今日は朝からお洗濯日和で、我が家も寝具替えやらで干し場が久々に満杯状態でした。
昨日夜から息子たちが帰ってきてまして、peko、暫くは「飯炊き婆」です。
さて、今日はpekoも何度か降り立った懐かしの「奈良驛」のお話です。(新聞記事の逸話に、「奈良驛には「駅」の字は似合わない、そんな軽々しい驛ではない」とあったように私も「驛」を使いました。)以下朝日夕刊より・・・
犬死寸前だった2代目旧奈良駅舎は、市民らの署名運動の甲斐あって04年に「曳家」といわれる工法で北へ18メートル移されました。
一昨年に、近くの「百年会館」まで行った時、移築されて初めて外観は見たのですが、帰りも裏側から駅のホームにはいったので、駅舎内がどうなってるのかは今回の記事で知ることが出来ました。
なら文化財研究所が復元された平城京跡の第一次大極殿正殿の朱塗りの柱(5.3m 直径0.7m)4本が駅舎中央に展示されてるそうです。
煤を吐く汽車で1時間揺られてしゅっきんし、ホームに降りる前に「真っ白な足袋を履かないと駅には入らない」と、汚れた足袋を必ず履き替えて勤務に付きつづけた初代奈良駅の出札係の竹田さんは、足袋を何足も持てず夜洗濯し、早朝に鏝を当てたそうで、04年、97歳でお亡くなりになった、この方のポリシーにはほんとに頭が下がりました。
明治31年の開業後9年で廃止された「大仏鉄道」という9.9キロの鉄道があったというのも初めて知りました。
左の写真の(上)農道や水路を通すために使われた「梶ヶ谷隋道」、(左)御影石と赤レンガを緻密に組んだフランス式の「赤橋」、(右)は、急な高低さを緩和するために作られた「観音寺橋台」、何れも今も生活路等として使われてるそうです。
この旧大仏鉄道を巡るウオーキングコースも、3~4時間でこれらの遺構が見れ、JR大和路線が並走していて新旧鉄道がそろい踏み、鉄道ファンのみならず楽しめそうですね。
でも、これらの素敵な遺構も撤去計画が持ち上がってるそうで・・惜しまれる方々同様なんとか残してもらいたい気持ちでいっぱいです。
そして、ちょっと興味を引いたものが載ってまして・・・
「シベリア経由パリ行き切符」です。旧鉄道省発行の未使用切符で、昭和3年頃の1等車用で、30?の冊子だそうです。第1券は「岡山経由大阪~~釜山」にはじまって長春、ベラルーシ、ベルリン等で乗り継ぎ12券でパリに至り、「英、露、仏語」も併記されてるとか・・・有効期限は60日ですね~~
日本~西欧間の連絡線は明治44年、「日本、旧満州、ロシア」を結んでスタートし、二年後には「ベルリン、パリ、ロンドン」行きの乗車券の販売が「東京、京都、大阪」の各駅で始まったそうで、初期のロンドンまでの運賃は大人「294円11銭(子供120円28銭)」。現在なら数十万。
当時使用された方はあるのでしょうか?世の文豪方?
ちょっとカルチャーでした~