日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№60~時代の頂点を極めたカントリー・シンガー

2009-02-01 | 洋楽
実にダサいジャケットです。カントリーですからね。でもこれ日本でも売れたんですよ。

№60    「バック・ホーム・アゲイン/ジョン・デンバー」

カントリーは日本で言えば演歌でしょうか?アメリカではいつの時代も、カントリーのヒットは必ず生まれるものです。カントリー・チャートなるヒット・チャートも存在する訳で、やはり国民的音楽なのでしょう。根強いカントリー人気のアメリカですが、いわゆる総合チャートで上位をにぎわすに至ったこの世界の人は意外に少なく、「70年代ポップを代表する」と言うレベルになるとかなり絞られます。ジョン・デンバーは、そんな数少ない「カントリー界を超えて70年代ポピュラー音楽を代表するアーティスト」です。

彼は自身が愛したコロラドの町デンバーを自らの名前に拝借し、その透明感あふれる歌声が美しい風景に恵まれたコロラドの大自然をイメージさせる歌詞と相まって、都会派とは一線を隔した素朴なキャラクターとして人気を集めました。デビュー・ヒットは多くの人にカバーされ超有名な「故郷に帰りたい」(71年全米2位)、その後も「ロッキー・マウンテン・ハイ」(全米9位)がヒット、74年には「太陽を背に受けて」とアルバム「グレイテスト・ヒッツ」でシングル・アルバム共に初の全米№1を獲得します。ちなみに、「ロッキー・マウンテン・ハイ」はコロラド州の州歌に制定されているそうです。

「太陽を背に受けて」は日本でもビッグ・ジョン・ジーンズのCMに使われてスマッシュ・ヒット。カントリーと言うジャンルを超えた人気を集め、満を持してリリースされたアルバムがこの74年の「バック・ホーム・アゲイン」だったのです。アルバムで聞くと確かにカントリー臭い部分も多いのですが、頂点を極めた勢いを感じさせる楽曲の水準の高さは素晴らしいの一言です。このアルバムからは、B1「緑の風のアニー」が全米№1ヒットを記録。タイトル・ナンバーのA1「バック・ホーム・アゲイン」(個人的フェイバリットです)が最高位5位、B5「スウィート・サレンダー」が同13位を記録するなどヒット曲を連発、アルバムも当然のごとく№1を獲得して、押しも押されもせぬ全米を代表する超一流アーティストの仲間入りを果たしたのです。

「緑の風のアニー」は日本でも大ヒットしました。当時の妻アニー(ジャケット写真左)に捧げたラブソングで、比較的カントリー臭のしないことろが受けたのでしょうか。「アニー」と言う言葉は一切登場させずに、妻をいろいろなものに例えながら愛を伝えるという、実におしゃれでハイセンスなラブソングです。一時期日本でもちょっと気の利いた結婚式のゲストは、ギターの弾き語りでこの曲が歌ったりしたものです。ただ日本で彼の人気はここをピークに長続きはせず、背景にある強いカントリー色が明らかになるにつれて、次第に下火になっていきました。それでも、過去から今に至るまで、日本で最も成功したカントリー・ミュージシャンであることに、異論の余地はないでしょう。

ジョン・デンバーは97年、自ら操縦していた飛行機がガス欠という信じられない理由で墜落し、53歳の若さで亡くなってしまいました。さらに悲しかったことは、彼の死後、妻と元妻(アニー)との間で遺産分割を巡って法廷に持ち込まれる騒ぎが勃発したことでした。過去に歌われた「緑の風のアニー」の爽やかなイメージは汚されてしまい、亡きジョンもあちらの世界から悲しい想いで眺めていたのではないでしょうか。