秋田の冬祭りで最も有名なのが、横手で行われる小正月行事「かまくら祭り」。ドーム状の雪室・かまくらで水神様にお賽銭を上げて、家内安全・商売繁盛・五穀豊穣などを祈願するのが本来の姿で、今でもかまくらの中には水神様が祀られています。
発祥は400~450年前に始まったと云われるが、極めて定かではありません。定説では、藩政(江戸)時代の旧正月には、市内を縦断する横手川東側の武家(内)町では、雪の箱を作り、しめ縄や門松を燃やすどんど焼き(左義長)が行われていました。また横手川西側の商人(外)町では、頻発する水不足を解消するため、共同井戸のそばに雪穴を掘り水神様を祀った。また農村部で行われていた鳥追い行事や子供たちが雪穴を掘りその中で遊ぶ習慣があったという。これらが長い時間をかけて融合し、現在のかまくらになったと云われています。
明治30年以降、各家にポンプ式の井戸が普及し、共同井戸に付随した水神祭りも影が薄くなり、子供の遊び場である雪穴の奥にお堂と祭場を移転させたとも云う。またその当時は内町のどんど焼きでは鎌倉大明神の火祭りであったが、明治になり、火災防止のため廃止され、水神祭りと習合されたとも。
雪室としてのカマクラも当初は、鳥追い小屋だったため、六郷で現在でみられるような雪壁にムシロ屋根のものが主流だったようだ。今のかまくらの形になったのは、昭和34年(1959)に行政がモデルかまくらを考案したことによる。昭和40年代になると、自動車の交通量が多くなり、交通の妨げにならないスリムな形になったり、カマクラの数自体の減少したため、ミニかまくら作りが始められたり、かまくら通りを作り観光客に対応するようになったという。六郷のかまくら行事や刈和野の大綱引きが国の重要無形文化財に指定されていて、横手のかまくら祭りがそうでないのは、こうした背景があるようです。
のち
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