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ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

平成中村座

2008年06月10日 | 芸術


ユーロ2008でも見ようかと思ったが、流石に時間
が夜中の3時では。
結果を見れば、オランダがイタリアに3-0。
ちょっと見たかった。

話は変わるが、この七月松本で「平成中村座『夏祭浪
花鑑』」の公演がある。
一度も歌舞伎というものは見たことがないが、周りに
歌舞伎好きがいたり、関わってる人がいたりで、見た
こともないくせに身近に感じている。
そこで、いい機会だからとチケットの状況を確認して
みると、発売と同時に売り切れという状態だったらし
い。
凄い人気である。
ベルリン公演と同じものをやるから、というより、元々
人気があるのだろう。
それよりベルリン公演はどうだったのか、そちらの話
も興味あるところだが、それはおいおい分かることな
ので、後の楽しみだ。
どちらかというと、そっちの方が興味あるかも。

その前に、何故松本で「平成中村座」かということだが、
それは、公演をする「松本市民芸術館」の館長が「串田
和美」さんであるという理由からだ。
串田さんは「平成中村座」の監督でもあるから。
過去、自身のオリジナル作品も「松本市民芸術館」で
やっているが、今回はとうとう歌舞伎となったわけだ。

この「松本市民芸術館」というところは、建物は「伊
東豊雄」設計と器もいいし、ソフトはソフトで串田さん
が頑張ってるしで、田舎の箱物の中ではかなり充実し
ているものであると思う。
が、ご多分に漏れず、こういうものに反対する人間が
いるようで、一緒くたに無駄と言われる。
文化的な価値というのは、客観的に説明は難しい。
感性による部分が大きい。
だから、唯一の基準、採算だけでその価値を決められ
てしまう。
民度が問われるのだが、人によっては、カラオケ大会
で頻繁に使われ市民に利用され、その上で採算的に合
えばそれがベストと考える。
数から言えば、そういう人のほうが常に圧倒的に多い
だろう。
しかし、質的なものを考えると???である。

わが町にこういう施設があり、しかも多くの人に支持
される、なんていうのは誇りになると思う。
松本なんか、そういう面では、「サイトウキネン」も
あるしでかなり成功しているところかと思われる。
器だけ立派なものは無駄だが、ソフトが伴えば、つま
りそれを支える文化的土壌があれば、それは誇りにな
るだろう。
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デコッパチ

2008年05月31日 | 芸術


昨日の、BSNHKの番組はすごかった。
SL特集ということで、過去のSLの映像を紹介する
という番組だったのだが、何が凄いかというと、それ
だけを延々4時間あまり流してしまうというその番組
作りの姿勢だ。
こんな番組が成立するのも、鉄男と鉄子が復権したか
らなのだろうか。
鉄道に特別関心はないのだが、一体どんな人が見てい
るのだろうかと想像しながら、結局二時間以上も見て
しまった。

SLというのは、構造がむき出しで、音も人間の息遣
いのようで擬人化し易い。
それに、汽笛が山々に反響するものだから、一気に郷
愁が襲ってくる。
そこに「新日本紀行」のテーマでも流れたら、一瞬に
してタイムスリップだ。
トンネルに入ったときの、火の玉が車窓を走る光景と
か、映画の「フォッグ」のように煙が車内に侵入して
くる様子などなど、あまりに懐かしい思い出が蘇る。
こういうのを見て、人間にとって適度な速度というの
は存在するのだ、などと思うようになったら、その時
点で現代社会から脱落だ。

NHKが続くが、その後の「プライム10」という番
組の一言には思わず笑ってしまった。
「赤塚不二夫特集」だったのだが、その中で「松尾ス
ズキ」が現在の「ニャロメ」にインタビューするとい
う設定の場面があった(アニメで)。
そこでの一言が傑作だったのだ。
こんなこと言ってNHKとしては大丈夫なのか、と心
配になったくらい。

「ニャロメ」もいろいろな影響力があったという話の
中での一言「奈良美智の絵はデコッパチだ」(という
内容、勿論これは松尾スズキの見解だと思うが)。
いつから、デコッパチが「芸術」になってしまったの
だろう。
こんな疑問を持っている人は多いはずだ。
確信を持って疑問なのだが、イラスト、アニメをキャン
ヴァスに油絵で大きく描けば「コンテンポラリーアート」
、って違うだろうと常々思っているので、この一言に
は大きく反応してしまった。
蛭子さんの絵だって、100号以上のキャンヴァスに
油絵で描けば立派な作品となりうるのだ。
「リキテンシュタイン」がアメリカンコミックをポップアー
トにしたのは衝撃的だったが、その二番煎じのような、
しかも、普通のイラスト、どう捉えれば良いのか。
「コンテンポラリーアート」、未だ袋小路から抜け出
せず。
と、いろいろ楽しませてもらった昨日のNHKであった。
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せんとくん

2008年05月18日 | 芸術


その後、「せんとくん」(或いは遷都君か)の問題はど
うなったのだろうか。
問題と言っても、どうにかなるということでもなく、
要するに住民が納得できたかどうかということだけで、
あの愛すべき「せんとくん」が、他のもに変わるとい
うことではないのだろうから、解決する手立てもない。
予算を大分使ったから、新たな予算を当てるというこ
とはするはずもない。
その、大きな予算を使ってあれか、というのが一番腹
立たしいのだろうが。
多分、時間が経てば諦めるということで終結だ。
関係者は、じっと、収まるのを待つのみ。

それにしても、あの「キャラクター」にあれだけの予
算を使うか、とは多くの人が思うことではないか。
一般公募すれば、予算もかからず、一応民主的な方
法で決まったということで、あまり文句は出ないだ
ろうに。
はっきり言って、「せんとくん」は「ゆるキャラ」であ
る。
「きもかわいい」というところにも一歩及ばず、「キッ
チュ」とも言えず、何とも中途半端な「キャラクター」
である。
同じ受けないという点で、芸術的(一番受けないが)と
も違うし。
それで、あまりに変なので作者の他の作品を見てみたら、
まるっきり同じセンスだった。
つまり、あれが作者の持ち味だったのだ。

基本的に「キャラクター」は、意図としては「サンリオ」
辺りのものを狙うのだと思う。
つまり、より多くの人に「可愛い」と思わせるような。
しかし、現実は、「しょぼいもの」に満ち溢れている。
なかなか受けるものを作るのは難しいのだろう。
世の中「ゆるキャラ」の方が多い。
では、その「ゆるキャラ」の条件とは何か。
まず、作る側は大真面目というのが第一条件。
次に、彼らには現代的センスと芸術的センスが欠けて
いる、或いはずれているというところが必要。
だから、臆面もなく「ダジャレ」でネーミングをして、
垢抜けない色彩センスと、どこかで見たような、しかし
微妙に変な造形(中国辺りにも多い)のもを作る。
飽くまでも、受けると思っているところが愛おしい。
B級SF映画に登場する「異星人」あたりが、一番「ゆ
るキャラ」のセンスに近いのではないだろうか。
誕生のメカニズムも共通するように思う。

それを愛おしいと思う気持ちが「ゆるキャラ」という
言葉の誕生を生んだのだが、この「ゆるキャラ」を楽
しむためには、それなりの文化も必要である。
つまり、そこには、造形だけを見るのではなく、そこに至
る過程までも含めて、つまりそれを生み出す土壌、文化
を楽しむという視線が必要になってくるのだ。
これは、誰にでもというものではない。
多くは、その造形のみに目がいって、その表面的な部分
を問題にしてしまう。
人間、楽しむためには余裕が必要なのだ。
とは言っても、他人事なので面白がられるが、住民であ
れば、やはり、納得いかないかな。
とりあえず話題にはなったから、その点では大成功だか
らプラスマイナスゼロ。
という問題でもないか。
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中西夏之

2008年05月09日 | 芸術


映画少年Y登場。

「連休中、どこか行ってきた?」(私)
「ええ、<ジャック.リベット>観てきましたよ」(Y)
「相変わらずやってるね」(私)
「いやあ、<リベット>は良いですよ」(Y)
「そりゃあ、良かったね」(私)
「何だか今ひとつですね、反応が」(Y)
「個人的にはそれ程好きじゃないから」(私)
「そうですか?良いんですけどね」(Y)
「なんだろうね、<エリック.ロメール>は良くて<リ
ベット>は駄目、<ブレッソン>は良くて<リベット>
は駄目、何が原因なのか自分でも良く分からないとこ
ろだね」(私)

「あと、<松涛美術館>にも行ってきましたよ」(Y)
「<松涛美術館>?、何でまた」(私)
「<中西夏之>を見てきたんですよ」(Y)
「そんなのやってるの」(私)
「ええ、やってるんですよ<ハイ.レッド.センター>の
<センター>の」(Y)

注)ハイ.レッド.センターというのは、嘗て「高松次郎」
(ハイ)と「赤瀬川源平」(レッド)、そして「中西夏之」
(センター)が組んでいた芸術集団。

「いやあ、これも良かったですよ、どうですか<中西夏
之>は」(Y)
「どうですかって、元々<中西夏之>は好きだよ、Yが
注目するずっと前から、それより何でYが<ハイ.レッド.
センター>なんて知ってるのか、それの方が不思議だ
よ」(私)
「有名じゃないですか」(Y)
「有名って言えば有名かもしれないけど、<ハプニング>
なんていう芸術活動が全盛の時代だよ、こっちだってリ
アルタイムに経験したわけじゃないし」(私)
「まあでも、ちょっと芸術に興味のある人間だったら
知っておくべきものじゃないですかね」(Y)
「そうは思うけどね」(私)

「だんだん表現方法がシンプルになってきて、時代に
よる変化も良く分かって、非常に良い展覧会です、枯
れてきたとかそういうのではないんですよね、より研
ぎ澄まされてきたって感じですか」(Y)
「ふむふむ」(私)
「大分、年のはずなんですけど、やっぱ芸術家ですね、
それに比べると<村上隆>なんかどこが良いのかさっ
ぱり解らないですよ」(Y)
「それは本当そう思う」(私)
「幼稚化しているだけとしか思えないですよ、兎に角
<中西夏之>は必見です、行ってくださいよ」(Y)
「行ってくださいよと言ったって<松涛美術館>だろ
う、遠すぎだよ」(私)

「それより、これ観るか」(私)
と、もったいぶってブレッソンのDVDボックスを見
せる。
「えっ、どうしたんですか」(Y)
「どうしたんですかって、買ったに決まってるじゃな
い」(私)
「観ます観ます」(Y)
「一本ずつね」(私)
「何でですか」(Y)
「この手のやつは、ちゃんと行き先を管理しないと、
ふっと消えるものだから」(私)
「しょうがない、じゃあ、これ」(Y)

と言って「たぶん悪魔」を選んだYであった。

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長編小説

2008年04月07日 | 芸術


昨日の続き。
文学部出のyちゃんに、カフカ以外の長編小説に関し
ても聞いてみた。
それは、トーマス.マンの「魔の山」。
するとyちゃんは、一応手は出したらしく、しかし、
上下二巻の下の途中で放棄してしまったということだっ
た。
これに関しては、同じ例を知っている。
知り合いの「チェリスト」だが、確か同じように途中放
棄しているはず。
「チェリストと魔の山」、或いは「魔の山のチェリス
ト」、タイトルとしては小説的なのだが。
そういう問題ではなかった。
この小説も、途中放棄が多いということなのだろう(と
身近な例で一般化して大丈夫か)。
個人的には、長編小説の門戸を開いてくれた記念碑的
小説で、それまでとは違う小説の醍醐味を教えてくれ
たもの。
今でも、主人公の名前がフルネームですらすら出てく
るくらいなのだから。

となると、長編小説の金字塔「失われた時を求めて」に
ついても聞きたくなる。
yちゃんは、やはり手は出していた。
しかし、一巻で放棄。
「マドレーヌがほにゃらら」という部分しか覚えてい
ない。
この部分は一番ミーハー的に有名なところで、文学系
なら情報として多くの人が知っているところだろう。
そう言えば、これに関しても身近な例があった。
映画少年Yが、読みたいと言ったので、貸したのだっ
た。
確か彼も、一巻で放棄した。
どうやら、いきなり大きな壁が襲うようだ。
さすが、世界で一番有名で一番読まれてない小説であ
る。
そうだ、もう一人いた。
スノッブなM氏だ。
彼の場合、井上究一郎訳の単行本全巻を持っている。
しかし、全く読んではいない。
完全にお飾りである。
スノッブ全開であるが、それにしても勿体無いもので
ある。
途中放棄率の高さから言って、間違いなく「失われた
時を求めて」は上位に来るだろう。

一応手を出そうとするだけ益しかと思うが、yちゃん
が読もうとした動機が不思議であったので、それを聞
くと、担当の講師だか教授が奨めたということであっ
た。
「カフカ」「トーマス.マン」「プルースト」とは、
いやに趣味が合う。
「トーマス.マン」が「ジョイス」に代われば、もう
他はいらなのではないか。
しかし、学生に奨めても、殆ど放棄では薦め甲斐が無
いというものである。
そこで、「当時と今では捉え方も違うから、面白さが
分かるかもしれない。もう一度チャレンジしてみれば」
と、あまりに真っ当なことをyちゃんに言った。
yちゃんも、そうしてみようかという気には、ややなっ
たようではある。
コメント

村上春樹とカフカ

2008年04月06日 | 芸術


「イングリッシュパブ」には、もう一人yちゃんという
女の子がいた。
そのyちゃんは、出身が文学部ということで、文学関
係の話もいくつか出てきた。
村上春樹には全く興味が無いY(映画少年の方は大文
字で)は、「源氏鶏太」みたいなものでしょう、とわ
けの分からないことを言ったが、大体比較でその名前
を出したところで誰も分からない。
私も、サラリーマン小説を書いた人というくらいの知
識しかない。
Yは、「村上春樹」も直ぐに忘れられる小説家である
ということを言いたかったらしい。
その点に関しては、ちょっと現実的ではない。
すでに、世界的にも人気があり、ノーベル賞候補にも
挙げあられる「村上春樹」と、名前さえ忘れ去られよ
うとしている「源氏鶏太」では、流石に比べられない
だろう。
「村上春樹」好きのyちゃんも、怪訝な表情である。

となると、どうしても「海辺のカフカ」からカフカの
話になってしまう。
「村上春樹」と「カフカ」の共通性に関しては、皆首
を傾げる。
全く違うというのが、共通認識であった。
で、yちゃんに聞いてみた、ちゃんと読んだのかどう
か。
すると、カフカの「城」は、一応読み通したらしい。
しかし、どうも、文学部の意地ということで読んだら
しく、案の定面白くて読んだわけではなかった。
他のYにしたって、確か「変身」(薄いから)を読ん
だだけで、他は読んでないはず。
それで分かったように「唯一<変身>は<羊男>に通
じるかもしれないですね」などと言っている。
単に、人間ではないものという共通性に過ぎないのだ
が、その部分だけで似ているというのも、あまりに皮
相的だ。
村上春樹の「羊男」は、<本当の自分>或いは<捨去っ
た自分>という類のもので、不条理な世界に通じるも
のではないと思う。
だから、カフカの「変身」とも似ていない。
いずれにしろ、カフカのよさは、短編ではなく長編であ
ると思う。

それより「村上春樹」に関しては、以前翻訳していた
「レイモンド.カーヴァー」「ジョン.アーヴィング」
の世界だろう、というのは、yちゃんも納得。
「ジョン.アーヴィング」となると、俄然Yも、原作の
映画がいくつかあるので、待ってましたとばかりタイト
ル挙げる。
「サイダーハウスルール」「ガープの世界」「ホテル.ニュ
ーハンプシャー」。
ここで自説の、「村上春樹」は「レイモンド.カーヴァー」
と「ジョン.アーヴィング」を足して二で割った作家で
ある、と披露したのだが、今ひとつ反応は薄かった。
コメント

展覧会

2008年03月25日 | 芸術


カフェのT君が、合同展をやるということで、一点預
かっている作品を取りに来た。
「なんだか、まとまりの無い合同展ですよ」と、愚痴
をこぼすT君であるが、本人にとって一番いやなのは、
一日会場にいなくてはいけないということであるよう
だ。
それだったら、やらなければ良いのにと思うのだが。

一般的に、グループ展などの展覧会で躊躇させるのは、
関係者の視線だ。
知り合いであればなんの問題も無いが、全く知らない
人が行くと、探るような、値踏みするような視線を感
じてしまう。
それに、変に話しかけられてもというのもある。
大体、良いと思うことも無いので、感想を聞かれたり
すると困ってしまう。
芳名帳なども用意されているのが一般的だから、それ
もしないととなると、結局、面倒くさいから殆どの場
合、最初から入らないということになるのだ。

それでT君に、「ずっと会場にいる必要はないんじゃ
ないの」と聞くと、「そう思うんですけどね」とT君
も同じように感じているようだった。
しかし、そう決めたからしょうがないらしい。
「美術館の学芸員のように、ずっと座っていなくては
ならない訳ではないから、適当にやってれば」、とア
ドバイスを送ったが、T君はまだ、本当にいやそうで
あった。
「選挙の立会人に比べれば、楽なもんだよ」、と更に
言えば、「そうですね」とちょっと納得した。

話はがらっと変わるが、ギリシャの聖火点火式で、ちょ
っとした妨害があったが、さすが中国、生中継と言っ
てもしっかり1分のラグを設けていてすぐ画面を切り
替えていた。
こういうところが、また信用できないという不信を助
長させるのだが、当局はその辺のところを変える気は
さらさらなさそう。
演説した代表の昂揚したしゃべり方も、なんだか北朝
鮮風だったし、何とかならないものかと思う。
「オリンピック」も無事成功裡に終わるのだろうか。
基本的に、「オリンピック」は無くても良いのだが、
国威発揚以外であればやってくれてもかまわない。
しかし、今のところ中国は正にそのためという感じで
ある。
コメント (1)

カフカ「城」

2008年03月15日 | 芸術


スノッブではないもう一人のMが、久しぶりに顔を見
せた。
となると、話は当然カフカの「城」である。
というのも、前回、彼が村上春樹の「海辺ののカフカ」
を読んでいて、それなら本家のカフカを読んでみない
と、ということになったのだ。
そして「城」を薦めたのだった。
その時、村上春樹とは全然違うから、ひょっとしたらと
いうか多分読み通すことは出来ないよ、と展開を予測
して言った。
本人は、意地でも読むと威勢良く答えたのだが。
それから、一ヶ月以上は経っている。

「で、どうなってる、カフカは」(私)
「ちゃんと、あの後直ぐに買いました」(m、M氏と
区別するためにこれからは小文字のmにする)
「買ったのは良いけど、読んだの?」(私)
「三分の一くらいは読みました」(m)
「三分の一?結構経ってるのに」(私)
「まだ、読んでる途中です」(m)
「要するに、進まないんでしょ」(私)
「まあ、そうなんですけど」(m)
「つまり、面白いとは思えないんでしょ」(私)
「まあ、そうなんですけど」(m)
「面白いと思えないんだったら、読んでも意味無いよ」
(私)
「だって、話が展開しないもんだから、次にどうなる
んだろうというワクワク感が持てないんですよ」(m)
「だから、そういう話の展開で読ませる、所謂一般的
な小説とは対極のものって最初に言ったでしょ」(私)
「そうなんですけど、あまりに村上春樹とは違って」
(m)
「村上春樹とカフカの共通点って、あるとは思えない
けど、タイトルに使ったくらいだから本人は好きなの
かね」(私)
「そうらしいですよ、しかし、全然違っていました」(m)
「登場人物も殆どいないし、同じようなところをぐる
ぐる回ってるだけでしかもゴールも無い、って感じで
しょ」(私)
「あれって、本人の職業が関係あるんですか」(m)
「役人ってことが?」(私)
「そうです」(m)
「確かに、意味が無いところに意味があるかのような
体系を作り、勝手に増殖していく官僚機構を表わして
いると見えないことも無い」(私)
「そうですよね」(m)
「しかし、そういう何か一つの主題に収斂するような
小説ではないところにカフカの良さがあるわけだから、
変に解釈するのは面白さを半減させるね」(私)
「そういうもんですか」(m)
「と、個人的には思うということで、それぞれが好き
なように読めば良いわけだし、面白いと思えないんだ
ったら読むな、ということ」(私)
「でも、電車の中でカヴァーをつけずにカフカの<城>
なんて読んでいたら、ちょっと格好良いですよね」(m)
「<海辺のカフカ>よりは断然格好良いと思うけど、
一般的にはどうなんだろう、それに、電車の中じゃあ
なかなかカフカの世界に集中できないよ」(私)
「良いんですよ、そういう状況じゃないと読むモチベー
ションが上がらないんですから、私の場合」(m)
「見栄がないと読めないと、それって読んでるんじゃ
なくて眺めてるってことだろう」(私)
「それでも、良いんです」(m)

まあ、先は長そうだ。
コメント

007

2008年03月08日 | 芸術


昨日の偶然。
NHKの「美の壺」を見たら、「東寺」の五重塔が紹
介されていた。
そこにかかっていたBGMに、思わず耳がぴくっとなっ
た。
ピアノなのだが、その哀調を帯びた曲、忘れもしない
これは「ラスベガスタンゴ」ではないですか。
このところ、T君との間で密かに「アワーブーム」と
なっていたギル.エヴァンスの「ラスベガスタンゴ」。
ギルエバンス版ではなかったが、早くもこんなところ
で出会うとは。

こういうのは、単純に嬉しいものである。
なにか個人的に縁が出来たように感じるのだ。
ということは、基本的に関係性を求めているというこ
となのか。
それはそれで、面倒くさいはずなのだが、こういう一
方的な関係性は、それ以上進むことは無いので、常に
一定距離を保てる。
そんないろんな種類の関係の網の中で暮らしてるのが
人間なのである、人はこれを「文化」と呼ぶ、って何
を言ってるのか。
まあ、兎に角その距離感がいいのである。
「密かな楽しみ」という部類のものだ。
この「密かな楽しみ」というのは、個人の領域なので
誰が何を言おうが、関係系の中の話なのだがそれこそ
「関係ない」のである。

と、わけの分からない話は放っといて、先日、久しぶ
りに「蔦屋」にDVDを借りに行った。
アルトマンの「今宵、フィッツジェラルド劇場で」を
借りようと思ったのだ。
ところが、お目当ては見つからない。
どうしようか、他に何か無いかと、棚を端から探索す
る。
これと言ったものが見つからない。
こうなったら完全娯楽作品だ、というわけで「007
カジノ.ロワイヤル」を借りることにした。
確か、ここ最近の007では、割に評判が良かったよ
うに思ったが。
ボンド役も変わったし。
「ダニエル.クレイグ」、今までのボンドとは大分イ
メージが違うように感じる。
見た目からして硬派である。
今までの優男のボンドとは一線を画している。

実際ボンドは、ショーン.コネリーのイメージが強く、
それ以降の作品は一つも面白くなかった。
と断言したが、全部見たわけでもなかった。
兎に角、全体に仕掛けばかりが大袈裟になり、遊園地
的な幼稚な娯楽作品の傾向にあように感じられた。
内容も、あまりに絵空事であったし、それだったら「電
撃フリント」くらいのB級映画の方が、遥かに楽しめ
ると思ったものだ。
そこで、果たして今回のものは、となったわけだ。


一応続く。


コメント

ダ.ヴィンチコード

2008年02月23日 | 芸術


先日T君が(このところすっかり准レギュラー)、DVD
見ますかと聞く。
どうしたのと聞くと、貰ったということであった。
何のDVDかであるが、それは映画「ダヴィンチコード」
であった。
もう、旬は大分過ぎているようだが、何故に今頃、とい
う疑問もないことはなかった。
本当は、こんなDVD買う人いるのか、というのが一番
の疑問であった。
おまけ付きで8000円だかしたらしい。
全く見る気も無く今に至っていたのだが、あまり評判も
良くなったように記憶している。
確か、分かりにくいというような感想が多かったよう
な。
しかし、貸してくれるなら見てみるかという気になり、
借りて来た。

基本的に、謎解きが中心になった映画は好きではない。
というのは、大体面白くないから。
宗教がらみのものだと、「薔薇の名前」というのが思
いつくが、あれも大袈裟なわりに面白く無かった。
お金はかかってそうだったが。
娯楽作品は、テンポが良くないと。
同じような「セブン」という映画はその点でましだっ
たか(テレビで見るなら可という程度だが)。
どうせ、中心となる謎は嘘っぽいのだから、せめて展
開の歯切れのよさ、或いは、有無を言わせぬ勢いを感
じさせないと、というのがいつも感じるこであった。

そんななんの期待もなく見た「ダヴィンチコード」で
あったが、期待してなかったその通りというか、予想
通りの面白く無さであった。
思わせぶりな演出、ホラー映画でよく使う、どこから
何かが飛び出すような、或いは、その存在をにおわす
演出、最近の流行である。
しかし、この映画もお金はかかってそうだ。
だから、B級映画のような、しょぼさはない。
取り敢えず、見てて「とほほ」となることあまりない。
それだけでも良しとするべきか。
これも、テレビでだったら可と言えそうだ。

で、その謎なのだが(ここで良く使うネタバレ注意と
いうようなことは私はしない)、要するに、キリスト
の末裔が誰か(キリストに娘がいたという秘密から始
まっている)、ということが一番の謎で、その謎を様
々なヒントから辿っていき、最後にそういうことかと、
見ている人を納得させ、というかさせたいのだと思う。
実際は、終わったと思ったら、まだ謎があるというよ
うな終わり方をしている。
これも、ホラー映画の最後に、やっつけたと思ったら、
実はまだ生きていた、或いは、その仲間が違う形で生
きていたという手法と同じ。

全体の感想としては、もったいぶった映画である、と
いう始めから言ってることしかない。
秘密結社のようなものや、ダヴィンチ、いろんな小道
具を使って、宗教の歴史のような話も絡ませ複雑にし、
結局、それが分かりにくさという結果につながり裏目
に出たという映画である。
身近に黒幕がいるとか、末裔も一緒に行動したオドレイ.
トトゥであったとか、この辺の演出も常道であるが、
一番身近なやつが犯人であるという、一つのパターン
が出来てしまっているので、多分、推理好きにも物足
りないだろうと思われる。
でも、ブログのネタを提供してくれたのだから、その
点は評価できる、と全然映画の評価になっていないが。
コメント

ロブ=グリエ

2008年02月21日 | 芸術


アラン.ロブ=グリエ(こういう表記をするらしい)が
死んだ。
ヌーヴォーロマンの旗手であり、映画監督でもあった。
「nouveau roman」あるいは「anti roman」とも言わ
れる、要するに、普通の小説のような物語の構造を持っ
ていな小説を書いてきた小説家ということになるが、
個人的には好きだった。
日本では、殆ど知られていないと思う。
小説は、「迷路の中で」と「覗くひと」の二冊読んだだ
けだが、どちらも印象的な作品で、今でも映像(作品
から喚起された個人的なイメージ)が浮かぶ。

映画監督としては、寡作であるので、そもそも見る機
会が少ない。
これも2本(と言っても全部で5本くらいだから)し
か見てない。
そのうちの1本、「囚われの美女」は保存用としてビデ
オを所有している。
この作品はデビッド.リンチの「マルホランドドライブ」
にかなり似ている。
現実の出来事なのか、幻想なのか、そういう映像が繰り
返し繰り返し出てくるのだが、この手のものはともすれ
ばわざとらしく感じ、いい加減にしろという気にさせら
れるものが多い。
多分、それは製作者の意図が見えすぎているのからだと
思う。
要するに、計算があからさまに露呈するのだ。
そういうところが「囚われの美女」にはない。
心地の良い分かり難さ。
現実だろうが、現実じゃなかろうが、どちらでも良いし、
そんなことは重要ではない、と思わせる。
好きなように見れば良いのではないだろうか。
解釈するな、体験せよ。
「マルホランドドライブ」は、この作品に大分刺激され
ているのではないかと密かに推測しているのだが。

他の作品も確認してみると、去年の作品があった。
「グラディーヴァ マラケシュの裸婦」という作品らし
いが、全く知らないのだが(日本では公開されてない)、
DVDではでているようだ。
こういうのを見ると、またほしくなってしまう。
非常にまずい。
あと「快楽の漸進的横滑り」という、変な(非情に気に
なっていた)タイトルの映画もあったはずなのだが、
それが見当たらない。
どうなっているのか。
ひょっとして、この「快楽の漸進的横滑り」という映画
そのものが幻想だったのか。
コメント

ギル.エヴァンス

2008年02月11日 | 芸術


マイナス10度が、どうやら窓ガラスに氷の結晶がで
きるかどうかの境目のようだ。
ということで、本日もマイナス10度を下回った。
ピークはとうに超えたというこちらの読みは、大きく
外れてしまった。
完全に真冬真っ只中である。
湖の 氷は解けず まだ寒し byニイタカヤマノボル。

T君話の続きだが、東京で結局五枚ほどのCDを買っ
てきたそうだ。
その内の二枚を借りてきた。
一枚は、「ホルガー.シューカイ」。
よほどのプログレ好きしか知らないと思うミュージシャン
だが(こちらも最近知った)、「can」というグルー
プの元メンバーで、そのソロアルバム。
マニア向け中古レコード屋じゃないと、まず発見でき
ないと思われるCDだ。
聞くのを忘れたが、多分下北沢の店だろう。

そしてもう一枚は、何故か「ギル.エヴァンス」。
「ビル.エヴァンス」ではなく「ギル.エヴァンス」。
ジャズのアレンジャーとして有名だが、個人的には、マ
イルスの「スケッチ.オブ.スペイン」というアルバ
ムで知っているだけだ。
そう言えば、以前、ギル.エヴァンスの何とかというCD
アマゾンに無いですかと聞かれたことがあった。
マイルスだったらまだしも、ギル.エヴァンスに関し
ては殆ど知識ないし、じゃあちょっと調べてみるとい
うことになって、結局その時は見当たらないという結
果になって残念でした、であった。
どうやら、そのお望みのCDだったようだ。
これは、下北沢ではなく、中央線沿線のどこかの中古
屋であろう。
特に荻窪、高円寺辺りが臭い。
まあ、そんなことはどうでも良い。
それより、お目当てのCDを発見できて喜ばしいのだ
が、一体何がT君を惹きつけたのか、それを知りたか
った。

本当は、最初に調べた時に聞いていたのだが、それは
ある曲が入ったアルバムということであった。
そのある曲が何であったか、完全に忘れていたのだ。
そこで、今回のCDに入っている曲を、一つ一つ確認
してみた。
サックスは「フィル.ウッズ」と「ウェイン.ショーター」
かふむふむ、他にも「サド.ジョーンズ」「ポール.チェ
ンバース」とか有名どころがごろごろいるぞ、という
のは今回関係なかった。
曲曲。
それは直ぐにみつかった。
タイトルを見た瞬間思い出した。
「ラスベガスタンゴ」という曲だ。
当時、「ラストタンゴ.イン.パリ」だったら知って
いるが、などと言った記憶も蘇ってきた。
これこれ。

そして、改めてその「ラスベガスタンゴ」を聴いてみ
る。
それは、確かに他の曲に比べて印象深い曲であった。
というか、最初にざっと聞いたときに耳に残ったのが
偶然にもこの曲であった。
ということは、プログレ好きの感性に訴える何かがこ
の曲にあるのか。
今度、T君にこの曲の謂れを聞いてみないと。
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海辺のカフカ2

2008年01月29日 | 芸術


本日の最低気温マイナス2度。
昨日の最高気温が1度なので、それから殆ど変化して
ないことになる。
しかし、暖かいはずなのだが、体感温度はそれほどで
もない。
雪降りで湿度が上がったせいか。
こういう気候の時の方が、ぞくっとした厭な寒さがあ
る。

ここで、昨日の続き。

「それより、村上春樹が何故カフカか、それが不思議」(私)
「好きらしいですよ」(M)
「どう見ても、違いの方が大きいんだけど」(私)
「どうなんでしょう」(M)
「レイモンド.カーヴァーとかジョン.アーヴィングだっ
たら納得だけど、カフカねえ」(M)
「誰ですそれ?」(M)
「昔、村上春樹が訳した作家、フィッツジェラルドなん
かもそうだったかな」(私)
「へええ」(M)
「だったら、自分で確かめてみればいいんだよ」(私)
「カフカをですか?」(私)
「そう」(私)
「一冊読んだことありますよ」(M)
「<変身>だろ?」(私)
「良く分かりますね」(M)
「分かるよ、短いからだろ?」(私)
「その通り」(M)
「しかも、全然面白くなかった」(私)
「その通り」(M)
「<変身>を読んで、その後興味を持ちカフカのほかの
作品に進んだ人の割合は1パーセントと見た」(私)
「そんなですか」(M)
「2パーセントかな?兎に角少ない」(私)
「自分はどうなんですか」(M)
「私の場合、最初に長編で興味を持ち、最後に<変身>
だったから全く逆のパターン」(私)
「流石、ひねくれてますね」(M)
「まあそうなんだけど、カフカの良さは長編にこそと
思う」(私)
「じゃあ、何が良いですか」(M)
「<城>が良いんじゃないかな」(私)
「どういうのですか」(M)
「どういうのって、ある男が城の中をぐるぐる巡るそ
れだけの話、登場人物も殆ど主人公だけ」(私)
「そんな話面白いですか」(M)
「ストーリーの展開で捉えたら全く面白くないけど、
そういう物語として捉えるんじゃなく、カフカの世界
を体験する、これがこの小説の対峙の仕方、なんてね」(私)
「ふーん」(M)
「兎に角、読んでみろということ、多分駄目だとは思
うが」(私)
「よしっ、なんだか読む気になってきた」(M)

というわけでMは、「城」に挑戦することになったが、
今の興味は、彼が最後まで読み通すことができるかどう
か、そのことについてである。
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ロダン

2008年01月21日 | 芸術


今年初めての映画少年Yの訪問。

「ロダン見てきましたよ」(Y)
「えっ、どこで?」(私)
「松本で」(Y)
「そんなのやってるの?」(私)
「国立西洋美術館所蔵の特別展です」(Y)
「ほう」(私)
「やはりロダンは最高です」(Y)
「ほう」(私)
「あの線はたまりません」(Y)
「ほう」(私)
「もともと好きなんですよ」(Y)
「ほう、それは知らなかった」(私)
「西洋美術館にも行きますし、特に地獄の門なんか最
高です」(Y)
「ああ、衣笠貞之助の」(私)
「それは映画<地獄門>」(Y)
「はいはいダンテどすね」(私)
「その神曲をモチーフにしたやつですよ」(Y)
「その地獄の門だけど、ダンテがその着想を得たのが
何を見たときというのは知ってる?」(私)
「何ですか」(Y)
「レ.ボー.ド.プロヴァンスの風景を見たときなん
だねこれが、あの石灰岩の荒涼とした風景が刺激した
んだねダンテを」(私)
「良く知ってますね」(Y)
「と、ガイドブックに出てた」(私)

「ところで、ロダンは見たことあります?」(Y)
「ああ、あるよ」(私)
「どこでです?」(Y)
「ロダン美術館で」(私)
「えっ、フランスの?」(Y)
「そう」(私)
35パーセントほどの自慢が入っている。

「どこにあるんですか?」(Y)
「説明したって分からないでしょ」(私)
本当は、詳しい場所は忘れた。
「兎に角、パリにあるよ」(私)
「確か、ロダン自身の邸宅を美術館にしてるんですよ
ね」(Y)
「確かに、コンパクトな美術館で、見るにはちょうど
良い感じの所だった、ような」(私)
「いいなあ」(Y)
「行けば良いんだよ」(私)

実際のところ、作品の印象より、近くのカフェで昼食
に食べたオムレツの方が強く印象に残っている。
どうも、彫刻に関しては今ひとつ心もとない。
ぐぐっと来たという体験がまだ無いような気がする。
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詩.の..ようなもの

2007年12月22日 | 芸術


雪が舞っている
軌跡は一瞬の幻
白い粒は苔
空気に溶け込む世界は
未だ旅立ったまま
世界はある
世界はない
消えたのは意思
それとも意識
渦巻く嵐は
足元に
やがて立ち上り
角質を伴って
或いは
レプトケファルスをまとって
再び雪となり
目の前にその姿を現す

書くことがないので、苦し紛れに「詩」のようなものを。

「のようなもの」で思い出したが、「森田芳光」が撮った
映画のタイトルが「の.ようなもの」でもあった。
今は新作の「椿三十郎」を公開しているが、彼の作品は
「の.ようなもの」を頂点として、どんどん詰まらなく
なる。
しかも「椿三十郎」の主演は織田裕二、パロディーとし
か思えない。
どういうセンスで彼を主演にするのか、全く理解不能。
そもそも織田裕二って人気あるのか。
尤も、人気があるないに関わらず良い役者とは思えない
ので、彼の出てる映画というのは、見る気がおきないし、
見るべき映画もないと思っているので、全く関係ないの
だが、三船敏郎に失礼と思うのは、同じ映画として比較
してしまうからか。
ここは、別物として扱わないといけないようだ。
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