日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

東電の破たん処理なくして被害者は救われない!

2011-09-28 | ニュース雑感
東京電力の法人、個人事業主向けの福島第一原発事故に係る「損害補償」問題に関し、すでに仮払いを行った7000の事業者に対して賠償基準が記載された説明冊子と請求書が昨日発送されたそうです。その対応について、12日から始まった個人向けの「補償」説明の際には説明書類の多さと煩雑さに大変な批判が集まったようですが、法人向けの説明書類は幾分薄くなったとは言うもののまだまだかなりのボリュームがあったようで、TVでの報道を見る限りでは事業者からも不満の声が多数聞かれているようです。

もうひとつそれ以上に重要な問題は、その中身としての「補償基準」です。例えば、被害者の皆さんが口々に不満を述べているのが、観光業等での風評被害における被害額の「20%控除」問題。20%部分は自然災害による被害であり補償の対象外との解釈を押しつけているようですが、これには全く納得性が乏しいと思われます。聞けば「阪神大震災時の基準を参考にした」とか。自分たちの都合のいい部分だけを前例利用するというまるで悪徳官僚のような対応には、一企業人として、自社の存亡を賭けて「損害補償」に対峙している被害者の皆さんの気持ちを思えば強い憤りすら覚えるのです。

その他の問題にしても、製造業では一律前年の粗利分が補填対象となるとの東電側の決めですが、これとて個別企業においては事情がさまざまに異なっているということを全く無視した内容であると思われます。例えば本年の受注が昨年よりも増えていると言った業界的トレンドや、企業努力によって収益改善が図られていたといった事情は仮に確固たるエビデンスがあろうともまったく考慮されないとのことです。企業も個人と同じ“生き物”であり、たとえ膨大な対応作業になろうとも、それぞれの事情を勘案した被害者の立場に立った個別対応が必要なのではないでしょうか。

また報道では、移転を余儀なくされた工場等が立ち入り禁止で機械の移動ができないというケースでも、新たな設備投資資金は一銭も補償対象にならないとの事実も紹介されていました。これなどまさしく、無償融資等を含めた個別対応の検討が必要な事例かと思います。いかにして、被害事業者の存続を基本に真摯な対応ができるのか、東電に今最も求められている姿勢はそこに相違ないハズなのに。

この観点で見れば、東電は最悪です。例えば書類ひとつから、あるいはその中身の言い回しひとつから、被害者の立場でつくられていないことはこれまでも多くの被害者やメディアが指摘をしているとおりであり、書類ひとつ満足に被害者の立場で作れない企業が、被害者の立場を踏まえた賠償基準などつくれるハズがないのです。残念ながら東電には、被害者視点が全く欠落しているとしか思えません。繕う余裕のない有事発生時ほど企業文化が表に出てしまうものであるとするなら、これは企業文化のなせる技以外何者でもなく、被害者はどうにもならない問題として諦めるしかないのでしょうか。それでは、被害者があまりに不幸です。

東電の破たん処理の議論は、エネルギー政策や金融問題等の観点からばかり語られることが多いのですが、こういった組織風土に起因する問題対応を見ていると、むしろ被害者救済の視点からこそ真剣に議論されるべきなのではないかと思わされます。国が責任をもって破たん処理をおこない、被害者の立場でモノが考えられる第三者機関の手に経営をゆだねることで、なによりもまず企業文化そのものを破たん処理する必要があるのではないでしょうか。政治こそが東電が立とうとしない被害者の立場に立って、東電の扱いを真剣に議論すべき時に来ていると思います。