POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 「デリー(Delhi)」の南東200kmほどのところに「アグラ(Agra)」という都市があります。「タージ・マハル廟(Taj Mahal)」で有名なところです。インフラの整備が非常に遅れているインドに妻や子供を連れて行きたいとは思わないのですが、タージ・マハルには機会があれば一人で訪れてみたいとは思います。



 ムガル朝第5代皇帝のシャー・ジャハーン(Shah Jahan、1592年1月~1666年1月)は、1612年に宮廷貴族の娘のムムターズ・マハル(Mumtaz Mahal、本名 アルジュマンド・バーヌー・べーガム(Arjumand Banu Begum)、1595年4月~1631年6月)と婚姻しました。シャー・ジャハーンには、他に2人の妻、アクバラバディ・マハル(Akbarabadi Mahal )とカンダハリ・マハル(Kandahari Mahal)がいましたが、2人に情愛を示すことはなく、義務として各妻に1人の子をもうけたに過ぎなかったといいます。 しかし、ムムターズ・マハルとの間には、14人もの子供がいました(但し、成年まで育ったのは男子4人と女子2人)。17歳で結婚し、36歳で亡くなっていますから、ほぼ毎年のように子供を産んでいたことになります。

 しかし、その最愛の王妃は1631年、遠征先(夫と行動をともにしていました)で亡くなってしまいます。病気でした。シャー・ジャハーンは悲嘆にくれ、王妃を弔うためにタージ・マハルの建設に着手します。20年以上をかけ、この廟を完成させることになります。この廟の建設に没頭することで、悲しみを紛らわしていたのでしょうか。シャー・ジャハーンは1666年になくなっていますから、王妃が亡くなってから35年生きていたことになります。時が王妃を忘れさせてくれなかったとすれば、どんな気持ちで日々を送っていたのでしょうか。



 そんなシャー・ジャハーンは晩年、息子のアウラングゼーブによってアグラ城に幽閉されてしまいます。アウラングゼーブは、愛妃ムムターズ・マハルの子で帝位についていました。晩年のシャー・ジャハーンは毎日、アグラ城からタージ・マハルを眺め、涙を流して過ごしていたと伝えられています。

 現在、タージ・マハルでは、シャー・ジャハーンとその愛妃ムムターズ・マハルの棺は並べて安置されているそうです。
     
        (この項 健人のパパ)

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