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ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

見仏

2012年04月13日 | 芸術

 

この前テレビで、キムタク主演のSFもの(スペースバトルシップほにゃらら)をやっていて真ん中辺2分ほどを見たのだが、映画全体のあまりのしょぼさに言葉もなかった。日本のCG技術のレベルは未だにこんなものなのか。演じられてる世界も、昔のSFテレビのパロディーとしか思えない安っぽさと幼稚さ。一言、ひど過ぎる。

話題を変えて中宮寺の半跏像(弥勒菩薩像)。BSでやっていたのだが、案内役が「剛力彩芽」という、ここのところ一気に人気化した女優というのがまあいつものことで疑問符なのだが(作り手は彼女の雰囲気が像に近いものがあると思ったのかもしれない)、必ず泣く場面(感動して)があるぞと予想すると案の定あり、視聴者はここで一緒に感動するのだなという図式のいつもの作りであった。ファンにとっては嬉しいのだろう。と、そんな番組だったのだが、基本知識を得るにはこういう番組も結構役に立つし、興味を持つきっかけになるとしたら十分意味があると言える。

実は、古い寺とか仏像見物は好きなものでもある。京都奈良などは機会があればいつでも行きたいと思っている。そして仏像なのだが、如来、菩薩は流石に位置づけとしては理解しているが、良く聞く毘沙門天とか多聞天、その他のなになに天という連中の位置づけが良く分かっていなかったのだ。それが今回この番組のおかげで、如来、菩薩、明王、天という順番で、天には四天王といわれる多聞、増長、持国、広目がいてその役割は何かというのがやっと整理できた。これで次回(いつになるのか)本物を見たとき、より仏像が楽しめるぞと思ったのだった。

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修理工場の美

2012年03月26日 | 芸術

 

旅ブログを書いていたらすっかりそれに慣れてしまって、普段のブログの書き方を考えてしまって今一つ調子が出ない。写真中心は楽だった。というわけで今日も写真でお茶を濁そうと既に思い始めている。この写真、前々から気になっていたある自動車修理場の壁だ。奥行きがなく(4メートル位か)、全てが道に面していて丸見えで、ちょっと舞台のセットのような雰囲気があるのだ。壁にはぎっしり道具類がかけてあり、その様が魅力的なのだが、そんなことを感じる人間もそうはいないことは分かっとります。でも、美を感じてしまう私なのです。

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建築探偵

2012年03月08日 | 芸術

 

工場跡地に建っているこの建物、建築業界では前々から注目されていたが(多分)、家から歩いて十分ほどの距離にも拘らずじっくり見たことがなかった。そこで、今回改めて間近で見てみると、こんな建物だったのか、とまるで初めて見るような感想を持ってしまった。今までは遠めに見ていて、漠然としか認識していなかった、というより全く認識していなかったのだろう。ずっと昔からあったのに、意識の中では存在してなかったのだ。

すでに廃墟の道を歩んでいるのだが、今見てもモダンで、最近の新しい建物よりも遥かに良いのだ。第一印象はコルビジェか?だった。修復は出来ないようだが、そっくり同じデザインで建て直せばいいのではとさえ思った。良い観光資源にもなるだろうに。

そしてその隣の建物が、これまた趣を異にするがなかなか良いのである。壁の剥がれ具合といい、完全に一つの作品となっている。今現在のこの状態が自分にとっての旬かもしれない、と写真に撮って残しておかなければと思った。

 

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国芳とスカイツリー

2012年03月06日 | 芸術

 

歌川国芳の絵にスカイツリーが描かれている(すでに予言していた)というのは、夙に有名である(極極一部の間では)。その謎を解くというドキュメンタリーを、以前BS(更にその前NHKでも)で放映していたのでちょっと見たが、例によってタレントが案内役となり謎を探るという構成で、案の定内容は薄いものだった。歴史物でもよくこの手法は使う。実は何々は何々だった、という風に。基本的に歴史は物語(それを浪漫という)なので、いくらでも勝手に作られる。その材料には事欠かない。重要なのは史料で、その信頼度によって説得力を持つかどうかが決まるわけだが、想像の入り込む余地は大きく、その点が多くの人を惹きつけるのだろう。しかし、個人的にはあまり興味はない。

で、今回の国芳では、史料がそのカイツリーが描かれている浮世絵である。確かに一見すると、形はスカイツリー風である。が、その素材はどう見ても木で、それで組んだ櫓のようにしか見えない。しかも建ってる場所がスカイツリーとは川を挟んだ反対側、つまり、何も不思議ではないのだ。大した知識がなくても多分井戸の櫓だろうことくらいは分かるのだ。唯、通常の大きさよりは大分高い。これも、そもそも浮世絵というのはスーパーリアリズムではなく、デフォルメだらけの幻想絵画の要素が多いものということを考えれば納得がいく。国芳なんか、幻想絵画的浮世絵の代表だろう。その場の感覚で、ちょっと高い方が良い感じ、などと思うのは普通なのではと思う。例え、そこに存在してなくても、ちょっと面白いから描いてみよう、と思ったのかもしれないし、要するにそもそもが大した謎ではないのだ。

というわけで、スカイツリーが完成してこの国芳の浮世絵が注目され、国芳を知る良いきっかけとなったわけだから(この番組も一種の便乗商売?)、国芳もさぞお喜びであろう、という話であった。

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fou fou

2012年02月10日 | 芸術

 

先日「レオナール.フジタ」のドキュメンタリーをBSでやっていた。例によって、タレント(今回の場合は女優の寺島しのぶ)が足跡をたどるという作りでどうしたものかと思ったが、興味が勝り見ることにした。見てみると、本人は本当にフジタに関心があるようで、いつものような嘘っぽさはなくその点では良かった。唯反面、思い入れが強い場合、同じように感じてる人にとっては良いのだが、そうではない人にとっては鬱陶しく感じるという危険性がある。自分だけの「レオナール.フジタと私の物語」だ。しかし今回はそれほどではなかったので、この手のドキュメンタリーでは良いほうではなかったかと思った。

で、fou fouというのが、フジタの愛称でお調子者という意味というのを今回初めて知った。フジタの綴りもfujitaではなくfoujitaで、当然そこからfouをとっているのだろうし、フランス語の発音でフジタとなるような綴りでもあるし、今まで知らなかったことが今回いろいろ分かった。それにしても今までずっとfujitaだと思っていた。考えてみればこれだと確かにフュジタになってしまう。

本物に関しては、嘗て一般家庭で見たのが唯一のフジタ体験だ。日常空間にフジタがある風景。それは猫の素描で、所謂フジタホワイトではなく、黒い線で描いただけのものだったが、猫(フジタの好きなモチーフ)の形(フォルムと言えばより尤もらしい)とか紛れもなくフジタの描いたものだったと記憶している。因みにその作品は、その後葬式のごたごたの最中紛失(要するに誰かが盗んだ)してしまった。あの時くれればよかったのに、と思った人は多かったろう。

戦争画を描いたということで随分批判されて、結果日本を去りフランスに永住してしまったのだが、フジタが一番嫌ったのは、多分日本の権威主義的な画壇であったのではないかと番組を見ていて思った。日本で偉そうにしていても海外では全く評価されないのが当時の日本の洋画であることを考えると(今も体質的には変わらない)、フジタに対しては相当な嫉妬羨望を感じていたであろう。

 

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ポロック

2011年11月26日 | 芸術

 

ゲロメッティY登場。なにやら名古屋まで行って来たらしい。何しに、と思ったら、展覧会を観に行くのが目的だったと言う。愛知県美術館で開催されている「生誕100年 ジャクソン.ポロック展」を見に行ってきたらしいのだ。そんなのが行われているとはついぞ知らなかったが、例によって、「どうですかジャクソン.ポロックは」と聞いてくる。そこで「どうですかって言われても、独自の表現スタイルを確立した現代美術では欠かせないアーティストでしょ」と答える。作品は何度か見ているが、まとめて見たことはない。Yにとってもまとめて見る良い機会になったようである。

それより、これは有名な話らしいが(Y曰く)、ポロックが44歳で車の激突死で逝ったという事実は初めて聞いた。何だか、芸術家の死に方にしてはあまりに華々しく、つい、「デスプルーフinグラインドハウス」を想像してしまった。それにどうも映画でポロック役をした「エド.ハリス」の顔が浮かび、44歳と結びつかない。今確認してみると、あの映画「ポロック 2人だけのアトリエ」は、エド.ハリスがプロデューサー、監督、主演の三役をこなしたということであった。よほどポロックに入れ込んでいたのだろう。映画でも当然最期は描いていたのだろうが、残念ながら、映画の印象ともども全く記憶していなかった。

アクションペインティングは、その後一気に広まり、すっかり普通の表現方法となった。そう言えば、この前作ったcafe Tac用の映画チラシのコラージュにも使わせてもらった。こういう形で一般化するとは、ポロックも思っていなかったことだろう。

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Yとチラシ

2011年10月31日 | 芸術

 

Yは映画を観てくると、大体チラシ、パンフレットを持ってきてお土産代わりに置いていく。それらは一通り目を通しとって置くのだが、敢えて捨てることもないので自然にたまっていく。が、その後使われることもいので徐々に邪魔な存在となっていく。コレクターならしっかり整理して保存するのだろうが、どちらかと言うと、こちらからすればゴミである。そこで、何か有効利用はないかと考え思いついたのが、それらを使い飾り用のものにするというアイデアだ。T君のカフェ(cafe Tac)用に丁度いいのではと思ったのだ。

よく、映画やら芝居のポスターを重ねて店内にべたべた貼っていて、それが良い感じになっているというがあるが、あのイメージである。貼ってあるものにはその店の主張も込められている。今回の場合、他のミーハーカフェとは違うぞという意思表示にはぴったりだ、と思ったのだ(重要なのはT君の意思なのだが何故かこちらの意思になっている)。

で出来たものが写真のもの。使ったものは「イエジー.スコリモフスキー」(エッセンシャルキリング)「ロベールブレッソン」(罪の天使とラルジャン.スリの二枚)「ヘルツォーク」「ジャック.ロジェ」「ストローブ=ユイレ」(これは唯一私のもの)「幕があがる」(まつもと市民芸術館の会報、カフェのもの)「松澤宥」(これはどうしても使いたかった、何故かと言うと地元出身であるから、しかも家はカフェから数百メートルのところ)「倉地久美夫」(庭にお願いというドキュメンタリー、カフェのもの)と何故かジョージ.ハリスンの写真。それらを基の紙に貼り、最後にアクリル絵の具で仕上げ。それをポスター用の額に入れ完成だ。床に直接置いて使うことを考えた。出来は、まあまあなのではないだろうか。

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水玉バス

2011年07月23日 | 芸術

 

この前BSの「草間彌生特集」でも紹介されていたが、これが噂の(というほど認知はされてないかも知れないが)水玉バスだ。今まで何度も遭遇していたのだが、直ぐ撮れる態勢ではなく、今回初めて撮る事に成功した。が、ぶれた写真を見れば判るように、ぎりぎりのタイミングでゆっくり構える余裕はなかった。それにしても、街中に派手派手水玉バスというのは映えまんなあ。なかなか良いと思うが、そう思わない人が多いことも容易に想像できる。

世の中、この手のものは子供向けのキャラクターバスばかりなので、その中では異彩を放つかもしれないが、そもそも何でもかんでも子供向けにし過ぎるのが問題なのだ。バスの愛称を大体「何とかちゃんバス」と名付け、意図としては親しみやすさを前面に押し出し、ゆるキャラ的イラストを車体に描くのが一般的な中、話題性を狙ってのことだろうが(それが成功しているかどうかは疑問)よくぞやってくれたと賞賛したい。

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日本庭園

2011年01月28日 | 芸術

 

 

香川骨折で今期絶望。危惧してたことが現実となってしまった、うーん、残念。

BSで、BBCの「世界の庭園」という番組をやっていて、今回は京都特集であった。色んなお寺の庭を紹介していたが、いくつか見覚えがあるところが出てきた。番組では、枯山水や石庭を主に取り上げ、その禅的な思想背景を探るという、如何にも外人が好みそうな作りだったが、我々が(私がか)庭を見るときにはそんなことはあまり考えない。ぱっとみて、なかなかいい感じだ、というような感覚的な捉え方しかしない。既に、日本的文化(自然観など)が刷り込まれているので、違和感なく親しむことが出来る。

で、その見覚えある庭園だが、番組でじっくり取り上げた二つの庭園が正にそれだったので何だか運命的なものを感じてしまった(大袈裟)。一つは、大徳寺の「龍源院」。もう一つは「東福寺」。「龍源院」は寒い時期で(確か雪が舞っていた)、近くの漬物屋(丹波という店)に来たが、まだ開店前で時間があり、じゃあ大徳寺にでも行くかということで、偶然その中で選んだのが「龍源院」だったのだ。偶然だったがこれが正解だった。こじんまりした石庭と、室内の襖には龍の絵(多分狩野派)があり落ち着いた空間で、しかも人っ子一人いなく、たまに僧が縁側を会釈しながら通るだけで、結局小一時間ほど過ごした。そんなわけでしっかりと記憶されたところとなった。

もう一つの「東福寺」は、紅葉の時期に行ったのだが、紅葉に関してはさしたる印象はないのだが(見事は見事)あの庭園は、これまたしっかりと記憶されている。奥のほうだと思ったが、庭石が市松模様となっていて、それが徐々に配置がまばらになり周りの苔に融け込むような造りとなった庭である。これを見たとき、明らかに他にはない革新性を感じたが(しかも自然と調和した)、この番組を見てその謎が解けた。70年ほど前、ある庭師が、ありきたりのものではない庭を造るのを依頼され造ったものだったのだ。当時は、相当批判されたらしい、伝統的では無いという理由で。しかしそのモダン性は、例えば和服に見られるデザインのモダン性にも通じるるところで、元々日本人が持っている美意識に基づくものであるのだ(造る人のセンス次第だが)。結局良いものは滅びない。

と、BBCによってそんな事実を知りました。

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芸術の秋 ゴッホ?

2010年11月09日 | 芸術

 

 

テレビで、今東京の国立新美術館で行われている「ゴッホ展」に絡めて、日本人のゴッホ好きを取り上げていた。何でも、ゴッホ展は、世界の中でも圧倒的に日本が多いらしい。一番高いのを落札したのも日本の保険会社だし、どうやら日本人のゴッホ好きは間違いないようだ。何故そうなったのかというのも分析していたが、それはまあテレビなのであまり当てにならない。

印象派は特にそうだが、この手の展覧会はいつも凄い人出だ。自然の風景の印象をそのまま描いた、とまず理屈として納得して見られる安心感が印象派にはあるのだろう。そしてそれが絵を見るという、少々高尚と思われる行為の垣根を低くしている、ように思える。秋の枯れ葉が散る風景は、葉っぱ一枚一枚が、まるで点描のそのものだ、何て感じる日本人は多いのではないだろうか。この辺は、四季の映ろいを楽しむ日本人の自然観が(あるという前提で)、境界を曖昧にする印象派の手法と合致していると言えそうだ。つまり、手法からして元々印象派は日本人に合っていたのだ。

ゴッホに関してはどうなのだろう。個人的にはゴーギャンの方が好きだったので、あまりピンと来ないのだが、作品そのものはそれなりに良いとは思う。見に行きたいかというとそれはないが、アルルの「夜のカフェ」のモデルのカフェが今でも同じようにあるのを見ると、そのまんまやないか、というある種の興奮を覚える。じゃあ、記念にちょっとカフェの一杯でもという気にはなる(しなかったが)。

というのは、全く日本人のゴッホ人気と関係ないが、人気に関係するのは絵そのものというより(絵は絵で、ゴッホの情熱がそのまま筆遣いに表れている、何て説明されると納得しちゃうの世界ですが)、ゴッホの生き方なのではないだろうか。極貧生活で、ゴーギャンとの確執、そして悲劇的な最期、その後認められるという貧乏物語が日本人の心にぐっと訴えるように思うのだ。山中貞雄の「人情紙風船」や溝口健二の「西鶴一代女」が強く支持されているように、この手の物語は日本人の感性を心地良く刺激するのである、と如何にもな結論で納得する人は一体どれほどいるのでせうか。

 

 

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コラージュ箱

2010年10月26日 | 芸術


この前セールで買ったDVDの残りの一本、オーソン・ウェルズの「オーソン・ウェルズINストレンジャー」だが、パッケージの説明書きを読んでいたら思い出してしまった。これ見たやつだと。レンタルで、同じものを借りるというのはわりに良くある事だが、買いでは初めてのことだった。しかしこれも、買った値段の180円を考えると何の後悔もない。またじっくり見るかと実に余裕である。オーソン・ウェルズだし、元々見ごたえはある。影の使い方が一番上手い監督ではないかと常々思っている。出来れば「審判」辺りが良かったが、そこまでは言うまい。

T君が、雑誌「Le Figaro」の現地版を持ってきて「これで何か作ってください」と言ったのは2ヶ月ほど前。ずっと創作意欲がわかず放置状態だったが、この前空き箱を目にしてちょっとその気になり、早速取り掛かってできたのがこれ(写真)。コラージュ箱だ。勿論箱としても使える。カフェの飾りになると、T君は喜んでいた。
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FAUST 2010 in Chino

2010年09月13日 | 芸術


9月18、19、20日、茅野市民館で、串田和美さんの(直接串田さんを知ってる人間からいつも聞かされてるので、こちらもさんをつけるのが自然となっている)公演「FAUST 2010 in Chino」が開かれる。ワークショップとして2週間以上前から取り掛かり、フランスのサーカス団やら、カンボジアの演劇人を交えての、意欲的な作品に仕上がったようだ。こんな田舎で(と、どうしてもこういう修飾を使ってしまうが)見る機会はそうあるものでもないので、是非足を運びたいものである。ついでにこの茅野市民館の建物もなかなか良いもので、こんな田舎にはもったいないくらいのもの。しかし考えて見れば、藤森照信にしろ伊東豊雄にしろ、一線で活躍している地元出身の建築関係者は結構いるので、ひょっとしたらそんな土壌はあるのかも知れない。ただ眠っているだけなのだ、と考えることにしよう。
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荒川修作 デニス・ホッパー

2010年05月31日 | 芸術


「荒川修作」が亡くなったと思ったら今度は「デニス・ホッパー」が。直接は関係ない二人であるが、共に現役であり、かたや現代美術家かたや映画俳優として活躍していた。しかし、同じ年代で、しかもデニス・ホッパーは現代美術コレクターでもあったから、ひょっとした何らかのつながりがあったかも知れない。

荒川修作の「養老天命反転地」はなかなか面白く、あの空間ならではの奇妙な感覚を味わえる貴重な施設というか作品である。他の作品でも感じたが、作品の中に溶け込むという経験は他では味わえない彼独自の世界だ。近くにあったら何度でも通うだろう。村上隆なんかと比べると遥かに「芸術家」だと思うが。

一方デニス・ホッパー。監督作品の「イージーライダー」は、当時より今見た方がその面白さが実感出来る。当時は話題先行で、反逆のムードだけで見てたような気がする。そして監督二作目の「ラストムービー」がこれまた問題作というか、全編ドラッグでやられたような映像が延々と続く一般の言うところの訳の分からない映画だ。改めて傑作かと訊かれると、そうとは答えられないが、変な魅力のある映画であるとは思う(一応、ビデオで所持している)。もう少し監督としての評価は与えてもいいとは思うが、どうもちょっと異常な役をやる性格俳優という印象ばかりが強い。実際確認してみると、とにかくその出演映画の多さにびっくりする。しかも、映画を選ばない。B級どころかC級映画にも端からという印象だ。そんなB級の中では「アメリカンウェイ」と「スペーストラッカー」は好きである。他人に勧められるような良い映画ではないが。
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コラージュ4

2010年04月22日 | 芸術


T君が、店に飾る小さめのコラージュがほしい
と言ってきた。店内の絵やらポスター写真は、
いろいろ試した結果(いろんな知り合いが飾っ
て欲しい故持ってくるがそこはそれ、ちょっ
とねいうのが多い)一通り決まってきたのだ
が(T君のセンスでだが、勿論私の磁場も影響
している)、一角にちょっと空いたためた壁
ができたのでそこに置きたいと言うことであっ
た。

早速、合いそうな過去の作品を探す。パソコン
で作った写真などを元にしたもので良いような
ので、数は一杯ある(ブログ用に一日一作品な
どとやっていたことがあったので)。が、改めて
作品としてとなると、数の割には今でも良いと
思うのは多くない。いくつか候補を引っ張り出
して検証。作った当時はまあまあかなと思った
ようなものでも時間が経ってみると、どこか足
りないという感じを受ける。二枚ほしいという
ので候補も二つ。一つはそのままでもいけそう
だ。もうひとつの方は要加筆であった。結果完
成したのがこれ(写真)。主に昔のイラスト(無
料素材)を切り貼りしたものだが、何だかぎっし
り人が詰まったコラージュとなった。パソコン
ならではのものだが、まあ面白いのではないか
と思っている。
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准芸術.現代美術の旅

2010年03月12日 | 芸術

町を歩いていると、何故ここにこんなもの
が、と思わず足を止めてしまうような物件
にちょくちょく出会う。と、今更言うこと
でもないが、そんな中に、これは現代美術
かと見間違うような物件がいくつかある。
トマソンと同じくそれらは、私に発見する
喜びを与えてくれる。トマソンは超芸術で
あるが、現代美術系は准芸術とでも名付け
よう、芸術を超える前と言う意味で。しか
し、残念なことに、大体それらは消える運
命にある。一瞬その姿を現しなくなるとこ
ろは、現代美術のインスタレーションに近
いものがある。違いは、意図があるかない
かだ。勿論准芸術の方が意図はないわけだ
が、ここはトマソンと共通するところだ。
トマソンは結果出来上がり残る、准芸術は
消える運命、儚さから言えば断然准芸術で
あるが、自分で言うのもなんだが、世の中
の価値観では、どうでもいいものの上位で
あろうと思われる。しかし、こんなものが
面白いのだからしょうがない。というわけ
でこの前発見した准芸術(写真)。遠目で
これはジャクソン・ポロックか、と思い近
づくと、なんとコラージュであった。舟木一
夫らしきブロマイド風の写真が泣かせる。

話は変わるが、NHKの「ぶらタモリ」、期待し
たほど面白くない。偶然の出会いという発
見の楽しみがあまり伝わってこない。シナ
リオ通りという如何にもNHK的作りがライブ
感を奪っているのだ。「タモリ倶楽部」く
らいのユルさがほしいのだが、まあ無理な
話か。
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