路の途中

35歳からジョギングを始め、今もゴールを目指してさまよい続ける市民ランナーの記録。

東京マラソン完走記 2

2011年02月28日 21時04分29秒 | Weblog
 スタートから10㎞までは下りという情報だったが、おおむねその通りだった。1㎞ぐらいまではマイペースで走れなかったけれどずいぶん早い段階でばらけてきてキロ5分ペースになっていたと思う。
「ここで出し過ぎてはいけない。」
というアドバイスと、
「無理にブレーキをかけずに自然に。」
というアドバイスを受けていた。要するに、キロ5分と決めていたので、そのぐらいの「がんばり度」で走ればよいと解釈した。
0~5㎞(25分13秒)は、スタート直後の混雑を考慮すればまずまず。焦らず行くことにした。
5~10㎞(24分28秒)は、少し早過ぎ。でも、ここは下りだという事を考えればこれもまずまずと言ってよいと思う。
 家族が日比谷当りで応援すると言っていた。あてにはならないが、帝国ホテル前を走りながら探す。通り過ぎたところで、呼ぶ声が。義父だった。大観衆の中だったが義父が私を呼ぶ声(なんて呼んでいたのかは覚えていないが)ははっきりと聞こえ、振り返るながら大きく手を振ると義母の姿もよく見えた。おぉ、応援に来てくれていたのですね。と、まだ、前半10㎞だということもあり力を貰う。かみさんや子ども達の姿は見えなかった。
 10㎞過ぎて、品川までの折り返し路では、トップランナーとすれ違う。
「速い」
 後でテレビを見たら、キロ3分で押していたようですね。ちょう速かったです。
 もう少し行くと、渋井が来るのが見えた。
「渋井 がんば!」
と自分でもビックリするぐらい大きな声が出た。この辺りはまだまだ元気。15㎞を過ぎて品川の折り返し。折り返してすぐぐらいに反対側のランナーで、防寒用の雨合羽を脱いでいる女性ランナーがいた。15㎞まで来ていたとは、すごい。
10~15㎞(24分38秒)
更に20㎞までは、沿道の応援を受けながら、本当に楽しむことが出来ていた。
15~20㎞(24分35秒)
 再び日比谷に戻り、帝国ホテルの前辺りで今度はかみさんの呼ぶ声が聞こえた。多くの観衆の中で今度もはっきりと確認できた。前日に仲直りできていて良かった、と思った。
 ハーフだと、1時間45分で3時間半のイーブンペース。これを1分と少し上回り、わずかながらだが貯金があった。この時点では、後半ビルドアップできそうな予感があった。
 しかし、日本橋→茅場町と進むあたりから雲行きが怪しくなってきた。だんだん暑くなってきて、アームウォーマーをリストバンドのようにして走り続ける。このペースを維持し続けることがきつく感じてくる。ココが頑張りどころだと思ってなんとか脚を動かし続ける。
20~25㎞(24分49秒)
 浅草までの折り返しではトップランナーはもう通過して居てみることは出来なかったけれど、2回目の渋井選手を見ることは出来た。しかし、もうかけ声をかける力は残っていなかった。
 遠くに雷門が見えてくる。あぁ、あそこが折り返しだと思う。折り返しの直前辺りに、赤いのぼり。
「大袋走友会」
ののぼりを振るさえぐさおさむさんの姿がはっきり見えた。
「がんばれ~路の途中(本当は本名) OOが500m先だ。」
「OOってだれですか~?」
と叫んでみたけど分らなかった。
 折り返した辺りにも走友会おきさん。そのすぐ後にも職場のT主任とKさんがいたらしいけど、お互いに分らなかった。
 30㎞前後で気がつくと左前方にBowstringさん。足取りが重そう。
「Bowstringさん、ファイト!」
と声をかけて走りすぎると
「脚に来てます」
という声が帰ってきました。抜き返されるのはショックなので頑張って走りましたが、自分も既に脚に来ていて力が入りません。
25~30㎞(25分58秒)
 もっと落ちているかと思ったが、この程度の落ち込みで我慢できていた。25㎞ぐらいまでは給水所は1つ飛ばしで、スポーツドリンクのところだけで給水していたが30㎞あたりからは全ての給水所で給水をした。後半は2杯ぐらい取っていた。
 それでも30~35㎞まではなんとか粘ろうという気力は残っていた。たぶん筋トレで腹筋を鍛えていたので腹筋が心を支えてくれたんだと思う。
30~35㎞(26分59秒)
 かなり一杯一杯。ここで粘れないのが弱さだよなぁ。と自分で分っているけれど、脚に力が入らない。
 35㎞を過ぎて、佃大橋が見えてくる。
「うそ」
 ここに来てこれですか。壁と言ったら大袈裟だけど、私には太鼓橋のように見えた。でも、それを上っていくランナー達。自分もそのランナーの一人だけど、
「人間ってすごいなぁ」
と、人ごとのように感じていた。自分は上り坂が苦手で登りでどんどん抜かされていく。でも、みんな頑張っているんだ、自分も絶対に歩かないぞ!とそれだけは守ろうとゆっくりとでも走り続けた。下り坂はもっと苦手。下りを利用してスピードアップするランナーは少なくないけれど私にはできない。更にどんどん抜かされていく。もうここまで来ると走っているというのは恥ずかしい程のスローペース。きっと、キロ6より遅くなっているだろうなぁと思いながら40㎞を通過。
35~40㎞(29分53秒)この時点で3時間26分38秒。残りキロ3分で走っても3時間半切れない(笑)

完走記その3に続くでしょう・・・たぶん

東京マラソン完走記 1

2011年02月28日 07時55分49秒 | Weblog
走る前は、色々な意味で「42㎞走ることには変わりがない。他の大会と別段違わない。」なんて思っていた。その証拠に、
「ビデオ録画してきましたよね。」と聞かれ、
「あぁ、忘れてました。」
と答える程だった。

 早朝、2時半に目覚め眠れなくなった。布団の中で4時まで過ごし、「えいやっ」と起き出す。自分としては珍しく、前日(土曜日)には、ゼッケン付け、チップ付けを初め荷物の準備もあらかた終わっていたので、ほとんどすることがない。5時半に家を出る。
 最寄りの北越谷駅まで徒歩20分。駅前の「吉野や」で納豆定食。数年前、完食してつくばマラソンでお腹が痛くなった思い出があるので、ご飯を少しだけ残させて頂いた。(ごめんなさい)
 待ち合わせの中央林間行き先頭車両には、K村さんファミリー、ヨシイケさん、BOwstringさんが既に乗っていたので合流させて頂く。草加で鈴智さんも合流し予定メンバーが無事揃い新宿に向けて。電車は特に混んでいるということもなく、乗り換えの西日暮里でトイレを済ませて行く。
 都庁方面に歩いていっても特に驚きはなかった。途中で着替え、預けられるように荷物の整理をしているところもランナーなど(応援の方もいただろう)が多かったが、3万6千人規模なのだからこの位は混むだろうという想定の範囲内だった。
 それがひっくり返されたのは、ナンバーチェックを受けた後だった。エリアの中に入っても、一体どこに荷物を預ければよいのか?ときょろきょろ荷物預け場所を探し、この辺りで一緒だったBowstringさんともお別れして一人になる。荷物を預けた後、
「早めに最後のトイレに並ぼうかな」
とのんきにトイレの列に並ぼうとするも人の流れが多くてその列にたどり着くまでが一苦労。やっとの事で列の近くまで行くも、どこに並んでよいのか分らない程の混乱(混雑?)ぶりだった。
「スタートまで1時間近くあるから、トイレに並ぶの早過ぎたかな?」
などと思えたのは初めに数分で、列が全然進まない。後から分ったのだが、隣の列は2つのトイレを利用していたが私の並んだ列は1つのトイレ利用。断然進みが遅い。あれよあれよという間に時間が進み。
「荷物の預かりは、後5分です。」というようなアナウンスが繰り返し流れる。私は荷物は預け済みなのでそこは余裕なのだが、「8時45分を過ぎるとブロックが封鎖されて、最後尾からのスタートになります。」には焦った。結局トイレには45分程並んでいたようだ。ブロック閉鎖10分程前にトイレを済ませ「Cブロック」へ進もうとするも案内矢印は書いてあるのだが実際は何処に行けばよいのか分らない。その辺りにいた警備員の方に聞いてなんとか移動用の階段を発見し無事に進入することが出来たのは閉鎖5分程前だった。
 それにしても走る前は寒かった。帰宅してからチェックした情報では、スタート時の気温は4℃。走るウェアーの上にゴミ袋で作った防寒着と100均で買ったレインコートを重ね着していたがまだ寒かった。ランパンランシャツで待って居いる人がすごいと思った。
 開会式などのセレモニーもDJの方が盛り上げまた、寒いのでテンションを上げなければやっていられないという心理も働き、
「イェーイ!」と周りの人たちで盛り上がったいた。
石原都知事の挨拶。長かった。いいこと言っているんだろうけど、寒いんだから・・・。まぁ、話が長くても短くてもスタート時刻は変わらないからいいかと思いながら聞いていた。
 私のいた、Cブロックからも遠くスタートが見える。車いすの部のスタートの後、9時10分、マラソンの部のスタート。紙吹雪が舞う様子は遠目だが見ることが出来た。スタートラインに到着するまで3分と少し。通過すると紙吹雪は桜の花びらの形をしていることが分った。(ご苦労様です)
 さぁ、いよいよ東京マラソンのレースがスタートした。

 長くなったので「東京マラソン完走記 2」に続きます。