日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

昭和問わず語り12~秋の大運動会

2011-09-06 | 昭和
小学校のプール話を意外なほどに盛り上げていただきまして、ありがとうございます。9月、秋と言えば今度は運動会シーズンですね。最近の運動会事情はよく存じ上げませんが、昭和の小学校の運動会を少し振り返ってみます。

私の記憶では、各学年「競技1」+「踊り1」+「徒競争」が全員が参加する競技。他に学年別リレーと全学年リレーと言うのがあった(「借り物競争」とか「父兄のパン食い競争」とか余興もありました)。基本的には紅白対抗だったと思います。各学年の1、3、5組が白組、2、4、6組が赤組だったかな。この辺は、やや記憶が怪しいです。競技はけっこうハッキリ覚えていて、1年=玉入れ、2年=大玉ころがし、3年=棒引き、4年=綱引き、5年=騎馬戦、6年=棒倒しだったと思います。玉入れは全然入らなかったような。自分が投げた球が入りそうなのに、他のヤツが投げた球にはじかれたりするとホント悔しいよね。「いーち、にーい…」って先生が数えて、先になくなると負けで、最後の1個は決まって空高く投げ上げるんだよね。たぶん、どこの学校の先生もそうやっていたように思います。今もそう?運動会の競技ってあまり変わっていないんでしょうか?

「踊り」はフォーク・ダンス。名作は何と言っても「マイム・マイム」です。皆で輪になって「♪マイ、マイ、マイ…」と歌いながら、中央に集まって行くヤツね。曲も今風でよかった。4年生の頃だったか、「コキリコ節」なんていうやけに暗いムードの日本モノをやらされたことがあって、これは本当に嫌でした。運動会で暗いメロディっていうのはなんかちょっと罰ゲームみたいでダメでしょ。それとフォークダンスっていうのは大抵男女で組になって踊るのが多いでしょ。うちの小学校は越境生が多くて(私もそうだったのですが・・・)、異常に男の子が多かったんです。ちなみに私の6年生の時のクラスは男子28人女子14人って完全に2:1ですよ。今思えばこんな人口比率あり得ないですよね。だからフォークダンスで男の子同志っていう組み合わせもけっこうあったりして。これにあたるとまたテンション下がる訳ですよ。

徒競争は6人走かな。いい加減な時代でしたから、結構コースの有利不利があったような。小回りコースなので内枠絶対有利。1コーナで先頭に立ったヤツがそのまま逃げ切るというのがほとんどだったんじゃない。内枠の年は入賞、外枠の年は着外、そんな感じかな。3位までが旗のところに誘導されて、賞品をもらえたような。1位がノートと鉛筆、2位がノート、3位が鉛筆。そんな感じだったと思います。ノートも何の変哲もなくて、単に表紙に「賞」って青いハンコが打ってあるの。鉛筆は消しゴム付きだったかな。当時三菱のユニとか高級鉛筆出始めの時代に(なかなかそんな鉛筆は使えなかったけど)、やけに安っぽいものだったように思います。でも何かもらえるって言うのは嬉しいわけですけどね。もうちょっと遊び心あるものとか、楽しいモノとかくれてもよかったのにね。まだまだ戦後のなごりがあった時代だったのでしょうか。オリンピック世代ですから、例え安っぽくてもメダルくれればいいのにと思った記憶があります。

皆さんのご記憶の昭和の運動会のエピソード、よかったらお聞かせください。

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