日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№61~元祖ロック・クィーンの死と未完の最高傑作

2009-02-08 | 洋楽
70年10月、ひとりの女性ロック・シンガーが人気の頂点で孤独な死をとげました。ジャニス・ジョプリン。死因はヘロインの摂取過多。時代を象徴するかのような死でした。

№61     「パール/ジャニス・ジョプリン」

彼女が突然この世を去ったとき、まさに制作中だったアルバムが彼女のニックネームをタイトルに配したこのアルバム「パール」です。彼女が死する直前もレコーディングが続いていたこの作品、スタッフによる残されたマテリアルを使っての必死の編集作業の甲斐あって、年が改まった71年1月にようやくリリースにこぎつけたのでした。

それまでの彼女はと言えば、特徴であるハスキーボイスでのシャウト系のパワーボーカルの使い方には、あちらに行ったりこちらに来たりと混迷を続けてきた印象だったのですが、腕ききプロデューサーの下新たなバンドを得たこのアルバムでは、過去にないほど幅広く彼女の可能性を感じさてくれる内容になっています。

アルバムは、彼女らしいシャウト系のカッコいい自作A1「ジャニスの祈り(ムーヴ・オーバー)」で幕をあけます(この曲、後のスレイドのカバーもイカしてました)。ボビー・ウォーマック作のB4「トラスト・ミー」のようなソウルフルなナンバーでは、彼女の愛したR&Bへの想いがいつにも増して強く打ち出されています。またA4「ハーフ・ムーン」は、後にオーリアンズ(「ダンス・ウイズ・ミー」でお馴染み)を結成するジョン・ホールの作で、軽快さと黒っぽさが入り混じった独自の雰囲気が実にジャニスにマッチ。彼のような東海岸人脈とのつながりは今後の彼女の新たな活躍を予感させる部分でもあり、本作が遺作であることの無念さを伝えるのに十分すぎもするのです。

「パール」はリリース後アルバム・チャートをグングン上昇し、№1に上りつめると実に9週間にもわたってその座をキープしたのでした。そしてアルバムからのシングルでクリス・クリストファスン作のB2「ミー・アンド・ボビー・マギー」は、彼女のイメージとは少し違うカントリー・テイストのナンバーでしたが、こちらも全米№1を獲得。彼女の人生を歌ったかのようなこの曲の一節、「思い出のたった1日のために未来のすべてを売り払ってもいいわ」とともに、全米中はジャニスへの追悼の想いにあふれたのでした。

アルバムには死の前日に演奏だけがレコーディングされ、翌日の彼女のボーカル吹き込みを待っていた未完のA5「生きながらブルースに葬られ」も収録され、彼女のあまりに突然だった死を象徴する痛々しい演出も施されています。ジャニスの死とその遺作「パール」が今に伝える、70年代初頭の音楽カルチャーにおける悲劇は、60年代音楽シーンからの延長路線を確実に断ち切る大きな出来事であったと思います。