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ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

アートの価値

2007年12月18日 | 芸術


今日の新聞に、最近のアートの状況に関する記事があっ
た。
「俗流化」という言葉で表わしていたが、個人的にも
感じていることなので、思わず「そうそう」と頷いてし
まった。
どういうことかというと、市場化の波がアート界にも
押し寄せて、人気のあるものが芸術性があるかのよう
に受け入れられ、それがアートの主流となっていしまっ
ているのが今のアート界であるということ。
昔のように、芸術イコール難しいではなくなった。
まず、芸術という言葉もアートとなることによって、
その重さもなくなり軽くなり、その敷居が低くなり(悪
いことではないが)、ポップで軽い具象的な万人に受
け入れやすいものばかりが、次から次と生み出される。
実際それらを見ても、単なるイラスト、アニメにしか
見えないのだが、それが恐ろしいほどの金額で取引さ
れているのが現実だ。

売れるものが良いものである、というのが絶対的基準
であるかのごとくなっているのが、市場経済の一番の
欠点であるかは判らないが、そう思っている人が多い
のは事実だ(思わされていると言ったほうが良いか)。
文化の衰弱化、と言えるのではないか。
一般的に言って、売れるものはその通俗性が大きな要
素となる。
万人向けな要素と言い換えても良い。
経験的に、通俗的なものに質の高いものはない、とい
うのは知っている人は知っていることではないだろう
か。

例えば骨董。
一見派手な金を使った壺とか、縁起物、いかにも高そ
うだがいかにも趣味が悪い。
見るからに俗っぽいものだが、一般的にはそれなりの
人気がある。
絶対後世に残るものではないが、市場価値は常にある。
つまり、そのものの美的価値ではなく、商品価値がそ
んなひどいものでも確実にあるのが世の中なのである。
趣味が悪い、と思っても、当人は全くそうは思ってな
いから、そう思ってない同士で常にそれなりの価値で
取引され続ける。
そこに目をつけ、投機的な目的で一儲けたくらむ輩も
参入して、一気に魑魅魍魎の世界となるのが骨董の世
界だが、今のアート界も同じような状態となっている
と言える。
特に最近は、中国マネーが、かつてのバブル期のジャパン
マネーと同じ役割を担っているようだ。

結局は、商品価値が作品の芸術的価値と一致しないと
いうことが問題なのだが、もっと問題なのは、その芸
術価値というものが客観的に証明できないということ
なのだ。
主観の領域なので、例えば個人的にセンスが良いと思
う芸術家に対して、他の人がそう思うかは全く別問題。
人それぞれがその人なりのセンスで判断する。
ただ、通俗的なセンスの人というのは、ある程度とい
うか、かなりの確信を持って判断できる。
そして、そういう人が良いと思う物は、殆ど100パー
セントこちらからすると評価できないものであるのだ。
しかしこれも、向こうからすれば全く同じことがこち
らに対して言えることである。
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ACミラン

2007年12月14日 | 芸術


対ACミラン、1-0で浦和は負けた訳だが、良く頑張っ
たとも言えるし、スコアー以上に差があるとも言えるし、
どちらにしろ浦和にとっては、良い経験になったこと
は間違いない。
パスのスピードとか、寄せの早さ、瞬間の判断の早さ、
一つ一つの差が、全体ではやはり大きく、この差は一
朝一夕で埋められるものではない。
一歩一歩改善するしかないということだろう。
万が一浦和が勝ったりしたら、世界的に見れば、あま
りに魅力がないカードとなるところだったので、1-0
というスコアーは、なかなか絶妙なスコアーだったとい
う気もする。
浦和にとっては、可能性を感じさせるものとなったし。

それとは関係ないところで、あのジーコ率いるトルコ
の「フェネルバフチェ」は、欧州チャンピオンズリーグで、
決勝トーナメント進出を決めた。
あのジーコが。
監督しての能力が上がったのか、とは素直に思えない
のは、彼のやり方を見ていたからだ。
考えられるのは、チームの核としてブラジル選手を入れ
たのが効果的だったということだ。
特に「ロベルトカルロス」が利いているのでは、と思
う。
彼なら、ゲーム全体のコントロールが出来、実質監督
のような役割を担うことが出来るのではないか。
と、どこまでもジーコの実力に疑問符なのだが、本当
に有能な監督であったなら、考え方を改めます。

このところ、ずっと休んでいる中村俊輔の「セルティック」
も進出を決めたが、最終試合が対ACミランで、スコアー
も浦和と同じで1-0。
だからなんだという話だが、言いたいことは、ACミラン
というチームは、1-0で勝つことは、2-0、3-0で
勝つのと同じく、余裕を持って試合をコントロールし
ての結果であったり、つまり必ずしも辛勝ではないと
いうことだ。
つまり、浦和が1-0で勝つのは、とても余裕を持っ
てなどと言えないが、ヨーロッパの強豪チームはそれ
ができるのだ。
この辺は、サッカーの歴史文化の違いというものだろ
う。
それにしても、今現在、中村俊輔はどうなってるんだ。
怪我なのか、調子そのものが上がらないのか、今ひと
つ正確な情報が伝わってこない。
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イングリッシュパブ

2007年11月29日 | 芸術


映画少年兼サッカー少年Yに、かねてより連れて行っ
てくれと頼まれていたイングリッシュパブに、とうとう
行く事になった。
店の名は「BULL AND BEAR」という。
場所は、ここから車で一時間ほどの、八ヶ岳の麓の、と
いうより懐か、そんな周りが殆ど林の中。
夜出かけることになるが、真っ暗な人の気配が殆どない、
こんなところにそんな店があるのか、と誰しも不安に
思うような場所に、忽然と、明かりに照らされたイギ
リスのパブそのまんまの姿の一軒家が眼前に登場する
のだ(大分大袈裟に言ってます)。
それにしてもイギリスそのものだ(行ったことはない
が)。
イギリス人なら泣いて喜びそうだ(多分)。

店内に入ると、これまた現地そのまんまだ(行ったこ
とはないが)。
兎に角、雰囲気は良い。
イギリスと言えば「フィッシュアンドチップス」とい
うことで、フィッシュ、チキンアンドチップスの盛り
合わせを頼む。
要するに、チキン、フィッシュのから揚げとポテトフ
ライの盛り合わせだ。
居酒屋で言えば「から揚げセット」。
流石イングリッシュパブ、居酒屋セットも何か特別な
もののように感じられる。
これこそイングリッシュマジックだ。
マジッククリスチャン(適当)。

飲み物はYはギネスの生をone pint、こちらは運転
なのでノンアルコールビール。
美味そうにYはギネスをゴクゴク。
こちらのノンアルコールビールも心なしか香りが良く、
ノンアルコールにしては美味い。
これもイングリッシュマジックか。
あっという間にone pintを飲み干し二杯目を頼んだ
Yは、このポテト美味いですよと、幸せそうに言う。
確かに、揚げたてでかりっとした皮付きポテトは美味
い。
フィッシュ、チキン無しのポテトだけで良いかもしれ
ない。
次に、こちらは「ミートパイ」Yは「手羽先の何とか」
を頼む。
「ミートパイ」は、一般的なひき肉ではなく、すね肉
を柔らかく煮込んだものを使っていて、これぞ正しく
ママンの味。
イギリス人が故郷を思い出し、望郷の念に暫し涙する
ものではないか(全て適当)。
「ミートパイ」ではなく「キドニーパイ」は確か名物
ではあったと思うが(これは本当)。

今回初めて知ったのだが、Yは軟骨好きで、手羽先の
骨も全てぽりぽり食べて、完食した。
お皿には何も残っていない。
焼き鳥の軟骨は判るが、手羽先の骨まで食べるか、普
通。
まあ、骨も食べられ、ギネスの生黒ビールを4pint
飲み、Yにとっては至福のひと時であった事だろう。
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池田満寿夫美術館2

2007年11月09日 | 芸術


時期的には紅葉シーズンということで、小布施は平日
にも拘らず結構な観光客がいる。
最初店に入った時は、一組だけだったが、その後次か
ら次と客が入り、結局満席となった。
構成は、おばさん80パーセント。
どこに行っても、おばさんパワーを見せ付けられる結
果となる。

こちらは3人だったので、店の人にそれを告げて席に
着いたのだが、何故か、待ってたかのように四人席に
三人分のセットをしてあった。
予約をした覚えはないが。
ひょっとして予約客と間違えてるんじゃないの、ちょ
うどこちらも三人だから、などと話しながら、向こう
が案内したので座った。
しかし、テラス席のほうが気持ち良さそうだったので
そちらに移動した。
その後、最初のテーブルはどうなったかというと、予
想通り三人のグループが来て座った。
やっぱりね、と頷いた。
店のお兄さん、真面目そうなのだが、今ひとつ要領が
悪そうで、混雑してきたら大変そうだと他人事ながら
気になった。

ランチメニューは、蕎麦のガレット三種とキッシュの
みである。
それらを全部頼んだ。
ガレットは、「紅鱒の燻製」「生ハム」「鶏のコンフィ」
で、キッシュはオーソドックスにロレーヌ風。
ガレットは専用の器具で焼いたもので、ちゃんと本場
風のできで美味い。
鶏はどこがコンフィなのか今ひとつ不明だったが。
野菜などもたっぷりの具沢山で、結構食べ応えがあり、
キッシュも普通に美味く、結果お腹は一杯となった。
シードルとエスプレッソまで飲み、ランチとしては充分
満足感のあるものだった。
小布施辺りだと、こういう店も商売になるんだな(どう
見てもガレットなど知らなさそうな人達がお客だったか
ら)、と感心しながらの暫しのランチタイムであった。
店名(ヴァンヴェール)の緑風(vent vert)を感じた
ひと時、ってか。
尤も、今は紅葉シーズンだから紅風(vent rouge)か。

我々が出た時には、殆どの客は帰ったあと。
結局2時間近くいたことになる。
飲み物を追加したからと言って、それほど複雑な会計
でも無さそうだが、例のお兄さんのレジは手間取った。
これも予想通りといえば予想通り。
お兄さんに「未だ緑風吹かず」か。

店をあとにし、帰りは、最近流行というかETC特権
ともいえる、パーキングから直接高速に出入りできる
という「小布施パーキング」に向かう。
そして、そこの道の駅で、地元産の「ラ.フランス」
(洋ナシ4個で300円)何ぞを買い、高速に乗って
帰路に着いた。
諏訪インター近くから見る八ヶ岳は、「マグリット」の
山の絵のように、西日に照らされ鷹が飛びたつようで
あった。
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池田満寿夫美術館

2007年11月08日 | 芸術


松代という、嘗て大本営の地下壕が築かれた町にある
「池田満寿夫美術館」に行ってきた。
しかし、「池田満寿夫」に特別関心があるという訳では
なく、松代も(同じ長野県でも行った事がないところ
のほうが断然多い、未だに上高地すら行った事がない)
何か機会がなければまず行く事もない所なのだが、た
またま行く人がいて、誘われ、その何かの機会が訪れ
たわけで、同行するということになった次第だ。

高速で、一時間ほどで着くのだが、感覚的には東京よ
り遠いと思うのは、それだけ接点がないということ。
長野県は北信、中信、南信と分けるが、本当にそれぞ
れの文化的交流というのはない。
今はあまりないのだろうが、嘗ては対抗心が相当あっ
たようだ。
それで、「県歌」などを作って、どうにかまとめ、一
体感を持たせようなどとしたのではないだろうか。
アメリカ国歌で急に皆まとまるのと同じ効果を狙って。

そんな、北信にある松代だが、ところどころ昔の面影
が残って、どうにも鄙びたところで、なかなか味があ
る町だ。
特に駅舎は、物凄く古びていて、建築的価値とかはな
いと思うが、その古さにちょっと感動する。
その駅から直ぐのところに「池田満寿夫」美術館はあ
る。
どうやら栗菓子メーカーの資本の美術館らしく、同じ
敷地にその店舗もある。
展示作品は、学生時代の頃の物から、最後の焼き物ま
で、時代別に網羅されている。
個人的には「ヴェネチアビエンナーレ」のころの作品
が好みである。
デュシャン風、ピカソ風、マチス風、ウォーホル風、と
いろいろ変化するのを見て、その変遷を感じる事がで
きるのが、こういう個人美術館の良さだろうか。

ざっと見終わって、我々は小布施に向かった。
小布施というのは、北斎縁の地で、有名な「北斎館」な
どがあるところ。
しかし、それを観にいったわけではなく、昼飯を小布
施で食べようというそれだけの理由で向かったのだ。
小布施というのも初めてのところだ。
松代から、30分ほどで到着。
「Vent Vert」という店に、「蕎麦粉のガレット」
を食べるために入った。
予め、調べ、良さそうだったのだ。

つづく
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狩野派

2007年10月29日 | 芸術


狩野派と言って思いつくのは、「狩野永徳」「狩野探幽」
「狩野芳崖」の三人くらいだ。
他にも一杯いるのだが、有名なのは(自分の中で)この
三人なのだ。
中でも、一番だと思っているのは「狩野永徳」。
これも、本物を実際見たわけではなく、知識の中ではそ
うであるという話だ。
その「狩野永徳」の大規模な展覧会が、今、京都の国立
博物館で行われている。
彼の作品がこれほど多く一堂に会すのは、初のことら
しい。
描いた作品は多いが、現存するのが少なく、しかも分
散しているから、まとめて観る機会はそうなく、今回
が唯一のチャンスかもしれない。

京都国立博物館といえば、かつて同じように大規模な
「若冲展」をやって、かなりの好評を博した。
あれもこの時期だったような。
5年ほど前だが、まだ今ほど人気沸騰ではなく、そん
なに人も多くなくゆっくり観られた。
未だに、個人的過去十年のベストワン展覧会であり続
けている。
さすが京都というか、良い企画物をすると思うが、今
回の「永徳展」、ちょっと調べてみると、ある日の日
曜の混雑状況が出ていて、なんと80分待ちだという。
人気ラーメン屋か。
展覧会で80分待ち、ということは、入場制限という
ことだから常に会場にはかなりの人数がうごめくこと
となる。
何が厭かといって、ベルトコンベヤー式にどんどん押
し出されながら観賞を強いられる事。
混雑している展覧会場というのは、絶対避けたいとこ
ろベストテンの、第6位には入るだろう。
行きつ戻りつ自由に観賞、これが良いのだ。

ここのところテレビにも取り上げられ(美の巨人でやっ
たのを見た)、更に人気化してしてきたのだろうが、
そもそも「狩野永徳」って、それ程の知名度があった
のだろうか。
有名なのは「探幽」だと思うが。
こちらが知らないだけか。
まあどちらにしろ、日本の過去の絵師に焦点が当たり、
再発見されるのは喜ばしい事なのではないか。
しかし、京都か。
ちょっと、遠いな。

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読書2

2007年10月28日 | 芸術


昨日の続きではないが、考えてみれば、ブログで書い
ていることは、純粋な日記でもないし、さりとて随筆
という立派なものでもないし、結構作っている部分も
あるし、そういうところは小説的だしと、要するに中
途半端と言えば中途半端、色んな要素が入った新しい
形態、と言いたいところだがそれほどのものでもない
し、まあ「ブログ的」という大まかな形のようなもの
で良いのか、と思う。
なんと言おうと、すでに無数に存在しちゃってるのだ
から(ここも含めて)。

で、昨日の読書で思い出したが(書いていくうちに思
い出すという事は確かな事実で、その点では間違いな
く脳のある部分を刺激するのだろう、つまり書いてい
る人にとっては少なくとも、脳の活性化という利点が
ある)、高校生の時に買った本を思い出した。
3点。
「野菊の花」「蓼食う虫」「布団」だ。
これを見て、その共通点が判った人はかなりの文学通、
或いは、全く自分と同じ理由でそれらを知っているか
のどちらかだ。

当時、買おうと思ったそもそもの動機は、このまま本
とかに接することなく生きていくのは、やばいのでは
ないか、つまり最低限の教養的なものは無いと、など
と一応ある種の危機感があったのだと思う。
それは、初めての「知に対する目覚め」だったのかも
しれない(かなり格好つけてます)。
それで、取り敢えず本屋に行く。
漫画以外買った事が無かったので、文庫のある棚に行
くだけで何故かどきどきしてしまう。
全くの予備知識なしで、何を選ぶか。
視覚的に魅力的なもの。
それは何か。
ずばり本の薄さだ。
つまり、三つの本の共通点は、その薄さなのだ。

選択理由が、本の薄さというのも笑っちゃうが、当時
はその程度で一杯一杯だったのだ。
読む習慣の無い人間にとって、本の厚さは脅威だ。
たまに、平気で厚い本を読んでいる人を見かけると、
その内容に関係なく(全く知らないのだから当時は)
尊敬の対象であった。
自分の限界は、文庫で200ページ。
それ以上になると、眩暈を覚えたものだ。

肝心の内容だが、感動した記憶もないし、内容は全く
覚えてないし、ただただ読んだという事実だけで満足
したのだろう。
未だに当時のままそれらの本がある。
よほど嬉しかったのだろう。
その時は、本棚に自分の読んだ本をずらっと並べて、
多分、これだけ読んだんだと自己満足を得ようなどと
思ったはずだが、いかんせん、薄い本はそんなに数は
無く、結局本格的読書は身に付かず、その3点だけの
寂しい棚のままで終わった。
そんなものである。
まさかその後、対極の「失われた時を求めて」を読む
事になろうとは。
この点だけは、自分でも良くやったなと思う。
こういうのを、隔世の感などというのだろう。
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読書

2007年10月27日 | 芸術


義務ではなく、能動的に読書をし始めたのはいつだった
か思い返してみると、小学校の時ではないことははっ
きりしている。
図書館などは無縁の場所だった。
課題か何かで、無理無理「リンカーン」かなにかの自伝を
一回借りたような借りないような。
兎に角、皆無に等しい無読書時代だ。
そして中学では。
ここでも、似たようなもの。
家にある本を読むべきという圧力は感じていたが、全
く実践はなし。
高校生になれば、と周囲の楽観とは裏腹に、ここでも不
毛の時代をすごす。
結局、本当に興味を持って本を買ったのはその後の大
学時代ということになる。
かなり遅い。

だから、ある年代で読むであろう本、例えば名作全集
に必ずあるような「夏目漱石」「島崎藤村」「森鴎外」
などはまともに読んだ事はない。
洋物では「トルストイ」「ドストエフスキー」「ジイド」
など。
別に、今読んでも良いのだろうが、もう、なかなか読
む気にはならない。
こういうところが、文学少年的ではなかった故の現実
である。
今となっては、あまりに好みがはっきりし過ぎている
のだ。

とかなんとか読書について書いていると、これは随筆
かと一瞬錯覚する。
ブログであった。
「お前に随筆などない」と白犬お父さんに怒られそう
だ。
ブログに戻そう。
日記だ、web log。

今日の新聞に、小学生の読書時間が、少し増えたとあっ
た。
携帯漬けの子供が読書に移行する方が、字を見るとい
う共通点がある分、缶けり好きの子供が読書に移行す
るよりは無理がない。
これは、今考えた理屈だが、傾向として今は、アウト
ドアではなくインドアであるから、まずは家の中とい
う環境は、少なくとも読書には適している。
昔よりは、環境的には移行しやすいとは言える。
しかし、一番重要なのは興味があるかないかという
ことだ。
自主的にその気にならないと、面白さも分からない。
須らく...。

とここで、映画少年Yが来た。
ここから急遽実況。

「この前言ってたカレーあります?」(Y)
「覚えてた?」(私)
「当たり前ですよ」(Y)
「そうか、じゃあ野菜、チキン、シーフードがあるけ
どどれにする?」(私)
「オーソドックスにチキンにしますか」(Y)
「それが良いかもね」(私)
「種類の違いは、香辛料の違いですか?」(Y)
「ザット イズ ライト」(私)
「で、いくらです?」(Y)
「今回は、試食ということでいいよ」(私)
「あっざーす」(Y)
「作り方は箱に書いてあるから」(私)
「じゃあ、感想文を原稿用紙二枚分書いてきます」(Y)
「くれぐれも、物語にしないように、飽くまでも批評
だからね」(私)

と、映画少年Yは、「ネパールカレー」の箱と共に去っ
ていった。
Gone with curry

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詩の秋

2007年10月19日 | 芸術


一年で、一番厭な季節が今頃だ。
秋になりきったとも言えず、さりとて間違っても晩夏
ではないし、しかし、体はまだ夏の暑さを記憶してい
る。
要するに、中途半端な時期なのだ。
だから余計に寒さは感じる。
体がまだ、冬に向けての仕様になっていないから。
完全に紅葉にでもなれば、視覚的にも秋であると納得
でき、「ああ秋だ」ということになる。
そうなると、小津の「晩秋」でも観て黄昏るか、と一
つの流れが出来上がり、気分が体と同調し、良い具合
になるのだ(50%嘘)。

トンボも少なくなり、夏の勢いがなくなっている。
日に反射する羽の色が小麦色に輝く。
羽ばたきがすくなくなり、一瞬スローモーションであ
るかのような錯覚を覚える。
子孫を残す最後の仕事も終え、後は死を待つだけ。
その証を見せ付けるかのような光の反射。
死と生の戯れ。
ふと、眼を道端に向けると、羽が取れたノシメトンボ
の乾いた屍骸。
季節は秋である。

いやあ、作ってしまった。
詩のようなものを。
何故このような事態に至ったかというと、このところ
スポーツネタが続き、ちょっとネタ切れというか、書
く事が思いつかない、と書き始めたら、手が勝手に動
いて自然に出来てしまったのだ。
というのは、真っ赤な嘘で、無理無理作ったというの
が本当のところ。

一般的に、秋というのは詩の季節だったような。
どうもそれは、寂しさを感じる季節、或いは憂鬱に襲
われる季節だから、であると思う。
その気分に任せ何か書けば、それが詩になる、と言い
たいところだが、果たしてそうだろうか。
そもそも、詩とは何か。
詩情というのは分かるが、詩情をこめたものが詩であ
るかとなると疑問だ。
歌謡曲の詩も詩であるとなれば、間違いではないが、
そんなことはスタローンの「ランボー」は許しても詩人
の「ランボー」は許さないだろう。

実は、「詩集」というものを読んだ事がない。
正直なところ、詩の面白さが分からない。
だから、どういった詩が本当に良いものなのか、今ひ
とつ見当がつかない。
世の中に広くある、少女趣味、或いは感傷的なひどい
ものは分かるが。
今でも、ポケットにさりげなく「リルケ」「中原中也」
などがあると、ちょっと格好良いということになるの
か。
少なくとも昔はそうであった、ようだ。
そんな事はどうでも良いが、この先も未知な世界であ
るのだろうことだけは、多分間違いない。
コメント

リトグラフ

2007年09月28日 | 芸術


先日来た学生時代の友人は、最近「リトグラフ」を始
めた。
最近といっても、もう二年ほどは続いていて、一応と
いうか、そうでもしないと続かないと思うが、教室に
通っているらしい。
周りには、美大を目指す高校生もいれば、所謂典型的
な、「ちょっとイメージの良い趣味をしたい」という
主婦などが多いそうだ。
彼の動機も、それらの主婦と似たようなものだ。
学生時代のクラブ活動は、同じ美術クラブだったが、
そういえば彼の作品らしい作品は見たことがなかった。
当時は、油絵などをせっせと描いていたのだが、全く
彼の作品は覚えてない。
その代わり、マージャンをやったのは覚えている。
頻度では、圧倒的にマージャンの勝ちだった。

そんなあまりに貧弱なクラブ活動体験であったが、そ
れでも「三つ子の魂」というほどのものではないが、
接してはいたので、再び描いてみようという気になっ
たのだろう。
油絵は、ちょっと大袈裟というか、下手に大きいと「無
駄に大きい」という印象を与えがちだし(実際多くはそ
うなのだが)、始末に困るところがあるので、印象も
実際の重さも軽い「リトグラフ」を選んだ。
日本語だと「石版画」といわれる「リトグラフ」だが、
要するに昔の印刷技術なので、木版のように木を削っ
た独特のタッチとかが出るものではなく、描いたもの
を忠実に再現するような仕上がりとなる。
で本当に良いのだろうか。
知ったように書いたが、実は「リトグラフ」というも
のを詳しく知っているわけではないので、ほぼそんな
ものだという程度の認識で話を進めたい。

それで教室では、基本中の基本のデッサンから始める
らしい。
そりゃあ、そうだ。
風景なり静物が描く対象なので、デッサンが出来なけ
れば上手くは描けない。
そんなことはしたことない彼は、自分の下手さ加減に
愕然としたらしい。
全く、やったことないから当然だが、建築士の資格も
あるのだからある程度はいけそうにも思うが、関係な
いのだろうか。
それでも、何度もやってるうちに上達してきて、ある
程度にはなったらしい。
それで、今度は、周りの主婦連中の下手さ加減に呆れ
ている。
「大して変わんないんじゃないの」という言葉は、ぐっ
と飲み込んだ。

いずれにしろ教室では、技術的なことを教えるので、
間違いなく最初より上手くはなる。
色の使い方とかそういうのも技術で教えるのだから、
「一見上手そう」という作品はできるようになる。
そういう「一見上手そう」な作品を求めるから教室に
来るのだから、それはそれで良いのかもしれない、で
はなく、良いのである。
芸術志向であったなら、そもそも教室になんか通うは
ずもないのだから。
それで彼は、山登りが趣味でもあるので、山の写真を
元にせっせと「リトグラフ」を作るのである。
そしてその作品は、周りの主婦連中には非常に評判が
良いということだ。
めでたしめでたし、であった。



コメント

躑躅

2007年05月29日 | 芸術


花瓶に花を生けなければならいという状況があり、そ
のためにわざわざ花を買いにいくのも面倒だし(一回
限りのために)と思い、何か他に無いかと考えた。
そこで浮かんだのが「躑躅」だった。
今がシーズン。
オレンジ色が鮮やかな躑躅の花で、充分誤魔化すこと
は出来るだろうと、早速畑の躑躅を持ってきてくれる
ようにと兄に頼んだ。
これで花はOKだ。
しかし、これだけでは今ひとつ見栄えはしない。
バックがほしい。
背景があってのオレンジ色。
その効果を発揮するためには、緑がほしいと思った。
何か無いかと思案している時、良いものを思いついた。
いつも行く蕎麦屋さんの前に、葉っぱにまだらの白い
模様の入った背景にはうってつけの「何とか」(名前
は知らない)があって、ちょうどこの前行った時、そ
ろそろ剪定しないとと言っていたのだ。
早速葉っぱを貰いに行った。
主人は快く承諾した。
ついでに看板にかかっていた部分も剪定し、気持ち手
伝ってきた。

ある程度ヴォリュームを持たせないとしょぼくなるの
で、それなりの量をもらって家に帰り、いよいよ花瓶
に生ける段階となった。
と言っても、ばさっと突っ込むだけのことだが。
「草月流」をイメージしてとか一切無く、ただただ躑
躅の後ろにその葉っぱ(正確には葉の付いた小枝)を
突っ込むだけ。
ここまでの文章だと、それなりの経験があるかのよう
に思われるかもしれないが、今回がまるっきり初めて
のこと。
だから完全に自己流の世界だ。
侘び寂びの世界からは「遠く離れて」なのだ。
全体のバランスだけを考えて、無理やり葉っぱの向き
を変えたり、長さによって位置を変えたりと、しめて
10分ほどの作業だった。
緑に映えるオレンジ色、まあほぼイメージしたような
出来映えだ。
買った花を生けるよりは数倍良いんじゃないの、と自
画自賛して終了した。

使う場面が、とりあえずあれば良いというものなので、
これで充分なのだ。
実際、「わあ豪華」(只なのに)などという声も聞こ
えたのでそれなりの仕上がりにはなっていたのであろ
う。
自然のものを利用してそれなりの効果を得る、CPは
めちゃくちゃ良かった、今回の「生け花」であった。
コメント

田中一村

2007年05月24日 | 芸術


まるで初夏のような陽気に誘われて、「田中一村」
の展覧会を見に行ってきた(うーん、あまりに定型的
な書き出し)。
「田中一村」という人は、所謂「孤高の芸術家」とい
言われる人で、最後は奄美大島で孤独に生涯を終えた。
団体には属さず、自らのために描き続けた画家で、そ
の奄美大島での作品が彼を死後評価させることとなっ
た。
よく、「伊藤若冲」との共通点を指摘されるので、個
人的にも一度本物を見てみたいと思っていたなのだが、
タイミングよく地元の美術館でやることになったので
ほいほいと出かけたわけだ。

諏訪湖畔を自転車で半周ほどのところにある「ハーモ
美術館」についた時は、すでに汗だくだく。
ここは、「素朴派」(ルソーを代表とする)中心の美
術館で、何故だか知らないが今回「一村展」をするこ
とになったのだ。
今ひとつ判りにくい自動ドアから入ったら、その割り
に中は暑かった(関係ないが)。
いきなり目に飛び込んでくるのは、これも何故だか知
らないが「ダリ」の時計が溶けかかっている彫刻。
そう言えば、二階には何故だか「マンレイ」の彫刻も
あった(ここだけ見ればダリからダダというつながり
か、なわけないな)。
これらは常設なので常にあるもの。
「素朴派」のコンセプトはどうなっているのだ、とい
う疑問はこの際不問。

「一村」の展示室は別室を使っていた。
これがまた本当に別室で、一旦外(二階)の廊下を通っ
ていかなくてはならないという判り辛いところで、案
の定迷っている人がいた。
一村の作品は、奄美の50才以降と以前ではまるっき
り違う。
以前のは南画的な、割にオーソドックスな作品で、一
村らしいというのはなんと言ってもそれ以降の奄美で
の作品群だ。
その時代のものは6点(?)ほどあった。
有名な「アカショウビン」(カワセミの仲間で、全身朱
色のいかにも南方系の鳥)も。

さて本物の一村であるが、まず気付くのは、そのモチーフ
に対する個性的な視線。
そこに、若冲との共通性を感じた。
動物や植物は一般的なモチーフであるが、それが昆虫
までいくと一般的ではなくなる。
若冲もそうだったが一村も、普通に接する昆虫を実に
細かく描いている。
主に蝶だったが、確認したところでは「アサギマダラ」
「イシガケチョウ」「ツマグロヒョウモン」が描いて
あった。
他には蛾の「シンジュサン」など。
この辺の個性的な視線は、個人的にも嬉しかったりす
るところ。

後一村の個性は、その洗練されたデザイン性か。
そのまま「エルメス」かなんかのスカーフとして使えそ
うな植物の装飾性は、かなりのレベルだ。
そのデザイン化された植物の中に、たとえば「アカショ
ウビン」のアカショウビンだけは陰影を持った立体で
配置する。
周りは、殆ど平面的な装飾的背景。
この表現スタイルは「クリムト」などに共通するもの
ではないか。
色彩は、南国的なはっきりした色。
バリなんかでよく目にする色彩感覚だが、こういう色
はその風土特有なものかと思われる。
そう言えば、「ゴーギャン」が絵は装飾的でなくては
ならないというようなことを言っていたが、その条件
にも一村の絵は当てはまる。
南国的色彩感覚と装飾性、確かにいろんな画家との共
通点を見出すことは出来る。
モチーフとか斬新なデザイン性など「若冲」との共通
点があることも分かったし、「クリムト」「ゴーギャ
ン」にも通じる点があることも分かったが、そういう
のは美術史家的視点で、「一村」の作品を見るのにな
んら重要なことではない。
「一村」は「一村」であるのだから、重要なことはた
だただ作品を見るということで、分析することではな
いのだ。




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若冲

2007年04月24日 | 芸術


この前、京都に桜見物に行ったスノッブなM氏は、「相
国寺」に若冲の襖絵を観にいった、らしい。
「相国寺」は、若冲のパトロン的お寺で、当然のこと若
冲の作品をいくつか所有している。
中でも襖絵は代表作で、それが観たいが為にわざわざ
行った、ということだった。
ところが入場料を払って入ったら、そこで初めて襖絵
のあるところが工事中で、その襖絵が観られないこと
を知った。
つまり、入場料を払う時にはそういう事情を説明しな
かったらしいのだ、お寺側は。
なかなか商売上手だ。

M氏は、「お寺がそんなことやって良いのか」と憤っ
ていたが、「お寺だからやるんじゃない」とこちらは
それに答えた。
M氏からすれば詐欺同然、しかし、入る時に襖絵は観
られるか、と聞いた訳ではない(聞く人間もいないと
思うが)。
京都などの神社仏閣に行くと、いつも感じることだが、
今や関係者の皆さんは商売人?の世界だ。
利益を上げるためなら何でもしまっせ、というメッセ
ージはよく伝わってくる。
今回の場合、「インフォームドコンセント」という言
葉が適用されるような状況だが、命がかかってないか
ら諦めるしかないね。
「それはそれは、お疲れさん」とM氏には言っておき
たい。

それにしても、M氏も、ついこの間まで「若冲」など
という名前さえ知らなかったのに、いつの間にか普通
に若冲などと言うようになった。
それだけ浸透してきたと言うことだが、契機はやはり、
2000年に京都でやった「若冲展」だろう。
個人的にも、過去十年の「ベスト美術展」はその「若
冲展」である。
と言っても、過去十年で他の美術展は、トータルで七
八回ぐらいしか行ってないが。
まあいずれにしろ、良かったことに変わりは無い。
残すは「三の丸尚蔵館」か。
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三隅研次

2007年04月12日 | 芸術


昨日の「三隅研次」だが、この名前の「隅」の字、ちょ
くちょく「隈」と間違える。
建築家に「隅研吾」という人がいるが、どういうわけ、
かずっと「隈研吾」のつもりで「クマケンゴ」と読ん
でいた。
頭の中では「クマケンゴ」なので、先日たまたまテレ
ビで取り上げられていた番組でも、しばらくは「スミケン
ゴ」が自分の中での「クマケンゴ」であることが分か
らなかった。
やっと漢字を確認して、「隅」と「隈」を混同してい
たことに気が付いた。
ここまで来るのに何年かかったことだろう。
「大隈半島」だって、ずっと「オオスミハントウ」で
あったのに、何故「クマ」になってしまったのだろう
か。
今となっては謎である。

そんな建築家関連で、この前の「立会人」の時のこと
を思い出した。
市職員との会話。

「地元出身の<伊東豊雄>とか<藤森照信>をもっと
使えば良いのに」(私)
「ローカルの設計士まかせじゃなくということですか」
(市)
「そう、ローカルのセンスじゃしょうがないでしょう」
(私)
「まあ、確かにそういう面はあるかもしれないですね」
(市)
「多分、普通見慣れた建物じゃないと、文句は出ると
思うけど、それなりの建物と言うのは、はっきり言って
誰もが納得というものではないですからね」(私)
「個性的というのはそういうことですね」(市)
「ここが難しい問題なんだろうことは分かるんだけど、
センスの良さとか、質の高さって、客観的に提示でき
ないから、結局名前を頼りにするんだけど、あの二人だっ
たら間違いないでしょ」(私)
「公共の建物の難しいところです」(市)
「はっきり言って、田舎の普通の人のセンスに合わせ
てる限り、レベルの高いものなんか出来ないですよ」
(私)
「そこが、公共の建物の難しいところです」(市)
「例えば駅舎なんか<藤森照信>にまかせたら、土壁
を生かした雰囲気の良いものを造ってくれますよ、
多分、磯崎新の湯布院に匹敵すると思うんだけどね、
観光面でもかなりインパクトあると思うけど」(私)
「なるほど」(市)
「風林火山で一過性の便乗商売するより、遥かに恒久
的ですよ」(私)
「なるほど」(市)

と、いろいろ主張したが、どこまで通じたか、どうせ
うるさいこと言ってるな程度で、軽く聞き流されてる
んだろうなあ。

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コラージュ2

2007年03月15日 | 芸術


主に、アメリカ版ピンクチラシを使って作った、昨日
のコラージュを、カフェのT君のところに持って行った。
今回の作品は小さくA4サイズ。
しかも額にぴったりのサイズなので、T君は「あれっ、
額に合ってるじゃないですか」と言った。
そこで「額に合ってるんじゃなくて、額に合わせたん
だよ」と説明した。
つまり、以前A4サイズの写真にあわせた額を、その
まま利用したわけだ。
そもそもコラージュのキャンバスが、A4サイズの写
真プリントの失敗した用紙の裏を使っているのだから、
サイズ的に合うのは当然なのだ。
これもちょっとした裏技と言えるのではないか、とい
う程のことでも無いな。

そして、前回ウォッシュタイプのチーズがほしいと言っ
ていたT君に、ちょうどタイミングよくスノッブなM
氏からお土産でチーズを貰っていて、その一つがウォッ
シュだったので、おすそ分けとして持ってきたのだ。
M氏は、東京の高島屋の何とか言うフランス系の店で
買ったと言っていたが、こちらとしては初耳で、よく
分からなかった。
そもそも何故東京に行ったのかと聞くと、「コットンクラ
ブ」へ行ったということだった。
「なんじゃそれ」と当然聞き返したのだが、どうやら
新しく出来たジャズ系のライブハウスらしい。
スノッブ臭ぷんぷんだ。
いかにもスノッブなM氏の食いつきそうな店である、は
置いといて、こちらお土産を頂いた身であるのでその
言葉はぐっと飲み込んだ。

で、ウォッシュタイプだが、どうも見た目は「ピエダン
グロワ」に似ていて、比較的食べやすいウォッシュタイ
プのようで、実際食べやすかったのだが、こちらとして
は今ひとつ物足りないのだが、T君には入門編としては
適当かと思われる。
それよりびっくりしたのは、値段だ。
普通の倍くらいするではないか。
流石スノッブなM氏、と言ってる場合ではない、そのフ
ランス系の店の強気な姿勢に、びっくりというより怒り
すら覚えたのだが、まあ貰い物だからいいか。
ということで、後はT君の感想をお楽しみというところ
だ。

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