一寸先は闇、という言葉がある。この言葉、心境によって大好きになったり大嫌いになったりするのだが、小学校卒業当時は大好きだったらしい。それから中学生になり高校生になり、ある日は楽しく、ある日は悲しく過ごしてきたわけだが、その頃はそんなこと考えもしなかっただろう。否応もなく突きつけられたのは、高校卒業が目の前に迫ってからである。行く手はまさに闇。かろうじて目を凝らしたらうっすらと何本もの枝分かれが見える程度。かといって振り返ってみても何もなかった。気がつけばもうほんの先までしか道はなくなっていた。
結局足を踏み出してみたものの、道にのるまで少し時間がかかった。それまでの期間は悪夢なのか何なのか。闇にふわふわと漂っていただけだからだ。一寸どころの話ではない。
闇を抜けた先に何があったか。道がたくさんありそうに見えた。だが今から思うとどの道も同じゴールにつながっているのではないだろうか。でなければ、しばらく進むと道がなくなっており、引き返さざるを得なくなったのではないか。確実そうに見えた道もよくよく見ればとびとびにしか見えないようだ。ゴールははるか彼方にあるのだろう。その方向には進んでいるだろう。しかし、足下には何があるのか自分には見えているのだろうか。ひょっとしたら何もないのかもしれない。気付かぬうちに落下し続けているのだろうか。
もしそうなら罪深さの塊だな。暗いからこそ光明も見えるものだ、ということもできようが。
結局足を踏み出してみたものの、道にのるまで少し時間がかかった。それまでの期間は悪夢なのか何なのか。闇にふわふわと漂っていただけだからだ。一寸どころの話ではない。
闇を抜けた先に何があったか。道がたくさんありそうに見えた。だが今から思うとどの道も同じゴールにつながっているのではないだろうか。でなければ、しばらく進むと道がなくなっており、引き返さざるを得なくなったのではないか。確実そうに見えた道もよくよく見ればとびとびにしか見えないようだ。ゴールははるか彼方にあるのだろう。その方向には進んでいるだろう。しかし、足下には何があるのか自分には見えているのだろうか。ひょっとしたら何もないのかもしれない。気付かぬうちに落下し続けているのだろうか。
もしそうなら罪深さの塊だな。暗いからこそ光明も見えるものだ、ということもできようが。