日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

国会の「ヤジ」、会見の「罵声」は“恥”を知れ!

2011-09-15 | その他あれこれ
会期4日の国会は昨日衆院の代表質問に移りました。毎度のことではあるものの、気になったのは汚い「ヤジ」の多さ。いつもこととは言いながら、「国を運営する選ばし者」のするべき行為であるのかいささか違和感を覚えるシーンである訳です。

似たような類の“事件が”、鉢呂前経済産業大臣の辞任会見でありました。辞任を表明する大臣に、「何が原因で不信の念を抱かせたのか、言ってみって言ってんだよ!」という罵声が浴びせられたという件。もちろん声の主は新聞記者です。社名、名前も名乗らず、とのことでですから、これも「ヤジ」の部類です。挙句には首からかけた身分証まで隠したと。社会正義の追及を旨とする報道の人間としてあるまじき行為であります。一体この国の報道モラルってものはどうなってしまっているのでしょう。驚きを通り越して呆れるしかない状況であるとしか言いようがありません。

場面とその声の主によっては「ヤジ」という行為そのものを否定するつもりはありませんが、国会の代表質問における議員、記者会見における記者の立場として「ヤジ」はいかがなものなのでしょう。「ヤジ」は匿名の無責任発言であり、個々には力を持たない小市民が口々に「ヤジ」を飛ばすとこで権力に対して世論を知らしめる手段などとしては有効かつ正当な「ヤジ」であろうとは思いますが、立場あるモノが公式の場で自ら行うのはある種の「コミュニケーション放棄」であり、私は恥ずべき行為であると考えます。

形を変えた「ヤジ」としては、ネット上の2ちゃんねるやツイッターなどでの匿名発言もその類であり、先の「世論を知らしめるケース」ではありませんが、いい方向に作用することもあるものの、匿名故の無責任発言があらぬ“炎上”を生みだしたり、いろいろな問題を引き起こしてもいます。ネット・コミュニケーションの広がりによって、「ヤジ」の功罪はこれまで以上に明確になった感があるようにも思えます。

私が先の国会における「ヤジ」や記者会見における「罵声」を不快に感じるのは、ネット上の暴力的匿名無責任発言と同じ“卑怯な弱虫”の匂いを感じるからに他なりません。「どうせ面と向かっては言えないんだろ」「相手が強面なら言わないんだろ」と思える点も、「どうせネット上の匿名でなければ言えないくせに」と思わされる行為と全く同様です。このような観点で考えれば、賢い政治家や記者なら自分がしている「ヤジ」行為がネット上の暴力的匿名無責任発言と同じであるという愚かさに気がつくはずではないのでしょうか。日本の政治家やメディアの質の低下には目を覆いたくなるばかりです。

国会議員や新聞記者というとるべき行為のある立場の人間のあるまじき行動を監視できるのは、唯一メディアでしかないと思います。国会中継やそれを報じるテレビ・ニュースでも、「ヤジ」をテロップで流すなどというくだらないことをするのではなく、誰の発した「ヤジ」なのか明確に報道しあるいは発した者の顔を大写しにするなどして選んだ国民の前に晒し、「恥」を「恥」としてしっかり自覚させる必要があるのです。新聞記者も同様です。不要な「罵声」を浴びせた記者に対しては、幹事社の責任において「社名、氏名」を正し悪質なモノは退場を命じる等の対応も必要でしょう。記者クラブが“情報談合団体”で終わらないためにも必要な行為であると思います。

立場ある人間の「ヤジ」や「罵声」は、コミュニケーションの破壊行為に他なりません。コミュニケーションの悪さがあらゆる物事を停滞させ、また誤った方向にすすませることにもなるのです。メディアはそのような観点からも立場ある人間の無責任発言を監視し、自覚を促して欲しいと思います。