日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№70~「スリラー」への大いなる序曲

2009-05-17 | 洋楽
少々ご無沙汰しましたのユルネタコーナー「70年代の100枚」です。
いよいよ70枚目です。

60年代末期の米国音楽シーンに登場したジャクソン5は、黒人5人兄弟の素晴らしいチームワークと“天才少年ボーカリスト”の衝撃度で、一躍人気者になりました。

兄弟5人のグループというコンセプトはそれまでにない新しさがあり、白人の5人兄弟オズモンズや日本のフィンガー5といった“二番煎じ”“三番煎じ”も生んだのでした。同時にその人気を大きく支えていたのは、グループ最年少の“天才少年ボーカリスト”マイケル・ジャクソンの存在でした(オズモンズではジミー、フィンガー5ではアキラが同じ役柄を担っていましたが、その音楽的才能には歴然たる違いがありました)。彼は70年代後半以降、ソロ・シンガーとしてその才能を開花させ大ブレイクするのです。

№70    「オフ・ザ・ウォール/マイケル・ジャクソン」

マイケルが成長し、「少年」を脱皮した証として自己の意思で初めて制作したソロ・アルバムが、79年リリースのこの「オフ・ザ・ウォール」です。クインシー・ジョーンズのプロデュースにより、当時最新のブラック・コンテンポラリー・ミュージックを聞かせくれています。特にA1「今夜はドンド・ストップ」B2「ロック・ウイズ・ユー」は完成度の高いダンスミュージックで、共にシングルチャートで№1に輝いています。一方、タイトル曲のA5「オフ・ザ・ウォール」(同10位)は、同じダンスナンバーでも従来型のブラコンとは少し違う印象です。その歌い回し、リズム、サウンドが、次作「スリラー」以降のマイケル・サウンドに直結する重要曲であるといえるでしょう。

もうひとつのこのアルバムの聴きどころは、マイケルが泣きながら歌う珠玉のバラード「彼女が消えた」(同10位)です。今ではすっかり「マイケル=ダンス・ナンバー」のイメージが強いのですが、彼は実はバラードの名手でもあります。その歌唱力の確かさは、この曲を聴けばお分かりいただけるでしょう。またこのアルバムでは、ポール・マッカートニーに曲提供を依頼したり(B1「ガール・フレンド」)、ラリー・カールトンやデビッド・フォスターなどの腕利き白人スタジオ・ミュージシャンも多用するなど、ブラコンの世界にとどまらない音楽人脈の広がりを積極的に作り始めています。このことは、この後の黒人音楽の流れを大きく変えることにつながったと言っていいと思います。

アルバムは全米3位を記録。同一アルバムから全米トップ10ヒット4曲というのは、当時の記録でもありました。しなしながら、その記録は3年後に自身が打ち破ります。82年発表の次作「スリラー」はMTV全盛の波にも乗って世界的大ヒットを巻き起こし、37週連続アルバム・チャート№1、全世界総売上枚数1億4百万枚、同一アルバムから7曲のトップ10ヒットいうギネス記録を打ち立て、エルビス、ビートルズと並び評され、「音楽史上最も成功したエンターティナー」言われるに至ったのです。

その後は、たびたびスキャンダル巻き込まれ、音楽的な側面よりも別の側面で話題になることばかりで、彼の素晴らしいその才能を考えると90年代以降は残念に思うことが多くなってしまいました。今年は夏に“最後のイギリス公演”を行うと発表したマイケル。その才能を余すことなく発揮して、久々に音楽で我々を魅了欲しいものです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿