日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

カップヌードルが教える、昭和日本の「夢」と「未来」

2011-09-19 | ビジネス
横浜みなとみらい地区に「カップヌードル・ミュージアム」なる施設がオープンしたそうです。日清食品がカップヌードルを発売したのが1971年。昭和46年のことでした。ちょうど今年で40年を迎える、その記念も兼ねているようです。

46年と言えば、前年45年が大阪万博の年。同じ46年にはマクドナルドが銀座三越1階に日本1号店をオープンさせています。さらに言えば、吉野家が牛丼のフランチャイズ店舗をスタートさせたのが48年、セブンイレブンが1号店をオープンさせたのが49年です。昭和40年代のこのあたりの動きは、まるでおもちゃ箱の中で暮らしているようで本当に楽しかった。消費経済に「夢」のある時代であったと今も懐かしく思い出されます。

中でもこのカップヌードルの登場は画期的でした。鍋を使わずにインスタント・ラーメンが食べられる。しかも具まで入って待ち時間はたったの3分。「カップでラーメンを食べる」と言う発想や「お湯を注いで3分」という現実は、ある種“夢のような”驚きの出来事だったのです。3分と言えば、相前後して登場した“3分間待つのだぞ”のレトルトカレー(大塚のボンカレーが44年全国発売、ハウスのククレカレーがやはり46年の登場)も画期的でした。親の世話にならなければ家で食べることが出来なかったカレーライスが、お湯で温めるだけで食べられる、感動的でした。カップヌードルやレトルトカレーの登場は、日本人の食文化に「夢」のある変化を巻き起こしたと言って良いと思います。

大阪万博前後の発明品が今の日本の生活の基本形を作ったとは、よく言われていることであります。携帯電話も電気自動車も45年の万博で初お目見えした当時の「夢」であり「未来」でありました。今思えば、あの時代の政治、経済、産業…あらゆる部分で日本を動かす人たちには、「夢」や「未来」に対する展望がしっかりとあったように思えます。どんな「夢」を実現させたいのか、どんな「未来」をつくりたいのか、明確なイメージがあったからこそ、私たちの生活を豊かにしていく新しいモノが次々と生み出され、今の恵まれた生活に至っているのではないでしょうか。

日本はいつから「夢」や「未来」を描きにくくなってしまったのでしょう。ここに至った根本原因は政治かはたまた経済か、一言では言えない複雑さもはらんではいます。ただハッキリ言えることは、進歩が「価格改善」に収れんされてしまう今の時代のモノづくり流れの中からは、「夢」のある新商品、新サービスは生まれてこないということ。今の時代の“正義”である「良いモノを安く」は確かに消費者にとってありがたいことではありますが、半面「質を落とさず価格を下げること」も「質を上げて価格を据え置くこと」も同じ価格競争以外の何物でもありません。これは新商品、新サービスでしのぎを削る「夢」や「未来」に向かう競争ではなく、互いを疲弊させるだけの空虚な競争のスパイラルに陥っているだけなのかもしれないのです。

カップヌードルを開発した日清食品の創業者安藤百福氏。当時一袋20~30円だったインスタント・ラーメンの時代に、カップ麺の価格を1個100円でスタートさせることへの周囲の猛反対に対して、こう言い放ったといいます。
「価格は関係ない。衝撃的な商品は必ず売れる。それ自身がルートを開いていくからだ。その商品には消費者が支払った対価以上の価値があるか。売れるかどうかはそこで決まる」。「独創性のない商品は競争に巻き込まれ、労多くして益は少ない」とも。まさしく、新商品、新サービスでしのぎを削る競争を肯定し、企業を疲弊させるだけの価格競争を否定した言葉とも受け取れます。

「カップヌードル・ミュージアム」のオープンに際して、失われた日本人の「夢」や「未来」をもう一度思い出せと、我々消費経済の一端を担うビジネスパーソンに、安藤百福氏は大先輩として語りかけているように思えます。一人ひとりのビジネスパーソンが「夢」や「未来」を意識して自己のビジネスに立ち向かう時、この国の震災からの真の復興にも資することができるのかもしれません。