退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「恐るべし」と言わざるをえないことについて

2012-07-13 03:29:05 | Weblog
雨のちくもり。大雨の予想が外れる。

常岡浩介「ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記」を読む。

プーチンの「支配」するロシアでは
彼もしくは政権に対する徹底的な批判者は殺される模様。

KGB出身で後にSFBの長官にもなった彼は
スターリン以来の「秘密警察」による「伝統的手法」を駆使している。

部下に「テロ事件」を起こさせて
その罪を「敵」になすりつける「マッチポンプ」が得意なのか。

そうした事実を思えばアメリカの9.11も同様のことかという
「陰謀論」についつい惹かれてしまいそうになる。

なるほど「冷戦体制」を作り上げた二大強国の「在り方」は似ていて
いずれも「圧倒的な暴力」が背後にあるという意味で。

この種の「強権と恐怖による独裁」がこの21世紀になっても消えないものだとは。
むしろその「事実」に戦慄を覚えざるをえない。

ヴィクトル・ザスラフスキー「カチンの森 ポーランド指導階級の抹殺」を読む。

イデオロギーによって「敵」であり「邪魔者」だとされてしまうと
書類一枚の「指令」によって抹殺される「現実」について。

「浄化」というものはそもそも「きれいにすること」だけれど
その対象が「階級」や「民族」になると怖ろしいことになる。

ニュルンベルグ裁判当時は「ナチスの罪を際立たせる」という事情によって
「第二次大戦の同志」であるソ連が虐殺を行ったことは米英によっても隠蔽されたとのこと。

「グラスノスチ=情報公開」を行ったはずのゴルバチョフも
結局は決定的な「証拠書類」を隠したままで。

現在の大統領であるメドベージェフは「すべてを公開する」と言ったらしいが
それがどうなっているかは不明。

「ポア」を「当然」とした上でかつてロシアに「進出」したオウム真理教は
おそらく「闇の世界」に接触したものと推察されるけれど。

いずれも「敵あるいは邪魔者は抹殺すべし」という「原理」が共通項。
そこでは「敵あるいは邪魔者」にも自分たち同様に「愛する者たち」がいるという「事実」が見失われて。

われわれは「誰かのせい」にする「貧しさ」から逃れられるのだろうか。
自分たちだけの「正しさ」の「御旗の下」に相手を蹂躙する「貧しさ」から逃れられるのだろうか。
コメント
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