかなか。
本書の肝は中盤にあり冒頭と後半はいささか微妙。
「時代」を離れて物事は存在しないという「事実」をあらためて知ろう。
個人的な「体験」を繰り返せば
二十数年前に「飲酒運転」は「結構な日常」だったが現在は「厳罰」が下されるのでほぼ無理。
その種のことに「疎い人々」はいまだに「過去のままの行動をする」。
そういう「事件」がときどき起こっていて。
ちなみに自分は運転免許のない身で
そのことの「善悪」についてどうこう言うつもりもなく「事実」だけを述べておく。
「原理的に」考えればいつの時代も「飲酒運転」は危険なもの。
ただ「何気なくそれがまかり通っていた時代」があったことは確か。
それが「空気の支配」だとすると何ともはや。
やはり「目に見えないもの」は怖ろしいということか。
「ブレないこと」が評価されるのもそんなところに「原因」があるのだろう。
ただし「君子は豹変す」という言葉もあったりして。
「どうしようもなく不確かなわれわれ」は
よくも悪くも「好きに生きる」しかなさそう。