のち
「画本厄除け詩集」
井伏鱒二(1898~1972)
画・金井田英津子(1955~)
パロル舎
質素で、落ち着いた時間が流れた時代の生活感ある詩で、画はそれに合わせるように描かれてはいるが、それ自体に他の物語を連想させるような面白さがあって私は画のほうに惹かれた。
なぜ、「厄除け」とついたのか…この本が厄除けになるように筆者が願いをこめたのだろうか、想像にお任せということか。
半分が訳詩で占められ、そっちの方がリズム感があって好きだ。
ネマノウチカラフト氣ガツケバ
霜カトオモフイイ月アカリ
ノキバノ月ヲミルニツケ
ザイシヨノコトガ氣ニカカル
靜夜思
李白
牀前看月光
疑是地上霜
擧頭望山月
低頭思故郷
で、この本に出会って何より驚き感激したのがこれ↓
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
勧酒
于武陵
勧君金屈巵
満酌不須辭
花發多雨風
人生足別離
何故かというと、これを読んで、30数年前に読んだ寺山修司の「さよならの城」という詩集を思い出した。
さよならだけが人生ならば
また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いてる野の百合何だろう
さよならだけが
人生ならば
めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と
ふたりの愛はなんだろう
さよならだけが
人生ならば
建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろう
さよならだけが
人生ならば
人生なんか いりません
今読むと随分センチメンタルですね(フフ)
これを読んだ若かりし頃、「さよならだけが人生だ」と言い切った人に対して書かれた詩なのではと思った。
そして今この漢詩と遭遇、やっぱりそうだったんだ!(と、勝手に決めつけます)
いや~、びっくり!
大昔に読んで忘れていた詩と繋がりました!良かった~
しかも仕舞い込んでいた寺山修司の詩集を手にしてみて、もう一つ繋がっていたものを発見
挿画の宇野亜喜良はこのブログで紹介している季刊誌「詩とファンタジー」の常連。変わらぬ独特の世界とペンタッチが繊細に進化しているのが見て取れて面白い。
詩とファンタジー No.6
(丁度、一番最後に載せていました)
こんな風に、私達もいろんな所でいろんな風にいろんな人と繋がっているんだろうと思います。
偶然にも今は卒業転勤と、サヨナラシーズン、「サヨナラだけが人生だ」にするかしないか、したいかしたくないか、人それぞれの生き方、考え方で決まるような気がするけれど、たとえ永遠にサヨナラしたつもりでも、知らないところで実はいつまでも繋がっていることだってあるし。
近くにいてもサヨナラしてる場合もあるし。
あぁ、本題から逸れそうなので、この辺で。
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