日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「増税議論」の前にすべきこと

2011-09-09 | その他あれこれ
野田首相就任から1週間。早くも復興財源確保の観点からの「増税」が議論され始めました。メディアの反応は基本的に「復興債償還財源としての増税という考え方は止むなし。ただし実施前にやることをやるのが条件」というもの。「やること」とは、資産売却や無駄の削減による可能な限りの努力での財源確保です。至って正論。国民の大多数は似たような見解を持って、「増税議論」の成り行きを見守っているのではないかと思われます。

そんな中、メディアで取り上げられ話題になっているのが朝霞米軍基地跡への公務員住宅建設の問題です。問題になっている理由は、そもそもこの計画は民主党政権の「事業仕分け」で「凍結」されていたものがいつの間にか「凍結解除」され、9月1日着工。しかもその「凍結解除」したのが、誰あろう野田首相(当時財務相)だったからなのです。首相が自身の政策の基本を「増税」に置くことは、個別の政治家として勝手です。しかしながら、「増税」を唱える人間が「無駄」に目を向けないというのは、全くの片手落ちであり仮に松下政経塾出身の政策通であったとしても、“現実離れの夢想政策家”であるとの誹りを免れ得ないのではないかと思うのです。

世論の大勢が口々に唱えているように、まずするべきことは「無駄の排除」。民主党政権が政権奪取当初に実施した「無駄の排除」に向けた目玉政策のひとつが「事業仕分け」であった訳ですが、この「事業仕分け」は朝霞の問題を見る限り現時点での評価としては、結局パフォーマンスにすぎなかったという感じが強くしています。個別の施策を取り上げて一旦は個々に予算申請を突き返しながらも、大枠での政府としての方針がないがために、賢い官僚たちに上手に論理づけられた再検討案で丸めこまれてしまい担当大臣が官僚を敵に回したくないが故に結局承認印を打つという、“ゾンビ復活”の構図が出来上がってしまっているのです。

ではどうすればいいのか。例えば今回の朝霞の話、個別の議論としてではなく「事業仕分け」を経た公務員住宅に関する「凍結」「再検討」議論として捉え、根本的な問題として「公務員住宅は必要なのか」「部分的に必要であるとするならどういうケースか」等を議論、政府としての「公務員住宅政策」を明確にし、それを物差しにした上で今あるモノの「廃止」「売却」「賃料見直し」や建設計画の「中止」「縮小」等を具体的に決めて財源を確保する必要があるのではないかと思うのです。絶対的な権限を持つ訳でもなく、しかも全て各論のみで問題解決をしようとした「事業仕分け」は、“守る側”の官僚から見れば抜け穴だらけであり、結局何の成果も生まなかったと言われても仕方ない状況であると朝霞の一件は我々に教えてくれてもいるのです。

財源議論を悠長に構えている時間はないのだと、言われる向きもあろうと思います。一案として、今はまず国民の善意を背景にして使途別「無利子の復興債」を10年~20年償還で発行し、その償還原資が必要となるまでの間に、上記のような根本的な政府方針議論を優先させて財政政策の基本理念を作り上げてそれに沿った個別政策(公務員住宅の見直し、政府保有株の売却等)により財源をねん出、不足分を増税でまかなう、そんなやり方が真の公務員改革にもつながり一番ふさわしいやり方なのではなかと思っています。各論から入り小手先で細々(こまごま)したことをやろうとすればするほど、結局官僚の悪しき既得権はうまく言いくるめられた末に守られ何も改善しないことになるのです。

復興に向けた国の財布を握る新財務相が、新聞記者出の“ど素人”になってしまったことも官僚から見れば組みしやすく、不安は募るばかりです(詳しくは存じ上げませんが、彼の言動を見る限りにおいては期待薄でしょう)。首相は大臣の任命責任も含めた責任感をしっかり持って、財務相を中心として長期的展望の上に立った財務政策について明確なビジョンをまとめ、まずはそのビジョンに関しての国民的議論を展開して欲しいと思います。各論たる「増税」の可否議論は、それが大前提となるのではないでしょうか。