日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

良いデブ?悪いデブ?

2007-11-15 | その他あれこれ
オタキング岡田斗司夫の著作『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)が、ベストセラーになっているとか。117キロから67キロの50キロダイエットに成功して、「(痩せたら)オープンカフェでも奥の席に案内されなくなった」「(痩せたら)娘が、一緒に歩いてくれるようになった」「(痩せたら)モテるようになった」などと言っているそうです。

それに対して、以前岡田氏と見分けがつかないと言われていたタレントの伊集院光が、『ニュース リアルタイム』(日テレ系)で共演し、革ジャケットを着たりしていつのまにかオシャレ系になった岡田氏の上記のようなデブに対する偏見とダイエット礼賛に怒り爆発。その場はやり過ごしたものの自身のラジオ番組内で、「オレ、岡田斗司夫嫌い。オレ岡田斗司夫と仕事するくらいなら死にたい」と反論したそうです。
まぁテレビの共演時には物言わないで、自分の番組内でのこの物言いはどうかと思います。

そんな訳で、このデブの脱デブに対する醜い嫉妬心を見るにつけ、この機会に私の自論「良いデブ、悪いデブ理論」を披露し、「デブ評論家」として今回の件の分析を一発かまさないといけないと、思った次第です。

ではまず、大関式「良いデブ、悪いデブ理論」から…
子供の頃からのおデブ(私は彼らを「先天的デブ」と呼びます)は、たいていその体型ゆえにいじめにあっています。「デ~ブ、デブ、肉屋、ブ~タ、ブタ、くせ~ぞ!」なんて言葉のいじめ、皆さんも記憶にあるでしょ?その手のいじめが心のキズになって、デブの性格形成において大きな影響を及ぼすのです。「ひねくれ」「陰湿」「意地悪」「セコい」「ケチ(お金があればいじめられないから金に執着する下地ができるというのは、他のいじめのケースでも共通することです)」などは、「先天的デブ」が形成しやすい性格と言えます。

一方の「後天的デブ」はというと、子供の頃はフツーの体格だったりしますから、普通に性格形成されてからデブ体型に変わるわけです。すなわち、成長過程において性格的にゆがむことなく「良いデブ」を形作ることになるのです。「あいつデブなのに、良いヤツでさ、やたらモテるんだよ」とかいうケースを見聞きすることがありますが、これはまず「後天的デブ」であると思って間違いないですね。

「後天的デブ」でも性格悪いヤツいるよ、という声も間々あるのですが、この場合はデブ云々に関係なく、もともとそいつの性格が悪いか、デブ形成後に「合コンとかで、デブがために致命的な打撃を受けて大きな傷になった」とかが考えられます。

さて、先の二人、「良いデブ」?「悪いデブ」?結論から言ってしまうと二人とも「悪いデブ」です。正確には岡田氏は、元「悪いデブ」ですが…。

まずまず岡田氏、何よりもオタキングなる称号を持つほどの「オタク気質」は、まさに「先天的デブ」の成長過程があってこそなし得たものでしょう。
ちなみに、オタクにはデブが多いのですが、オタクになって運動不足でデブったというより、大半は「先天的デブ」がその気質的特性からオタクになったケースではないかと思います。

一方の伊集院。そもそも彼は「先天的デブ」の典型的性質である“劣等感”の塊であり、「先天的デブ」により培われたこの性格が、低自身の学歴に起因するさらなる劣等感を見せまいと「雑学王」の称号を得ることで隠し続けました。ただ、所詮はレベルの低い芸能界「雑学王」程度のお話だった訳で…。

伊集院は、同じ「悪いデブ」出で、東大講師やマサチューセッツ工科大学講師の肩書きを持つ“学のある”岡田氏に「似ている」と言われ“インテリデブ”になった気分で、悪い気はしていなかったはずです。ところが、岡田氏の今回の“脱デブ”の「裏切り行為」によって、自らの「悪いデブ」さ加減や岡田氏とのデキの差がテレビ共演の場によって象徴的に明らかにされて、その嫉妬心や怒りが頂点に達したという訳でしょう。

まぁデブ対脱デブの喧嘩なんて、どうでもよい話ではあるんですけどね。劣等集団からの“脱北行為”に対する、残されたものの嫉妬心の凄まじさには驚かされます。

岡田氏は著作の中で、「ダイエットは知的な作業であり、知的な面、物質面双方から得るものは計り知れず大きい」と言っていて、「悪いデブ」のトラウマから完全に解き放たれている様子がよく分かります。

伊集院も目の前に叩きつけられた劣等感から「共演するのは死ぬほど嫌だ」とか言ってないで、岡田を手本に“脱悪いデブ”を試みてみたらいいのに、と思いますね。

大関式「良いハゲ」「悪いハゲ」理論というのもありますので、ハゲが世間を騒がせた折りにでも、また披露します。