日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

“ネズミ捕り”に見る官の問題姿勢

2007-11-16 | その他あれこれ
今週の埼玉~群馬の道路では、やたらに警察のスピード違反取り締まり“ネズミ捕り”が目につきました。
交通安全週間でしたっけか?

まぁ、この“ネズミ捕り”っていう取り締まりを、苦々しく思っている人も多数いるのではないでしょうか?私は幸いにして、“ネズミ捕り”で捕まったことはないので、恨みつらみは全くないのですが、このやり方いかがなものかと思って見ております。

問題点は一言で、「物陰に隠れていて捕まえる」という前時代的やり方に尽きます。
なぜ「前時代的」なのか?ここが肝心ですから、すべての「お上=官」は、よ~く耳の穴をかっぽじって聞いてくださいね。

「物陰に隠れて違反者を捕まえる」というのは、「密かに違反者が出るのを待って捕まえる」訳で、要は目の前で違反が起きるかも知れない状況を容認している訳です。これっておかしくないですか?

ここまで話して「何がおかしいの?」と思ってしまったあなた、残念ながらコンプライアンス意識が足りないと言わざるを得ませんな。
「隠れているやり方が汚いから問題!」と思ったあなたも、残念ながらポイントがはずれています。

正解は、「コンプライアンス上の重要視される予防的見地」から対応に問題ありということです。すなわち、まず違反をさせてから捕まえるという点が大問題。
そばに道路交通法を取り締まる権利を有する“コンプライアンスの番人”がいながら、敢えて違反をさせてしまっていることが問題です。
さらには、捕まった人だけは反省して「次回からの予防」になるかもしれませんが、捕まらすに通り過ぎた人たちには隠れているが故に、全くなんの予防的メッセージも伝わらないのです。

じゃどうすればいいのでしょう。
答えは簡単です。通行する車やバイクからなるべく道路上のよーく見えるところにパトカーや白バイを停めて、安全運転をアピールするんです。それだけでOK。
道端にパトカーや白バイを見つけたら誰だってスピードは落とすでしょう?安全運転するでしょう?事故多発地点や多発時間帯ほど、頻繁に出動して違反を未然に防ぐ努力をするべきなのです。

それじゃ違反者が捕まらないだろうって?警察の役割は道路交通法違反者を捕まえるのが主な仕事じゃなくて、違反をさせないこと、法令遵守を徹底させることこそ重要な仕事ではないのですか?なぜ隠れてまで捕まえようとするのか、物陰に隠れて違反者を捕まえるよりも、堂々と道路に出て違反者を出さないことの方が大切であると、一日も早く認識すべきなのです!

「お上=官」の現在の世間のコンプライアンス基準に対する理解の低さが、本当によく分かると思います。
どこの民間企業で、使い込みが多いからと言って、次に誰かが使い込みをするのをこっそり見ていて捕まえて見せしめにする会社がありますか?使い込みが多いなら、牽制や監視を強化して、未然に再発を防ぐことをするはずです。
コンプライアンスの番人が、隠れてわざわざ違反をするのを待って捕まえるって、おかしいくないですか?今の警察がやっている“ネズミ捕り”は、コンプライアンス上明らかに誤った対応と言わざるを得ないのです。

昭和の時代の法の番人は、違反者を見つけて厳しく罰し再発を防止するやり方でよかったのかもしれません。しかしながら、現在のコンプライアンスの考え方は、「予防的見地」を最優先した対応が求められているのです。
官の現在のコンプライアンスに対する理解と意識の欠如が、いかにはなはだしいかということがよく分かる事例であると言えるでしょう。

昨日、守屋前防衛省事務次官の参院証人喚問が行われましたが、警察庁も防衛省も状況は同じ。省庁問わぬコンプライアンスの誤った理解と意識の薄さこそが、「官」として早急に是正されるべき最大の課題であると思うのです。

良いデブ?悪いデブ?

2007-11-15 | その他あれこれ
オタキング岡田斗司夫の著作『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)が、ベストセラーになっているとか。117キロから67キロの50キロダイエットに成功して、「(痩せたら)オープンカフェでも奥の席に案内されなくなった」「(痩せたら)娘が、一緒に歩いてくれるようになった」「(痩せたら)モテるようになった」などと言っているそうです。

それに対して、以前岡田氏と見分けがつかないと言われていたタレントの伊集院光が、『ニュース リアルタイム』(日テレ系)で共演し、革ジャケットを着たりしていつのまにかオシャレ系になった岡田氏の上記のようなデブに対する偏見とダイエット礼賛に怒り爆発。その場はやり過ごしたものの自身のラジオ番組内で、「オレ、岡田斗司夫嫌い。オレ岡田斗司夫と仕事するくらいなら死にたい」と反論したそうです。
まぁテレビの共演時には物言わないで、自分の番組内でのこの物言いはどうかと思います。

そんな訳で、このデブの脱デブに対する醜い嫉妬心を見るにつけ、この機会に私の自論「良いデブ、悪いデブ理論」を披露し、「デブ評論家」として今回の件の分析を一発かまさないといけないと、思った次第です。

ではまず、大関式「良いデブ、悪いデブ理論」から…
子供の頃からのおデブ(私は彼らを「先天的デブ」と呼びます)は、たいていその体型ゆえにいじめにあっています。「デ~ブ、デブ、肉屋、ブ~タ、ブタ、くせ~ぞ!」なんて言葉のいじめ、皆さんも記憶にあるでしょ?その手のいじめが心のキズになって、デブの性格形成において大きな影響を及ぼすのです。「ひねくれ」「陰湿」「意地悪」「セコい」「ケチ(お金があればいじめられないから金に執着する下地ができるというのは、他のいじめのケースでも共通することです)」などは、「先天的デブ」が形成しやすい性格と言えます。

一方の「後天的デブ」はというと、子供の頃はフツーの体格だったりしますから、普通に性格形成されてからデブ体型に変わるわけです。すなわち、成長過程において性格的にゆがむことなく「良いデブ」を形作ることになるのです。「あいつデブなのに、良いヤツでさ、やたらモテるんだよ」とかいうケースを見聞きすることがありますが、これはまず「後天的デブ」であると思って間違いないですね。

「後天的デブ」でも性格悪いヤツいるよ、という声も間々あるのですが、この場合はデブ云々に関係なく、もともとそいつの性格が悪いか、デブ形成後に「合コンとかで、デブがために致命的な打撃を受けて大きな傷になった」とかが考えられます。

さて、先の二人、「良いデブ」?「悪いデブ」?結論から言ってしまうと二人とも「悪いデブ」です。正確には岡田氏は、元「悪いデブ」ですが…。

まずまず岡田氏、何よりもオタキングなる称号を持つほどの「オタク気質」は、まさに「先天的デブ」の成長過程があってこそなし得たものでしょう。
ちなみに、オタクにはデブが多いのですが、オタクになって運動不足でデブったというより、大半は「先天的デブ」がその気質的特性からオタクになったケースではないかと思います。

一方の伊集院。そもそも彼は「先天的デブ」の典型的性質である“劣等感”の塊であり、「先天的デブ」により培われたこの性格が、低自身の学歴に起因するさらなる劣等感を見せまいと「雑学王」の称号を得ることで隠し続けました。ただ、所詮はレベルの低い芸能界「雑学王」程度のお話だった訳で…。

伊集院は、同じ「悪いデブ」出で、東大講師やマサチューセッツ工科大学講師の肩書きを持つ“学のある”岡田氏に「似ている」と言われ“インテリデブ”になった気分で、悪い気はしていなかったはずです。ところが、岡田氏の今回の“脱デブ”の「裏切り行為」によって、自らの「悪いデブ」さ加減や岡田氏とのデキの差がテレビ共演の場によって象徴的に明らかにされて、その嫉妬心や怒りが頂点に達したという訳でしょう。

まぁデブ対脱デブの喧嘩なんて、どうでもよい話ではあるんですけどね。劣等集団からの“脱北行為”に対する、残されたものの嫉妬心の凄まじさには驚かされます。

岡田氏は著作の中で、「ダイエットは知的な作業であり、知的な面、物質面双方から得るものは計り知れず大きい」と言っていて、「悪いデブ」のトラウマから完全に解き放たれている様子がよく分かります。

伊集院も目の前に叩きつけられた劣等感から「共演するのは死ぬほど嫌だ」とか言ってないで、岡田を手本に“脱悪いデブ”を試みてみたらいいのに、と思いますね。

大関式「良いハゲ」「悪いハゲ」理論というのもありますので、ハゲが世間を騒がせた折りにでも、また披露します。

宮崎駿よ、あんたは何様だい?!

2007-11-13 | ニュース雑感
宮崎駿=スタジオジブリのキャラクター商品製作のライセンスを持つ企業コミニカの社長が、法人税法違反で逮捕されました。容疑は約2億円の所得隠し。脱税額は5700万円に上る模様です。

この事件を受けて、宮崎駿氏が「怒りのコメント」をしたとTBSで伝えられました。

「怒りのコメント」?
宮崎駿さんよ、直接コミニカなる会社に対して「怒り」をぶつけることはともかく、あなたがマスメディアを通して伝えるべきメッセージは、少なくとも「おわび」のはずであって「怒り」ではないのではないですか?

コミニカが権利もなく、勝手にキャラクター商品を作って売っていたというならともかく、重大なコンプライアンス違反である大きな脱税事件を起こすような企業に、ライセンスを供与し脱税のもととなるようなビジネスをさせてしまったことをどう考えるのか?

もちろん、宮崎駿=スタジオジブリに脱税事件の責任の一端があるとは申しあげません。しかしながら、そうではあっても、製作会社の「任命責任」「管理責任」を少しなりとも感じていただき、「怒り」は論外、むしろ「おわび」の一言があってしかるべきではないのかと思うのです。

聞けば、脱税対象は原価の水増しによる利幅の拡大部分利益とのこと。すなわち、下請けが脱税目的とはいえ努力をして原価の低下が実現できたわけで、その事実をライセンス元であるスタジオジブリがちゃんと把握していたなら、その分を脱税ではなく商品の値下げとして利用者に還元する事だってできたはずではないのでしょうか。
それを、他人事のように「怒りのコメント」とは、聞いたこちら側が「怒り」がこみあげてきます。

大手企業では、下請け企業の重大なコンプライアンス違反が発覚した場合、「お詫び会見」ならびに「他の下請け調査の結果報告」、「再発防止策」に及ぶ、対応を求められるケースが間々あります。
今回の件に、そこまでは求めないとしても、関係先しかもライセンス供与と言う自社の協力企業のコンプライアンス違反は、そのぐらい重大な問題であるとの認識を持つべきであると、声を大にして言っておきたいと思います。

「宮崎駿氏は芸術家でありそこまで求めるのはいかがなものか」との声もあるのかもしれません。しかしながら、一般人にとっては、宮崎駿=スタジオジブリであり、芸術家であると同時に社会的存在としての当然の自覚も持ち合わせるべきでなはないでしょうか。
コンプライアンス・オフィサーの私からみれば、「思い上がりの激しい、恐ろしく社会性に欠けた無知な芸術家」としか写りません。

それともう一点。
宮崎駿氏に勝手なコメントをさせた、スタジオジブリの危機管理、対マスコミコメント統制も実にオソマツ極まりない。例えオーナーであろうとも、リスク管理の観点から企業として、対外コメントの統制を図ることは基本中の基本です。
スタジオジブリは、作品制作のみならず、グッズ販売、展示館運営など既に社会的存在として十分な存在感を持つ企業になっているのであり、いいアニメ作品を作ることだけではなく、企業の社会的責任を自覚した対応が求められているのです。

経営のトリセツ13 ~ 「責任と権限」=「義務と権利」

2007-11-12 | 経営
本ブログ、カテゴリー別分類を作りました。バックナンバーが探しやすくなったと思います。ご活用ください。

先週はHOT NEWSが多くて、「経営のトリセツ」ができませんでした。
そこで軽めのネタで「トリセツ」をひとつ。

企業経営において、「責任と権限」の委譲は組織の分権管理における必須条件であるとは、これまでもお話してきました。では「責任と権限」って何でしょう?
委譲する側も、委譲される側も意外に分かっているようで、分かっていないケースが多いように思いいます。今一度整理してみましょう。

「責任と権限」とは、「業務上、何かを決定もしくは指示命令できる」権を持つかわりに「その責」を負うということなのです。「読んだそのままじゃん。分かってるよ」と言われそうなのですが、本当の「責任と権限」を持って人の上に立つためには、「責任」と「権限」のどちらが先にたつものなのかに関してしっかり理解をしないといけないのです。

よく間違える理解は、「権限」を行使して何か間違いがあったとき「責任」を負うという解釈。すなわちまず「権限」ありきでその行使の結果如何で「責任」が生じるということです。この解釈ですと、間違いや失敗がなければ「責任」は発生しないことになってしまいます。変だと思いませんか?
正しい理解は、「責任」を全うすることによって「権限」が生じるということです。すなわち、まず「責任」全うがあってその結果「権限」が生じるのです。

なんか分かりにくいとお思いのあなた。この関係を分かりやすい言葉に置き換えると、「義務」と「権利」の関係と同様であると考えてください。
子供や学生の頃を思い出してください。「ちゃんと宿題やってから遊びに行きなさい」とか、「学校に文句があるのなら、やるべきことをやってから言いなさい」とか、言われたものです。すなわち、私達は小さな頃から人の世の秩序を保つために、「権利」を主張するならちゃんとその前に「義務」を果たしなさい、という教育を受けてきているのです。それが基本ルール。「権利」だけ行使して「義務」を怠ったらルール違反ですよということなんですね。

これが、「責任」と「権限」に置き換わって偉くなって手にすると、なぜか「義務」である「責任」を後回しにして、「権利」である「権限」ばかりを振りかざしたり、しまいには「権限」を行使しながら「責任」を逃れたり・・・。
偉そうに命令しておいて、いざとなると逃げてしまう社長、役員、管理者などは、その類ですよね。大きな間違いを犯しています。

経営者を例にとって言うならば、社員への命令という「権限」を行使したいなら、その前に経営者の「義務」である「職場環境整備」や「福利厚生拡充」や「公平な評価の実現努力」等、社員に対する誠実さの実現をまずしなくてはいけないのです。
社長に「責任」と「権限」を委譲された、役員、部長、課長等の役職者はそれぞれの管理スパンにおいて、同様に部下に対する「誠実さの実現」をしつつ「命令という権限」を行使するべきなのです。
上に立つものが「権限」ばかりを行使して、「責任」を先に考えないとしたらそんなに自分勝手な話はありません。そんな上司の下で働く部下は不幸極まりないでしょう。もしも経営者たる社長がそうだったら・・・。結果は推して知るべし。

「うちはどうして、社員が長続きしないのだろう。いいやつをとっているのだが、やめてしまう者が後を絶たない」
そんな会社は決まって、社長の考えが「権限優先」「責任劣後」です。
今の時代「責任劣後」は、コンプライアンス違反の可能性も高いので、要注意です。NOVAの猿橋前社長はその典型的な例と言えるのではないでしょうか。

<音楽夜話>スティーリー・ダン ~ ジャズ&ロック融合の原点

2007-11-11 | 洋楽
先般soujijiさんから、コメント欄でスティーリー・ダンのおすすめアルバムを尋ねられて、「そうか、このコーナーでアーティストとしては取り上げたものの、アルバムの話はしてなかったな」と思いました。
おすすめアルバムは、コメント欄にも書いたとおり、「幻想の摩天楼」「aja」「ガウチョ」の3枚という、ごくごく一般的な評価通りで異論なしなのですが、一応中から1枚を取り上げておきたいと思います。

「aja 」「ガウチョ」はけっこう他でも取り上げられる機会が多いようなので、当ブログらしく3枚の中ではやや地味な存在の「幻想の摩天楼」を。

76年発表のこのアルバムから、彼らが自ら認める「音楽プロジェクト」あるいは「架空のバンド」方式が正式スタートする訳です。つまり、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの2人の正規メンバーと、曲によって入れ替わるゲストミュージシャンが織り成す一大絵巻づくりとも言えそうな、過去のポピュラー音楽界では類を見ない「プロジェクト」です。そして本作の自信が名作「aja」「ガウチョ」制作へとつながるわけで、この後の彼らの大成功を語る上では決して欠くことのできない作品なのです。

楽曲的には何と言っても1曲目、素晴らしくインパクトの強い「滅びゆく英雄(キッド・シャルメーン)」がナンバーワンでしょう。
この曲のアレンジメントとリードギターを担当するのが、ラリー・カールトンその人。元ジャズ・フュージョンバンド、クルセイダースのギタリストとして活躍した有名なミュージシャンです。
彼自体が実は、ジャズとロックのはざ間にいるような演奏を得意とするギタリストでして、その良い部分がすべて出尽くした感のあるような楽曲です。イントロ~ボーカル部分はロック的展開でスタートし、間奏のギターは完璧にフュージョンです。ソロパートも凄いです。何かがのり移ったかのような怒涛の名フレーズの連続!各方面から彼の“生涯最高のプレイ”と評されています。

この曲は今でもステージのハイライトで演奏されています。ちなみに私が見た本年8月のビルボード・ライブのステージでも、本編ラストで演奏されました。当然、大盛り上がりでした。
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◎ YOU TUBEの動画「キッド・シャルメーン」 ◎
前回コメント欄に記したものと同じですが、とにかく最高です!
http://jp.youtube.com/watch?v=ylr2D4Pwn58
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この曲の他にも、難解な歌詞が魅力でもある「アルタミラの洞窟の警告」、ロック色の強い「ドント・テイク・ミー・アライブ」、ステージでは欠かせない「ゴールデン・イヤリング」、レゲエのリズムでユニークな歌詞を歌う「ハイチ式離婚」などなど、どれもかなりハイレベルの佳曲揃いです。
ただ言えることは、曲によって誰がゲストで演奏しようと、どの曲も間違いなくスティーリー・ダンの音でありメロディであり、雰囲気であり、紛れもなく独自ブランドを確立しているのです。素晴らしい!

私個人は、本作、「aja」「ガウチョ」の3作の中で一番好きなものが時として変わるのですが、今時点での個人的ナンバー・ワンは、この「幻想の摩天楼」ですね。

このアルバムの唯一の欠点をあげるなら、ジャケット・デザインでしょうか。「いいアルバムはジャケット・デザインで分かる」が私の自論ですが、このアルバムのジャケットはイマイチ感心しませんね。ベンチで寝ている男が、摩天楼の頂上が怪物の顔になっている夢を見ているのをイメージしたようなおどろおどろしいもので、決して趣味がいいとは言えないです。
この後の「aja」「ガウチョ」の2作はジャケット・デザインも申し分ないのですが、デビューからここまでの彼らのアルバムはどれも、デザインはイマイチどころか“イマサン”“イマゴ”なんですから。
ヒネクレ者の彼ら2人のことですから、実はそこには何か我々凡人には理解できない特別な狙いがあるのかもしれませんけどね。


さて最後に、本日のエリザベス女王杯GⅠのコメントをひとこと。

ウォッカ突然の取り消しで、展開が大きく左右されます。
ウォッカは前回の敗戦を踏まえて早めの仕掛けが必至だっただけに、⑦の仕掛けどころも含めて途中から相当なハイペースになり、穴の「差し馬」が狙い目と思いましたが、取り消しで展開は一転しますね。先行有利でしょう。

先行有利なケースでは、「前走府中の逃げ先行入着馬要注意」と言うわけで⑨アサヒライジングが怖いですね。GⅠに弱い善臣でなければ◎ですが・・・。
さらに先行馬ならルメールのフサイチパンドラ。
④スゥイープトウショウは、宝塚を勝った時のように京都外回りでマクリきれれば、という感じで狙いが下がりました。先行有利だと差して届かずの公算が強いです。

2強の一角が不出馬の時、断然となるハズのもう1頭も意外に消えたりします。
⑦ダイワスカーレットは、母スカーレットブーケですから、基本的には2000まででもありますし・・・。

グリーン・アテンダントはコンプラ違反?

2007-11-09 | その他あれこれ
最近在来線のグリーン車に乗っていて思うこと。グリーン・アテンダントなる係員がいて、席を回ってきます。まぁ体(てい)のよい「車掌さん」ですね。別に特別なサービスをしてくれる訳ではありませんが、むさ苦しいオヤジの車掌が回るよりは断然気持ちがよいものです。今時のグリーン車向けサービスってことなんでしょうかね。

とまぁ、ここまではいいのですが、気になるのはその業務内容なんですね。
グリーン・アテンダントの主な業務は、なんと言ってもまず検札です。グリーン券を買ってない人が間違って(あるいは意図的に)紛れてないかチェックして回る、乗る前に買ってない人にはチケットを売ってあげる(これが最近、車内は乗る前に買うより250円高いんですね。グリーン・アテンダント接客料金?)などの車掌さんのお仕事です。

「東京までですね。グリーン席1名様で950円になります!」なんて他の席から聞こえる声を聞いていると、「なるほど、車掌さんがんばっとるね」と思うわけです。
と次の瞬間に、「お茶にお菓子はいかがですかぁ?」という同じ声の主。「うん?」と顔をそちらに向けると、「ハイ?」とにこやかな笑顔。お~間違いなく、この笑顔は売り娘スマイルでございます。車内移動キオスク。
そう、グリーン・アテンダントは車掌とキオスク一人二役なんですな。

企業も長い不況時代を経て、効率的な人材配置に知恵を絞っている訳です。ビジネス・ホテルの価格破壊屋である東横インでは、フロント・レディが朝飯のオニギリを握り、パーキングのオヤジがマッサージ師として登場したりします。
一人二役三役は当たり前の時代。余計な人件費をかけるなら、ひとりでできる限りの兼務をさせようという訳です。
元三公社の国鉄であるJR東日本も、それなりに考えた訳です。

ただ、問題点がひとつ。「対顧客検札」と「対顧客販売」は兼務してよいのか、というコンプライアンス上の懸念です。検札はいわば監査・管理業務、販売は営業・推進業務です。「グリーン・アテンダントのグリーン検札とお茶やお菓子の販売は兼務しても、お客に迷惑掛からないし全然問題ないんじゃない」と思われる方も多いかもしれません。
でも、極端なケースを考えれば、販売の成績で評価を上げたいと思ったグリーン・アテンダントが、「お茶やお菓子をたくさん買ってくれたらグリーン料金いりませんよ」という“反則営業”だってする可能がないとは言い切れないのです。

従って、コンプライアンス・オフィサーの立場から言えば、この兼務はノー。私がJR東日本の内部統制コンサルを担当するなら、「統制不備であり、要改善ですね」と指導します。

えっ?堅いこと言い過ぎ?
でも分かっていただきたいのは、「管理と営業の分離」の狙いは、「出来心を起こさせない環境づくり」にこそあります。、「出来心を起こさせない環境づくり」は、「営業の強化」や「サービスの拡充」をする際に、兼務による職責の拡大において最も気をつけなくてはいけない、大きなポイントです。コンプライアンスの精神の基本とも言える大切なことであると、認識して欲しいと思います。

時代錯誤の“フィクサー政治”に終焉を

2007-11-08 | ニュース雑感
小沢辞任騒動の続編を。

3日間にわたるドタバタ騒動は、「辞任発表」→「慰留」→「留任」と言う流れでとりあえず決着をみました。小沢氏に関して言うならば、「オソマツ」の一言。それ以上のコメントをする気にもなりません。むしろ、モノを言いたいのは、昨日の会見でも話にのぼっていた“総理の代理人”渡辺恒雄読売グループ会長の件です。言論の公器たる日本最大の新聞社の指導的立場にあって、紙面の私物化および政治の黒幕的暗躍をするとは、なんたる思い上がりの行動であることか。一連の騒動に関する私の感想を、見事に「あきれ」から「怒り」に変えてくれました。

そもそも渡辺恒雄とは何者であるのか。
読売新聞記者として、中曽根元総理に気に入られ、その後読売新聞内で実権を握るにつれて、政府=自民党とのパイプを太くして独自の活動を続けてきました。そして、最大手新聞のトップにありながら、マスメディアのタブーたる政治権力との接近や私的見解による社論の構築をおこなってきたのです(ナベツネ読売を思い上がらせ暴走させた責任の一端は、ライバル紙たる朝日新聞の左派的主張の堅持による部数激減の体たらくにもあるのですが・・・)。

今回の件の発端は、同紙本年8月16日付社説「自民・民主大連立政権構想」にあります。その内容は、現在の衆参の与野党“ねじれ状態”を受けて、民主党にも政権責を分担させ、「大連立政権」樹立により国政の危機状態を回避せよ、というものでした。そして、この社説の筆者こそが渡辺恒雄氏その人であるというのです。

まずなによりも、「大連立政権」樹立は先の参院選における二大政党時代の到来を望む民意に反し、日本における真の民主主義理の浸透を阻害する理論であると言わざるを得ないものであります。
それを渡辺氏個人の考えとして世に問うのであれば、まだ問題のない話でありますが、言論の公器たるわが国最大手新聞の社説で言及するに至っては、言論機関の私物化はもとより、わが国民主主義を冒涜するものではないかとさえ言える異常な行動と言わざるを得ないのです。

しかも、それを新聞紙面上での展開に飽き足らず、“総理の代理人”として小沢氏に「大連立」の提案役まで買って出たと言うのですから、もう何をか言わんやです(先のブログでも記したように、福田総理にとっては、所詮無理な提案と思いつつも民主党の人気降下の役には立つと思ったのでしょう)。

渡辺氏の「大連立」提案に関する本当の狙いは、実はこれもまた読売紙面で再三展開されている、「憲法改正案」の実現にあるようです。
氏が熱心な憲法改正論者であることはつとに有名ですが、現状の2大政党化の流れでは、憲法改正に必要な国会議員の3分の2以上の賛成は到底ありえない状況になります。そこで、「大連立」により国会議員の3分の2以上の賛成が与党で得られる形をつくって、政界への太いパイプを通じて、81歳を迎えた氏の人生最後の仕上げとして念願の憲法改正を成し遂げようという魂胆だという訳です。

私は決して神経質な「護憲派」というわけではありませんが、このような恣意的な世論操作と政界陽動による改憲が行われたならば、国家は誤った方向へ導かれかねないと、大きな危機感をもって思うのです。

このように、影の大物としてマスコミという公器を私物化し国政の裏舞台で暗躍する“フィクサー”的行動は、昭和の時代の遺物であります。今世紀の機軸たるディスクローズの精神、アカウンタビリティの精神は、単に民間だけの申し合わせ事項ではなく、政府、政治の世界にも求められてしかるべきものです。その意味では、渡辺氏のような“フィクサー”的黒幕は、平成、21世紀の日本国においては不必要かつ排除されるべき存在でもあると思うのです。

今回の一件は、単に21世紀日本の政党政治のあり方のみが問われる問題ではなく、マスメディアの正しいあり方、メディアと政界の適正な距離の問題にももっとスポットをあて、各メディアが臆することなく、渡辺氏および読売新聞への批判を展開し本件に関する時代錯誤的行動を問いただすことを切に望みます。


“鎌倉ブランド”再認識

2007-11-07 | マーケティング
以前から暖めている外食ビジネスの関係(大関周辺の人間は何の話かお分かりでしょう)で、鎌倉の方と「鎌倉出店」の相談をしました。

「鎌倉」ってどんなイメージでしょう?同じ神奈川でも「横浜」とは確実に違うイメージで、高級住宅地でありながらも「田園調布」や「白金」とも違います。 歴史的、文化的臭いがしつつも都会的でもあり、どこか「高級感」や「気品」も漂わせている。「京都」とも違う「都会的」と「古風さ」が入り混じった、「おとな」で「上品な」香りがする、不思議な街であります。
いろいろ話すうちに、「鎌倉ブランド」でイメージづくりしていくことの有効性に大きく魅力を感じ、「鎌倉1号店開設&鎌倉ブランドでの店舗展開」に心動かされてきました。

一般的にブランド構築には、コピー戦略、ビジュアル戦略、キャラクター戦略など、多額のコストがかかるものですが、都市や街の名を借りたネーミングならその部分に関しては使用料タダで、街のイメージを使ったイメージ展開が可能です。

従来から「鎌倉」の名を付した商品はいくつもあります。「鎌倉ハム」「鎌倉カスター」「鎌倉おぼろ豆腐」「鎌倉山ローストビーフ」…、そのどれもが「鎌倉」のイメージを付すことでより「高級な」「上質な和の」「落ち着いた大人の」雰囲気を伝えようとするものです。一言で言えば、そもそもその商品がもつ良い特性を、自社は他社商品よりも強いのだという印象づけるべくとられた戦略であると言えるのではないでしょうか。

私が思った「鎌倉ブランド」利用の魅力は、ちょっと違います。「鎌倉」らしくないものを、“上品な”「鎌倉ブランド」で見せてみたい、と言う思いつきです。

言ってみれば“たこ焼き店方式”。「京たこ」や「築地銀だこ」は、街の名前を商品名に借りたの代表的な例です。しかし、たこ焼き業界のこういった例は、単にたこ焼き本来の特性を強調する目的ではありません。
どちらかと言えば、「たこ焼き=大阪=コテコテ=B級の食べ物」のイメージ払拭を狙い、また強烈な「大阪イメージ」を他の街のイメージでかき消し、「意外性」や「新規性」「A級」などを訴えかけているのです。「たこ焼き=大阪」ではない地域名のとのつながりは、「意外性」などのイメージを経由して、結果、消費者の「好奇心」をくすぐり購買意欲を掻き立てる訳です。これこそ私の狙いに近いものです。

このような街の名利用ネーミングの注意点もあります。その街や地域と全く縁もゆかりもなくネーミングを借りた場合、ネーミングそのものは違法ではありませんが、その無関係の事実が一般に明らかになると、商品がイメージダウンになる可能性が高いということです。

ですから、「鎌倉ブランド」を商品に付加していくなら、名前だけじゃなくやはり1号店は鎌倉に欲しい訳です。ところが鎌倉は賃料が高い!ネーミング部分での「鎌倉」使用料がタダでも、こんなところでしっかり調整されてしまうんですよね。
そんな訳で大関は、只今、賃料コストを抑える「ビジネススキーム・イン・鎌倉」づくりに腐心中です。

ジャニーズ事務所の企業責任を、マスコミは亀田家並に追求すべし!

2007-11-06 | ニュース雑感
もう先週の出来事ですが、元光GENJIの赤坂晃が、麻薬取締法違反の現行犯で逮捕されました。

光GENJIと言えば、ジャニーズ事務所で唯一のレコード大賞受賞グループでありながら、何かと揉め事も多く、結局ゴタゴタの末、解散→消滅したせいか、ジャニーズ事務所にあって今ではやや“グレーな印象”がつきまとうグループと言う感じがします。

赤坂晃はドラマ、舞台でそこそこの活躍をしていましたが、私生活で悩みを抱えていたとかで、麻薬に走ったとの報道がなされています。
まぁ理由はどうあれ、本人の罪に関して言うなら、30半ばにもなろうといういい大人が、「何をバカなことをして」の一言で片付けられる問題ではあります。

私が気になったのは、「逮捕」→「即解雇」を発表した所属事務所「ジャニーズ」の対応です。早いとこ縁を切って逃げちまえとの判断なのか、「クビにしちまえばうちには関係ない!」とでも言いたげな、あまりに速攻の対応でありました。
果たして所属事務所の責任として、「解雇しました」の発表だけですまされるのでしょうか?皆さんはどう思われますか?

何よりもまず、このブログでもしつこいくらいに言い続けている、「今はコンプライアンスの時代」であるということ。例え芸能プロダクションであっても、その所属タレントが重大なコンプライアンス違反を犯して、「本人をクビにしました」でおしまい、はいかがなものでしょう。
もし捕まったのが、有名企業のサラリーマンだったらどうなりますか。仮に当事者を解雇としても、まず企業の謝罪会見は免れえません。恐らくトップの謝罪も求められるでしょう。マスコミはこぞって、企業の人事管理の甘さを叩き続け、確固たる再発防止策が出されなければ、延々マスコミによる吊るし上げを受け、対消費者企業であればそれによって致命的なダメージを受けるかもしれません。

ではなぜにマスメディア、特にTV各局は、ジャニーズ事務所を叩かないのでしょう。普段はこの手のスキャンダル大好きのTV局がいつになくおとなしい対応をしているように思います。
理由は簡単。各社とも、ジャニーズ事務所の“報復”を恐れているのです。何年か前にSMAPの稲垣吾郎が駐車禁止&公務執行妨害で逮捕された際に、各局とも稲垣が逮捕されたのもかかわらず「稲垣容疑者」呼ばわりは一切せず、ジャニーズ事務所の指示に従って「稲垣メンバー」という異様な呼称で報道したのは、有名な話です。

こんな異常な力関係ですから、今回も「所属事務所であるジャニーズ事務所の管理責任はどうなっているのか」「なぜジャニー喜多川は謝罪会見しないのか」、といったトーンでのテレビレポートは皆無です。亀田史郎氏および亀田家に対する、各局レポーターの強気の姿勢とは雲泥の差。どちらかと言えば、タイトルマッチでの反則指示よりも覚せい剤使用による逮捕の方が、問題は重大であるハズです。

芸能事務所といえども1民間企業であり、客商売であるわけです。自社の配下にあるスタッフの重大なコンプライアンス違反に対して、ジャニーズ事務所は即刻社長の謝罪会見を行うべきであり、マスメディアはジャニーズ事務所の“報復”などというある種の脅迫行為には毅然とした態度で臨み、同事務所の管理責任を断固として糾弾すべきであると考えます。

社長が「そんなことしたらユー分かってるね」と言うかどうかは知りませんが、圧力行動に出る可能性を恐れて利害関係人を特別扱いするメディア報道が改まらないなら、日本のメディア報道の信頼性は大きく揺らぐことになります。
民営化を頑なに拒否し公共性、中立性の保持を主張するNHKがまず、率先して正義感あふれる態度を示し、他の民報の保身的報道姿勢に一石を投じるなら、公共放送たるNHK存続の必要性を世に示す絶好の機会になるのではないでしょうか。

「NHK特集」あたりでいいですよ。
「元アイドルの転落と、消された事務所の管理責任」とかね。


「小沢辞任→民主人気急降下」は、福田総理の思惑どおりか?

2007-11-05 | ニュース雑感
政治ネタはあまり好みませんが、民主党小沢代表突然の辞任は、マーケティング的見地から見て政党支持率をも揺るがしかねない大事件なので取り上げます。

小沢氏の突然の辞任は福田総理からの突然の連立打診を前向きに検討したいとした、その姿勢に対して党内から反発が出、「なら辞めてやるわい!」といういつもの“壊し屋”小沢の悪いクセがつい出てしまった、ということだと思います。

世論の大勢は「無責任」「何を考えているのか分からない」「なんで今辞める必要があるの」等のようで、少なくとも民主党にとってマイナスではあって、決してプラスではない出来事です。
その意味では、今後の民主党の対応いかんでは、政党支持率および来るべき衆院選の流れを大きく変えかねないターニングポイントになるかもしれません。

民主党は、先の参院選で圧勝し、「無責任辞任」の安倍前総理を引きづり下ろし、まさに、参院選大勝→首相辞任→防衛事務次官問題→テロ対策措置法案参院否決→衆院解散総選挙の流れで、いよいよ“山が動く”ところまで見えはじめていました。
ところが、今回の小沢辞任劇。安倍前首相の「無責任辞任」を批判できないばかりか、民主党は「内紛」イメージによる「政権政党失格」の烙印すら押されかねない大きなリスクを背負い込むことになりました。

小沢氏に組織リーダーとしての冷静な判断があったなら、いきなりの「辞任表明」はありえない選択であると思います。すなわち、小沢氏は組織のことよりも自身の名誉やプライドを重んじ、瞬時に「辞任」を選択したわけで、組織リーダーとしての資質を著しく欠く人物であることが、はからずも明確になってしまったのではないでしょうか。
思えば、自民党を離党したときも、新進党を壊したときも、すべて他人には理解し難い「何にも勝る守るべきプライド」がそうさてきたのだと思えます。それが今回、政権奪取を十分狙える野党党首の立場で、またも出てしまったのです。

政党支持率は、一般大衆の心理的作用が大きく影響します。その意味では、マス消費者向け商品・サービスのイメージ作りと相通じる部分が多くあります。企業イメージが不祥事等で悪くなれば、その会社の商品がどんなにいいものであっても売上は落ちるでしょう。同様に、政党がどんなにいい政策を打っていてもその政党に不祥事がおきれば、確実に支持率は下がります。民主党は速やかに体制の立て直しをはかり、「内紛」イメージの払拭をはからなければ、今までの努力はすべて水の泡になってしまうでしょう。

それと、今回の一件でもっと気になることがあります。
そもそも現在の日本が2大政党制への流れに向かっている中で、今回の福田総理の「連立提案」はどう考えても疑問符が投げかけられます。すなわち、2大政党連立→大政翼賛会的大合同であり、政党政治の重要な役割である政権政党牽制機能が働かなくなる訳で、そんな子供でも分かるような非常識な持ちかけを、福田総理が本気でしたのか、という疑問です。

つまり、政権奪取意欲が強くかつ自民党に対する“望郷の念”が捨てきれない小沢氏が相手なればこそ、“策士”福田が繰り出したイチかバチかの「戦略兵器」だったのかもしれません。
管代表代行はじめ非自民系出身議員もまだ数存在する民主党が、今回の大同連立提案に合意するはずもなく、総理はそこまで読みかつマスコミも利用しながら、「小沢の自民寄り暴走」→「民主党内紛・分裂の危機」イメージを、広く国民に印象付け参院選大敗からの巻き返しを図ろうとしたのではないか、という仮説です。

先の総裁選での「麻生撃沈戦略」を見てくれば、「策士」福田総理ならばこれぐらいのことは、思いついても全く不思議ではありません。
小泉元総理は史上最強の“マーケッター宰相”と言ってもよいほど、その発言の妙で国民の心理をうまく捕らえてきましたが、福田総理はもしかすると史上最強の“戦略家宰相”なのかもしれません。
事の真偽のほどはともかく、福田総理は次にどんな手を打って、来るべき衆院選を乗り切る考えなのか、今後の戦略的政治手法からますます目が離せません。