日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

ソニー「終わりのはじまり」が「終わりの終わりに」向かう時(今年の企業総括その3)

2012-12-29 | 経営
本年最後のエントリは、この1年において拙ブログでもっとも多く取り上げた企業ソニーについてです。ソニーを取り上げたエントリのテーマは、基本的に「ソニーは再生できるか」の1点に尽きます。

ソニーを取り上げた直近のエントリで、株主向けIR資料に使われた平井CEO顔写真の顔色の悪さから、兆候把握材料として内部の危機的状況がうかがい知れる旨書いたところ、過去のエントリをお読みでない方々から「なんの根拠もない言いがかり」「勝手な妄想」などといったご批判も頂戴していますので、これまでの総括としてのソニーの危機的状況と小職が考えるその打開策のあるべき方向をこの機会にしっかり記しておきたいと思います。

ソニーを考える時に、まずその経営者による時代の移り変わりを知っておく必要があります。創生期と言える井深、盛田両氏の時代、それを継いだ発展期岩間、大賀両氏の時代、そして世界に大きく飛躍を目指しつつも失速をはじめた迷走・低迷期出井、ストリンガー両氏の時代です。そしてもうひとつ、ソニーが残してきたヒット商品、トランジスタラジオ、家庭用テープレコーダーとカセットテープ、トリニトロン・カラーテレビ、ウォークマン、ハンディカム、CD・MD、プレイステーション、バイオ等々も知っておく必要があるでしょう。

井深氏、盛田氏の時代から大賀氏の時代までは、ソニーのヒット商品は主に技術力を背景にした、便利な小型化や喜ばれる高機能化でありました。上記の商品群で言うなら、ハンディカムあたりまでがそれに該当するでしょう。これは一介の町工場から技術者である井深、盛田両氏が、日本の技術で消費者のハートを捉えることで世界を目指していた時代の流れであったともいえると思います。

しかし、出井氏以降のソニーは大きくその姿を変えてしまいました。出井氏が技術畑の人間ではないということがまず考えられるのですが、実は前任の大賀氏もまた技術者ではなく芸大出身の変り種経営者でありました。では、大賀時代と出井時代以降の違いは何か。一番大きな違いは、大賀氏の時代までは盛田氏が存命で、一般的に言われるソニー・スピリット(=技術のソニー)が組織の中で息づいていたと考えられることです。

出井時代のヒット商品を見てみるとそれ以前との違いがよく分かります。大ヒットしたプレイステーション2は、DVDソフトが再生できるという組み合わせの妙がウケた製品でした。“銀パソ”と言われたバイオは、性能はさておき主にはその色合いやスタイリッシュなフォルムがウケ、デザイン先行でブームになったと記憶しています。

これはまさしく文系経営者井出氏の経営スタイルと符合します。技術とは無縁な音楽ソフト、映画ソフトの販売に注力し、イメージ戦略を重視してIRを強化しブランド価値の向上にばかり力を注ぐ。その結果として、技術は置き去られ実体を大きく超えて膨らまされた中身の伴わない虚構のソニーブランドばかりが表に出ることになったのではないでしょうか。

ウォークマンで築き上げた携帯音楽プレーヤーのマーケット圧倒的トップの地位は、利用者の心をくすぐるiPodの登場によって完全に奪い去られ、トリニトロンで世界のソニーを印象付けたテレビ市場は、利用者が満足する技術水準を安価で提供する韓国勢力に圧倒されるに至りました。出井時代に中身の伴わないままた高められた「幻想のソニーブランド」が、ここ数年馬脚を現したのは当然のことであり、出井氏の跡を継いだ技術とは無縁のストリンガー氏もまた、傷を深くしただけで何の実績も残せぬ不毛な7年間をソニーにもたらしたと思います。

盛田氏亡き後にトップに座った出井氏が残しストリンガー氏が引き継いだものは、「幻想」に彩られたソニーイズムだけだったのではないでしょうか。ソニー本来の姿は、町工場ではぐくまれた日本の技術を、いかに消費者が喜ぶ便利で高性能な製品として提供するかに腐心することであったはずです。いまだ夢から覚めることなく、自らを実力以上に大きく見せ「幻想のソニーイズム」で身の丈を超えた企業発展を志すと言うソニーの姿は、痛々しくさえあるのです。

今年ストリンガー氏を継いでCEOに就任した平井一夫氏。就任当初は、51歳の若きリーダーに期待を寄せる声も聞かれていました。しかし、今年話題を集めたオリンパスとの提携による医療機器分野への本格進出などの舵取りを見る限り、彼もまた「幻想のソニーイズム」にドップリと浸かった出井チルドレンに過ぎないのかなと、落胆を禁じえないところであります。やはり、文化系出身の“音楽とゲームの貴公子”に、凋落ソニーの舵取りは荷が重すぎるのではないかと感じるところです。

今ソニーが戻るべき原点は、井深、盛田両氏が築きあげた町工場が世界に夢をはせたあの時代の「技術のソニー」のスピリットであり、それこそが真のソニーイズムであるはずです。平井氏が口にする目指す姿「ソニーの復権」は、彼のマネジメントを見る限り、出井氏時代以降の「幻想」への回帰に過ぎず、それに彼が気がつかない限りにおいては「ソニーの復権」は実現し得ないのではないでしょうか。

「ソニー終わりの始まり」と揶揄される出井時代、このままでは平井ソニーが「ソニー終わりの終わり」に向かっているように思えてなりません。

※本年は本エントリにて終了となります。本年も拙ブログをご愛読いただきありがとうございました。皆様、よいお年をお迎えください。

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