かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

funeral

2005年12月28日 23時21分11秒 | 一般
あまり眠れず朝を迎えた。いよいよ今日が葬儀である。今日を迎えるまで、正直自分が泣くなど想像だにしなかった。普段の私を知っている読者諸氏もきっとそう思うのではないかと思う。
ずっとここまで胸にグッと来るものはあったが、そのたびに堪えた。いや堪えようとした。弔辞の場面で実はかなり危なかった。それでも堪えた。でも棺の中に花を供える段になり、最後に蓋が閉じられる際にはもう堪えきれなかった。止めようにも止まらなかった。ハンカチを借りて、涙を抑えようとした。しかしながら、そんなことでとどめることはできなかった。嗚咽を漏らすのを防ぐので精一杯だった。もっと幼ければ遠慮なく泣くこともできただろう。だが私にも21歳の大人としての見栄がある。その狭間で私は泣いた。ダブルの喪服に身を包んで。
一度涙がこぼれると、そのあとは急に涙脆くなり、ちょっとした拍子に涙がでた。
そしてバス型の霊柩車に乗り込み火葬場に向かった。火葬場は立派な建物だった。外からでは何の施設かわからないくらいだ。棺を炉に納めるとき、また泣きそうになったがここでは堪えた。どこかでまだ生きてると信じたかったのかもしれない。火葬されて骨になってしまえば人の形をした祖母はもう永遠に見られないからだ。そして、火葬場で火葬の間しばらく物思いに耽っていたら、最初はただの物思いだったのだが、父に察してもらうとその瞬間にまた目から涙がこぼれ、しばらく涙が止まらなかった。骨上げでは鎮まったが、またその後の繰上法要で泣いてしまった。たまには自分も涙脆くなるものだと思った。
これまで、私は葬式で多くの人の前で涙する人を理解できなかった。そして、心の底から手を合わせることもできなかった。しかし、多くの思い出がある祖母の葬式ではそれがなぜなのか理解できた気がする。親しかった人が死んでしまうこと。それは心を理屈抜きで突き動かした。動いていた人がぱたっと動かなくなってしまうこと、それがいかに衝撃だったか。そういうことである。