日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

判然としない、大臣を辞任に追い込んだ報道の是非

2011-09-13 | その他あれこれ
鉢呂経済産業大臣が、「死の街」発言で引責辞任した件ではどうもスッキリない部分が沢山あります。

その1
そもそもは大臣が福島県を視察して強制退去地域を訪問し、人っ子一人いない状況を指して「まさしく死の街でした」と言ったことが問題視され報道されます。それを受けて、前日の記者との“囲み”で「放射能がつくぞ」と自身の服を記者にこすりつけたことが後追いで報じられ辞任に追い込まれました。分からないのは後者の“囲み”取材の一件。もちろん大臣の言動としていかがなものかという内容ではありますが、なぜこの報道が後追いでほじくり返されたのか。“囲み”の懇親コミュニケーションのひとつとして、その場はやり過ごされたハズのモノがです。スッキリしません。“死の街発言”批判を正当化するためのメディアの恣意的誘導?ある意味ネット上で炎上騒ぎを起こす輩となんら変わらない体質を感じたりもして、大臣発言の善し悪しとは別にメディアの報道の在り方としてどうなのか疑問です。

その2
そもそものきっかけ発言である「死の街」ですが、大臣の肩を持つもりはありませんが、いわゆる英語で言うところの「ゴースト・タウン」を日本語的に言おうと思って誤訳したのではないかとも思えています。もちろん、被災者の皆さんの立場を考えれば例え英語の訳一つにおいても細やかな神経を使わなくてはいけないのが当然ではありますし、大臣と言う立場であるならなおさらのことです。ただ「ゴースト・タウン」と言われ「“幽霊の街”?けしからん!」と思う人はいないでしょうし、大臣発言の「死の街」にしても文脈から考えれば「街としての機能が停止した街」という意味に十分受け取れるのではないかと、個人的には思えます。報道の怖さというのは「単語」のみを取り出された時、発言意図とは全く違う意味合いに受け取られかねないという点にあります。その「単語」を耳にした人たちの拒絶反応が大きく取り上げられれば、世論をも動かしうると言う恣意的な誘導リスクも感じさせられ、なんともスッキリしないのです。

その3
さらにもう1点。メディアが今の情勢の中で、あえてこのようなある意味恣意的とも受け取られかねない報道をおこなうことが、結果「政局」をつくるようなことになるという流れをメディア自身分かった上での行動であったのか、という部分です。前政権のリーダーシップ欠如による復興策の遅れは国民的損失を招いているわけであり、その点を社会の公器たるメディアの立場で考えれば、誰が見ても今の時点ではできれば「政局」は避けるべきです。従い、上記のような受け取り方ひとつで評価が変わるようなあいまいな状況を敢えて率先して「政局」を作り出すような報道に至らしめたやり方には、どうも首をかしげたくなる気分であります。この点もまた実にスッキリしないのです。

この問題に関しては、大臣の発言の善し悪しとは別の問題として、上記のような観点に立って果たして細心の注意をもって報道がなされていたのか、メディア自身が自己の対応をしっかりと検証する必要があるのではないかと思っています。何のための報道であるのか、何が本当の報道正義であるのか、メディアがこの点で自問自答を忘れた時、社会の公器はネットの炎上騒ぎをおこす輩と何ら変わらず社会破壊に加担することになりかねないということを心して報道に臨んで欲しい、切にそう思わせられた一件でありました。


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