かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

帰京

2005年12月30日 22時19分07秒 | 一般
何もなければこの日東京を発つはずであったが、これまで書いてきた事情により逆に東京に戻ってくる日になってしまった。正月も祝うことはできない。いや、祝う気になれない。
今日は祖母の命日を含めて数えて、7日目に当たるので初七日の法要があった。祖母の遺体が安置されていた場所には祭壇が作られ、そこに遺影と遺骨が安置されている。お坊さんの読経をかしこまって聞き、焼香をすませたのち、空港に向かった。そして、昼過ぎの飛行機に乗り羽田に着いた。そこからタクシーで家に戻った。滞在日数は当初の予定通りで、出発がずれた格好になった。
滞在中はテレビもほとんど見ず、新聞を見てもあまり頭に入ってこなかったため、完全に世の中の動きから隔絶されてしまっていた。そのため、認識に微妙なずれが生じており、違和感を感じた。
帰ってからこれまでの携帯で更新した分に加筆をしたり、修正を加えたりした。もし、これまでの経緯を読まれた方がいたら変わっているところがあるのでまた読み直されるといいかもしれない。
とにかく、精神的に衝撃を受け続けた7日間であった。思い返してみると、突然の一方で全てが変わったところから始まった。北海道で家について布をめくって顔を見たとき、「ああ、本当なんだな」とそう思った。見慣れた祖母の顔がそこにあった。息をしていないことをのぞけば、化粧して眠っているようにみえた。湯灌の際に手伝って遺体を持ち上げたとき、湯をかけてあげたとき、死装束を着せられているとき、ただ目を閉じて気持ちよく洗われているだけのように見えた。納棺が済んだときも、まだ起きてきそうな気がした。本当にお別れだと思ったとき、遂にこみ上げてくるものを抑えきれなくなってしまった。火葬されて収骨のとき、そこに祖母の姿はもうなかった。そして家に戻った。死後の事務手続き、片づけに忙殺された。そんな感じである。事実は事実。最終的には受けとめるしかないのである。